嫌な出来事の考え方

ここ最近、嫌な出来事があり、
むむむ…となっていたところだったが、最近出会った人の言葉で、
ああ、そういうものだよな。と思えたこと、
昔はそういう考えもしていた、ということを思い出させてくれたことがあった。

人間関係、全ては言葉のキャッチボールができるか、できないか。そのキャッチボールが上手くいかなく、相手に負の感情を抱く。
上手く投げてくれない、受け取ってくれない。
相手はべつに嫌なやつではない、キャッチボールができない相手なだけ。相手のせいでもない、自分のせいでもない。

とっても簡単に自分なりのアウトプットだと、こんな話だった。

確かにそうだ、と思った。

大きな声で明らかに私に向けていい放つ人がいる。
しかし、私相手でない人に大声でいう。
私の愚痴、文句(となると、もう私には悪口でしかなかった)をずっと話している人がいる。

なぜ、そんなあからさまに文句をいうのだろうか
直接言わないのだろうか

その相手がそのような態度になったのは最初のキャッチボールが上手くいかなかったことが原因。

ただそれだけ。

その大声の文句も相手に言わせればきっとボールを投げているのだ。
そして私は受け取らない、受け取れない。
とっても酷いものだから、受けとる気力も無くなってしまった。

また新たに関係性を始められるかも…とも思ったが、何だかんだ怨みつらみを感じてしまうとやはり無理だなぁと思ってしまった。

ただ、この考え方によって
相手が悪いと思っている自分がいて、苦しかったのでとても楽になった。

昔、幼い頃は平気でこのような考えで過ごしていたのに、大人になるとどうして相手のせいにしてしまう思考になってしまったのだろう。
とりあえず、思い出せてよかった。