幸せと感じるということは

昨日の記事で、自分の強みが自分の希望と違うとがっかりしてるときに、家族から「現状の役割と強みがとてもあっている」とアドバイスされ、その際に何か幸せだと感じたと書きました。

一体なぜ幸せと感じたのでしょうか。

この出来事には、
1.「現状の役割と強みがとてもあっている」と言われたことで、今の状況が自分にとって強みを発揮できるベストな環境だと気付いたから
2.またネガティブ思考をくり返す私に対して、家族からポジティブ思考な意見をもらったから
3.家族には私のようなグレーゾーンはいないと感じた上に、人を思いやって意見できるような人であったから

と、色々な要素が含まれていると考えています。
この中で、その状況で一番最初に何か暖かく感じたのは3です。その次に1。今こうして、その状況を思い出し、書くことにより頭を整理したうえで、はっきりと3だと確信しました。

この時に私が幸せだと感じたのは、家族がこのように暖かい意見を言えるなんて気づいていなかったが、そんな人になってくれていたのかと嬉しく思いそんな家族をとても満足に思った訳です。
では嬉しいと感じることは=幸せなのでしょうか。

「嬉しい」とは「良いことがあって喜ぶこと」
「幸せ」とは「満足な状態であること」

今回の場合、「私が幸せだと感じた」と思ったのは、家族が思いやりのある人になっていることが良いこととして嬉しく思い、私としては家族がそのような人になっていることにとても満足したから、ということでしょうか。

ワタクシ、自分の事じゃなくても幸せを感じることが出来る人間なんだと確認出来、そこはちょっとうれしく思っています。

あとは自分の事でも幸せを感じられるようになりたいです。

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