完璧主義の弊害
英語学習していて、英語について意識している人は完璧主義すぎないか?と疑った方が良い場合は多い。
なぜなら、完璧主義には弊害があるからが理由だ。
人は、母国語でさえ時に言い間違いをすることもある。言葉を思いつかなくて言い換えることもある。緊張して人前で喋れない人もいる。
何も、日本語でさえ完璧に使えているかは不明。
良く知らない分野の話なら、当然知らない単語があったりもする。初めて接するような界隈の場合は、どう話して良いか分からなかったりもする。
それでも、使いながら経験を積み知識を得て、自分のものにしていく。人前で話すのにはある意味、場慣れも大きい。
しかし、なぜか英語になると異様に細かしく面倒くさいことを考える人が未だ観測される事がある。
英語は日本人にとって母国語でないのだから、最初から慣れている訳はない。
細かい部分ばかり気にして間違わないようにばかり考えると、緊張感が強すぎて身動きがとれなくなり慣れる前に慣れる行動さえ取れなくなってしまう。これが完璧主義の弊害である。
ここから完璧主義の蔓延ウイルスについて書こうと思う
少し前、岸田首相が米国でスピーチしている映像や記事が流れてきた。SNS中では私の嫌だなあと思う英語警察、訳して完璧主義蔓延ウイルスが目についた。
こういう細かしいことを言う人が減れば、勝手にみんな簡単に英語が使えるようになるとさえ思うから根絶できないだろうかと……
私は、学生時代から英語を身につけたいと積極的に外国から来た先生に話しかけていたのだが、その時に陰でチェックし勝手に細かしく採点するように評価する人達が必ずいた。そんな事がよぎってしまう。あの時からあった厄介なものだった
ちょっと間違っただけで大騒ぎしたり、かといって上手くできると笑われたりなど何かにつけて息苦しい感覚を覚えた。
そんな日々を思い出して不快感を抱いた。
しかし、当時私の周りにいた多くの英語警察は私よりも圧倒的に英語を使えない人達だった。
どうせそういう人達は、今も流暢に話せないだろうと思っている
「スピーチの練習をしているけど、英語力はあるのか?」
「意外と、日本人発音だ。アクセントがある。」
「ゆっくりでも通じるから、私たちも安心」
などのただただどうでも良い事ばかりが、岸田首相のスピーチの感想として連なっていた。
海外に住んだこともない、外国人と接したこともない言語勉強オタクの言語コンプレックスが書き込んでいるのが非常に良く分かる。そして、絶対に大して英語が使えない人が書いているんだろうなと理解できる。
まず、英語圏の英語ネーティブスピーカーでも英語力には大変大きな幅がある。語彙力が豊富な人もいればそうでない人もいる。岸田さんのようにネーティブでも話せない人は沢山いる。
人前で即興で話せる人もいるのだが、随分と構成を練り練習してスピーチする人は珍しくない。重要な場だったらむしろ練習してから望む人もまあいるだろう。
しかも、各地域のアクセントは本当に多く様々。そしてアクセントを消すということは、どこかの地域のアクセントに合わせること。米国や英国内でさえ多くの訛りがある。アクセント警察している人の中で、どこの層に合わせるとか判断出来る人ってどれほどいるだろう…
英語は、リズムや抑揚そして強弱を使い分けているから聞き取りやすくなる。
スピーチなら、なるべく万人に分かりやすくするためにゆっくり大きな声で、癖を減らすように簡単な単語を用いて話すもの。
一流の人であればあるほどそういう訓練を受けるので、それが当然となっている。これは、大統領の選挙戦を見てみると分かる。
そして、あの人はどこどこ風の訛りとか優秀な人であればあるほど思っても言わない。自分もアクセントがあることを知っているためだ。
だから、無意識か意識しているかその当人でないと不明だが、分かりやすくするため精一杯の工夫をしている。
みんな人と接するうちに、自分達なりの通じやすい方法を身につけている。
世界のいろんな人と英語でコミュニケーションする人は、そうしなければ生きていけない。しかも、耳も良くひとつの癖のしか聞き取れないとかはあまりない。得意不得意はあるだろうが…
しかし、日本人は簡単にどこどこの訛りが聞き取りにくいとか直ぐに口に出す。
けれど、実際は日本語アクセントというのは英語圏の音とかけ離れすぎている。音的にもかなり離れていて、人についてとやかくいうレベルの類ではない。インド人や東南アジア人が分からないとか言う人がいるけど、日本語訛り英語の方がよほど分からない部類が事実。
けれど、なぜかかなりネーティブにも聞き取りやすい部類の人には少し日本語訛りがあるなどと、非常に細かしくチェックする。
あんまり細かすぎると碌でもない……
どのアクセントを基準にしてどのくらいどこが違うかなんて言えないし、多分なんとなく言っているだけだろう…いつも聞いてるこれと違うくらいの感覚……教材だろうか……
英語圏の中に突っ込まれるとおそらく何も聞き取れない人達が言ってるのかな?と想像に難しくない。
こういう細かい指摘とかする人ばかりいると、それが目に入ってくるので、英語に慣れるために口に出すことさえ億劫にもなりかねない。
ただでさえ、控えめな人が傾向として多いのに足の引っ張りあいじゃないかと毎回あまり良い気分がしない。
私はオーストラリアにいた時、語学学校に通ったこともあるが、日本の生徒は他アジア人の生徒に比べ、声に出せば出すほど他人が細かくチェックばかりしていて、居心地が悪いなと思っていた。
私が会ったアジア系は、少し出来るようになる人がいると、みんなで褒めて出来る人が仲間に教え皆んなで上手くなるみたいなコミュニティがある国も多かった。
なのに、日本人の多くは他人にも自分にも細かく、独自理論の「謎」な完璧主義を持ち込んでチェックしていた。そのため、互いに監視状態のようになり、慣れるようになる前にオドオドしていて躊躇っている傾向の人が目立っていた。
完璧主義なのでテストの点は割とよくても、上のクラスになればなるほど日本人はいなくなった。
細かいエラーや独自の固執した狭い考えを捨てなく、周りばかり気にしている。そして勝手に互いに細かしくチェックするような状態になり、それを気にして自分で表現する練習を避ける。
それで慣れるまで至らなくなってしまう。
英語はアクセントまみれだったとしても、出来るようになっていく人間は、周囲に通じやすいような状態を工夫しながら身につけていく。
最初は限られた単語数でも、使いながら色々覚え身につけていく。言葉が思いつかなくても知っているものを組み合わせ、最初は片言から始まり徐々に増えていく。
聞き取れなくても、あまり気にせず懸命に耳を傾けるうちに色々な癖が分かるようになる。
ものには順序があり、最初から身につく人などいるわけもない。
点数取りの練習しかしていなければ、点数を取れるだけ。人前で話さなければ人前に慣れないし、あまり使わない単語は覚えても忘れる。色々なアクセントを知らなければ特定のアクセントしか聞き取れない。これがどれだけ困ることかも分かっていないレベル……
多くの人は平凡で、特殊能力などない、
やらない事は伸びないし、使わなきゃ慣れない。
完璧主義になり自分と他人の粗探しをしている前に、良いお手本を味方につけ学び練習し使って慣れないと難しい。