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「初恋リアルタイム」第1話

 大学生になり、友人関係で悩む森下美岬は、同じ学科の佐久間彩都に一目惚れをする。美岬は、彩都と関わることで、自分の本当の気持ちや弱さ、醜さに気づいていく。学科内にカップルができ始め、焦りを感じた美岬は、彩都をデートに誘うも、まさかの玉砕…
「恋愛はいつか終わるものだから」と彩都への思いを断ち、友達として付き合っていくことを決める。
 彩都への恋心を振り切った美岬は、彩都との親友のような関係を大切にしたいと思うのだった。一方、彩都は、あることがきっかけで、美岬に対する恋心を自覚する。
 好きだから恋人になりたい彩都と、好きだから友達としてずっとそばにいたいと願う美岬のすれ違いリアきゅんラブストーリー

人物紹介

〇森下美岬/もりしたみさき
・18歳 女性 大学一年生
・SSOY(SUNスマイル外交オタク気質なイエスマン)※MBTI風性格タイプ
・頼みを断れない性格で、自分に自信がなく他人の目を気にしてしまう

〇佐久間彩都/さくまあやと
・18歳 男性 大学一年生
・MKZI(MOON個人主義な残念イケメン)
・人は人、自分は自分と割り切り、物事ははっきりと発言するタイプ

〇橋場歩/はしばあゆみ
・27歳 男性 高校の数学教師
・E???(EARTH???)
・美岬の高校2年生の時の担任(恩師)
・当時、生徒である美岬に対してある思いを抱いていた…?

〇原田悠真/はらだゆうま
・18歳 男性 大学一年生
・O???(OCEAN???)
・美岬や彩都と同じサークルの同期。美岬のことが気になり始め…?

★あらすじにある〝リアきゅん〟とは、リアルできゅんとすること。
 リアルでは、タイミングや、心境の変化、環境、自身の臆病さによって、咲かずに枯れる恋の種は多い。
 運命の人がわからない現実で、葛藤し、恋を自覚し、愛を育んでいく。

 恋愛を通じて、自分の弱さと向き合い、人と繋がる尊さを知って、成長していく美岬を、一緒に見守っていけたら幸いです。



 星空を眺めると、あの夜のことを思い出す。あれから何度、綺麗な夜空に出会っても、あの日の流星には出会わない。

 私の人生最高の星空を、早く、あの夜から更新したいと願っても、今でも、私の中で輝き続け、胸を締め付けて苦しくするのは、あなたと眺めた流星の宙(うみ)だけ。

 運命の人がわかれば、こんなに苦しい思いはしなくて済んだのに。始まらなかった恋愛は、私の中で美化され続け、未練という呪いをかける。

 始まらない恋が一番終わらない。


[第1話]初めて、一目惚れをした日


「みさきぃ~昨日のノート見せて」

 りさの甘ったるい猫なで声が、私の頭上から降ってくる。大学に入学して、まだ一か月も経っていないのに、彼女たちは、自主休講Lv.5、重役出勤Lv.20とレベル上げに成功し、〝人生の夏休み〟を謳歌している。
 私は、そんな彼女たちが、適度に遊びつつ単位が取れるように調整する休息スポットの役割を果たしているようだ。
 ノートを見せたって減るものじゃないし、自分のためにとったノートが人のためになることは喜ばしいことだ。
 そう考えながら、りさにノートを渡すと、後ろからカシャカシャとカメラのシャッター音が聞こえてきた。振り返ると、彼女は、私のノートの昨日のページを一枚一枚、丁寧に写真に収めている。

「何してるの?」

と私が聞くと、

「写真とって、後で拡大コピーして、ノートに張っつける。頭いいっしょ」

とのんきな答えが返ってきた。たしかに、効率的かも。

「みさきノートフォルダ!」と、じゃーんという効果音付きで彼女が見せてきても、何も感情が沸かず、「すごいじゃん」ととりあえず応えた。

 窓の外では、木々の若葉が風に揺れて涼しげになびいている。田舎から一人、都市の大学へ進学したため、入学当初は、友達が一人もいなかった。
 オリエンテーションの時、たまたま隣に座ったりさに声をかけ、今は、りさのグループに居候させてもらっている。
 地元は、外を歩けば必ず知り合いと遭遇するほど、狭く小さい町だけど、ここでは、交差点を渡っても横切るのは同世代の他人だけ。しかも、同い年なのに、なんかキラキラして年上に見える。
 綺麗なブロンドの髪をなびかせ、瞳の色を変え、まつげをこれでもか!というほど盛り上げたりさには、しばらく敬語が抜けなかった。
 結局、「タメなのに敬語ってキモい」というりさの一言で、タメ語を習得せざるを得なかった。

 午後の授業から、あかねとまいが合流し、私の後ろに座る彼女たちは、りさから私のノートの写真をもらっている。

「りさ、ナイス!ありがと」

「このフォルダうちらで共有しようよ」

 キャッキャッ話す彼女たちの声を背中に浴びながら、私は、講義に集中する。ただでさえ、この授業は板書の量が多く、教授とのレースなのだ。

 別に、悪い子たちっていうわけでもない。〝ありがとう〟もちゃんと言える。りさにだけど。まだ始まったばかりで、合わないかもって決めつけるのは良くないよね…
 なんて考えていたら、板書を写し終える前に、教授がそこ一体を綺麗に消し去り、また新たな文字で埋めている。板書、写真に撮っておけばよかった…あとで、りさにこの部分の写真だけもらおう。
 どの講義でも、彼女たちから聞こえるのは、ペンを走らせる音ではなく、カメラのシャッター音だ。

 チャイムが鳴り、教室から、講義の疲労感と開放感まじりのため息が漏れだす。教授が、前列に座っている一人の生徒に、

「これ、消しといてね」

と、黒い文字で埋め尽くされた高校の黒板の三倍の大きさのホワイトボードを指さす。
 一人で、この量を消すの大変そうだな…手伝った方がいいのかな…と思いつつ、ここで、私だけ手伝って、しゃしゃり出たとか、気遣いアピールと思われるのが怖くて、ゆっくりノートを鞄に片づける。
 りさたちも待たせちゃうし…彼女たちとは、大学の後、外で遊んだことはないのだが、いつも講義室のある建物を出るところまでは同行している。

 そんな見て見ぬふり中の私の横を、軽快な足音とともに、ふわっと風が通り過ぎた。鞄を覗き込んでいた顔を思わず上げる。
 一人の男の子が、スッとホワイトボードの前まで行き、荷物を下ろして、文字を消し始めた。背が高くて、線が細く、手足が長い。黒い短髪は、後ろの方が、少しだけはねている。たしか、同じ学科の人だよね…

 そして、約半分を手早く綺麗に消し、任命された子からの「手伝ってくれてありがとう」も待たずに、教室を去っていった。
 周りの目を気にせず、自分の意志で行動できるのかっこいいな…と憧れにも似た瞳で、消されたホワイトボードの白を眺めていた。

「あ、リュック忘れてる…」

 りさがつぶやく。目をやると、先ほどの彼のリュックサックが、教卓の下にもたれかかったままになっていた。

「せっかく手伝ってかっこよく去っていったのにウケる」

「顔は結構よかったよね。同じ学科だべ」

などとケラケラ笑っている彼女たちをよそに、私は思わず席を立った。

「私、届けてくる!また明日!」

 私は彼の後を追って走った。

 はあ、はあ。息が切れる。彼の鞄を抱えながら、私は階段を駆け降りる。高校を卒業して、まだ少ししか経っていないのに、私の体力はすでに大人たちの仲間入りを果たそうとしている。
 これ、間に合わなかったらどうしよう…
 普通に考えたら、まだ教室に彼の知り合いが残っていたかもしれない。その人に連絡を取ってもらった方が確実だったかも。
 最後の直線を駆け降りようとした時、筋力に限界がきて、足がもつれた。やば、落ちる…

 そう思って目を閉じた瞬間、ガシッと肩を掴まれて、私は、その場に留まることができた。

「大丈夫?」

 声が、つむじにぶつかる。ハッと顔を上げると、彼の顔が目の前にあって、私は驚いて、また足がもつれそうになった。
 彼が、私の肩を強い力で支えてくれたため、転びたくても転べなくて、彼との距離は、彼のリュックサック一個分だ。

「ありがとう。駐輪場のとこで気づいた」

 笑いながら、彼はリュックサックを受け取った。
 彼に鞄を届けるという使命感は、リュックの重みが私から離れたと同時に消え去り、ふわふわした気持ちが沸き上がってきた。肩にはまだ、彼の手の感触が残っている。体温が急速に上がるのが、分かる。
 走ったから当たり前だけど…というか、私の顔、前髪、変じゃないかな…

 右手でさっと前髪を直しながら、会話のキャッチボールが、私の方で止まっていることを思い出し、慌てて投げ返した。

「同じ学科だよね?森下美岬と言います。よろしくお願いいたします」

 投げて、気づいた。堅苦しすぎる。ボールが枠から思いっ切りはみ出したところに飛んでいっちゃう…

「佐久間彩都です。よろしくお願いいたしします」

 彼は、〝いたし〟をやたら強調し、深々と頭を下げる。
 規律的な動作を終えた後の彼は、いたずらな笑みを浮かべていて、私もつられて口角があがってしまった。

「板書消してくれてありがとう」

 尊敬を込めて、感謝の意を表した。私、あなたと仲良くなりたいです。

 彼と一緒に講義棟を出た時、りさから着信がきた。

「みさき、今日空いてない?新歓行こ!」

 ソフトドリンクで、酔っ払いたちと渡り合い、関係の発展しない今日限りの人たちと触れ合って、何が楽しいのだろう。
 りさから人数合わせ(女の子3人呼んだら、食事代がタダになるらしい)で呼ばれた新歓は、熱気とお酒の匂いと、パーソナルスペース皆無な人々に囲まれたせいで、ソフトドリンクで気持ち悪くなり、理由をつけて途中で帰った。ゴハン代は請求されない気前のいいサークルではあったけど、そのサークルの活動内容は、最後まで分からなかった。


「れん先輩結構、かっこよかったよね」

「遊んでそうだけど、あの顔だったら許せる」

「レイン聞いたらフツーに教えてくれた♪」

 次の日の教室で、りさたちが楽しそうに話すのを聞きながら、私が途中退場しても、彼女たちの享楽が削がなかったことに安心した。
 それから連日、りさたちに、コンビニスイーツ同好会だの、映画鑑賞同好会だのの新歓に連れて行かれたけど、彼女たちは、サークルの活動内容よりも、イケメンな先輩が何人いるかのほうが気になるみたい。
 そういえば、高校の先輩が、何やってるかわからないサークルはやめとけって言ってたっけ?映画は好きだけど、大勢の他者と一緒に観て、作品に集中できる自信が私にはない…


「サークル決めた?」

 斜め前の席で、一人の男の子が、佐久間くんに話しかけている。私は、顔の向きは変えずに、意識を彼らの会話に傾ける。

「テニス!高校の先輩がいるとこ」

 そう答えた、彼と目が合った。
 無意識に彼の方を見てしまっていた私、アウト!なんて、心のなかでツッコミを入れながらも、目を逸らせず、ニコッと微笑で応える。

「森下さんは、サークル決めたの?」

 初めて、彼に教室で話しかけられて、呼ばれた名前が、私のなかでふわりと舞った。

「まだ、今色んなとこ見てるとこ」

 一音一音が、妙にこわばる。息が詰まりそうになる。
 でも、嫌な感覚じゃない。

「じゃあ、今度僕のところも見てみない?」

「うん、みたい」

 彼は、頷く私に笑顔で応え、もう一人の男の子と、教室を後にしてしまった。あ、連絡先聞きそびれちゃった。
 学科のグループレインは、入学早々に誰かが作ってくれていて、その中に、私も、彼もいるけれど、勝手に追加してもいいのかな?

 りさたちも誘ってみたが、「日焼けするし暑そー」という理由で断られてしまった。

 その日の夜は、学科の親睦会があって、私は、りさたちと大学近くの大衆居酒屋へ向かった。
 幹事の子が、お店の入り口の前で待っていて、ビニール袋に入ったくじを差し出す。

「テーブルに番号書いてるから、そこ座って~」

 すでに、席はほとんど埋まっていて、人にぶつからないように、座席の番号を確認するのは、骨が折れる。
 隅っこに、一人分の空間を発見し、もしやと思い近づくと、私の番号がそこにあった。一方、りさたちは、中央のテーブルに自分たちの座席を見つけ、ワイワイ騒いでいる。
 端っこ、最高。落ち着く。同じテーブルの人に「よろしくお願いします」と声をかけながら、ゆっくり席についた。
 あたりを見渡しながら、つい、彼の席を確認してしまう。
 彼は、りさたちの隣のテーブルに座っていた。右隣が男子、左が女子、前も女子…女の子の方が多い学科だから、仕方ないんだけど…隣に座る男の子の発言に、周りの子と一緒になって笑っていて、つい、気になってしまう。他の子たちと何を話しているのだろう。

 親睦会も中盤になって、全体での席替えはないものの、ちらほら席を移動する人が現れて、私の隅っこのテーブルは人がまばらになり、一方で中央のテーブルに人が集まり、賑わいを見せていた。
 彼と話したいけど、席を移動する勇気はないし、このテーブルに座っている人にも申し訳ないし…


 私の向かいの空席に、彼が座った。

「トイレ行ったら、席埋まってた」

「あっち賑やかだもんね」

 前に座る彼の手元を見ながら、動揺を悟られないように応える。

「でも、僕は、こっちの方が落ち着く」

 お酒を飲んでいないのに、頬が熱くなるのは、なぜでしょう。
 彼の、切れ長な瞳のカタチも、その瞳にかかる漆黒なまつげも、グラスを持つ細い指も、私の心臓を撫でて、くらくらさせる。
 彼のシャープな二重幅に吸い込まれたい。


「みさきぃ~」

 聞き覚えのある猫なで声が、私の横腹を突く。
 声の方に目をやると、りさ、まい、あかねが、三人でひとつの何かになろうとしているようにくっつきながら、隣に座ってきた。

「今日、みさきの家泊めてくれない?」

 電車通学の彼女たちは、終電を逃したため、今日泊まる場所がないと言う。ついに、本当の意味での休息スポットとしての役割が回ってきた。
 ワンルームに女子4人、ベッドはシングルだし、まだ来客を迎え入れる備えはない。でも、終電のない彼女たちを、見捨てるわけにもいかない。
 こういう時だけ、私をぬかりなくグループの一員として扱ってくれるのだ。毎日の講義ノート、〝女子三人連れてきたら〟の一枠としての新歓、終電以降の宿泊先…
 それにしても、彼女たちは、断れない頼みを私に投げるのが上手い。主導権は、私が握っているはずなのに、私はイエスマンに徹してしまう。
 これは、彼女たちがというより、私の性質のせいだ。私は、人からの頼み事を、正当な理由か、他者のせいか、同情を誘う理由がないと断れない。

「大丈夫だよ。ベッドに4人で寝ることになるけどいいかな?」

 結局、笑顔で応じてしまう。自分で発した〝大丈夫〟は、鰯の小骨のように喉に引っ掛かり、ぬるい不快を生み出す。
 それでも、また引っ掛かるとわかっているそれを、そのまま飲みこんで、無理やり流して美味しいって言うんだ。

「ありがと~」

 彼女たちは、猫のみたいにゴロゴロと鳴き、中央の賑わいに帰っていった。

 なんとなく、このやり取りを彼に見られたくなかった。後ろめたさにも似た気持ちに覆われる。
 彼を見ると、彼は、真剣な表情で、私をじっと見つめている。
 目が合わせられなくて、間が持たなくて、さっき彼女たちに向けたように、無理やり顔を曲げて笑って見せた。

「森下さんのそういう時の笑顔、キモいよ」


…………誰の、何が、キモい? え、笑顔? 私? 気持ち悪い……?
言葉というより、言われた状況が理解できず、私は、店を飛び出していた。
 飛び出したと言っても、あくまで周りには気づかれないように、空気が抜けるように自然に外に出る。
 きっと、私が無理して頼みを引き受け、作り笑いを浮かべているのを悟られたんだ。嫌なやつって思われたかも。
 笑顔で自分を守るくせに、被害者面をする自分の惨めさに涙が出てきた。笑顔って、それ以外の表情よりも、楽なのかも。

 夜なのに、チカチカする街の明るさが痛かった。

**

「彩都って、何考えてるか、わからない」

 前の彼女からそう言われて振られた。僕は、いつも自分の思ったことしか口にできないのに。正直に言ったら言ったで、結局泣かれるから、必要最低限のことしか伝えない。その結果がこれだ。
 言いたいことを言えなくて、いつもは笑顔で取り繕うくせに、限界が来たら、泣くことしかできないのは、彼女たちの方で、僕は、そんな彼女に甘いうわ言を並べて寄り添えるようなデキた彼氏にもなれない。

 でも…さっきの発言は、失礼すぎた。まだ、知り合って間もない女性の笑顔を〝キモい〟と言ってしまった。
 向かいの彼女の空席を見つめる。
 真面目にノートをとる姿勢が綺麗で、窓の外の景色を眺めて優しい表情をする。初めて、話した時、息を切らしながら、僕にリュックを届けてくれた彼女は、僕のささいな冗談に、たんぽぽのような笑みを浮かべた。
 それから、なんとなく彼女を目で追うようになって、そして、気づいた。
 彼女には、2種類の笑顔があることを。自然に咲く陽だまりのような笑顔と、周りから求められている時のつめたい笑顔。後者の笑顔を浮かべる彼女を見ていると、かさぶたを撫でられるような居心地の悪い気持ちになる。
 それが重なって、つい、本音が漏れた。彼女は静かに席を立ち、平静を装いながら外へ行ってしまった。

 また、同じ失敗をしてしまったかもしれない。
 でも、正直、過去の失敗に対して悔いはない。
 自分は嘘を言ってはいない。彼女たちが、どう感じるかは、彼女たちの問題で、僕にはどうしようもできない。
 でも…森下さんには、僕のこと勘違いされたまま終わりたくない。
 僕は、彼女を追った。

 店の中も外も、学生やサラリーマンの無駄に張った声ばかりで、夜なのに、明るい。僕は周囲を見渡す。


「森下さん!」

 彼女は、店を出てすぐの公園のベンチに座っていた。
 こんなところに一人でいたら、変な人に絡まれるかもしれない。すぐに彼女を追って正解だった。

 僕の声に振り返った彼女は、驚き、慌てて顔を隠した。僕に見えないように、涙を拭う姿がいじらしい。僕も、気づかないふりをした。

 もう一度振り返った彼女の瞳は、みずみずしく艶めいていたが、やはり先ほどと同様に、口角を引きあげて僕を見る。
 僕は、その笑顔を見ると心が苦しくなる。

「さっきは、ひどいことを言ってごめん」

 発言を取り返そうと、言い訳を並べたくなってしまうのを、飲み込んで、一番言いたかったことを伝えた。

「ただ、森下さん、無理しているような気がして…」

 そうやって他人の期待ばかりに応えて辛くないの?

 彼の声が聞こえて、私は驚いた。泣いているのがばれたら、余計に嫌われてしまうかも…

 急いで涙を拭うと、彼は、先ほどの発言に対して、私に謝罪を述べた。表情から、憂いているのが伝わる。その顔を見て、私は少し嬉しくなる。
 彼の発言には、驚きはしたが、的を射ているのは確かで、自分の未熟さが恥ずかしい。彼が罪悪感を持つ義理はない。

「佐久間くんの言ってることは、間違っていなくて。無理して笑ったのもほんと。この涙は、自分の不甲斐なさが嫌になって出たもので、佐久間くんのせいではないから」

 そう伝えても、彼の表情は、まだ晴れない。追いかけてきてくれて、心配までしてくれて、今はその事実に、心が躍ってしまいそうなほどなのに。

 気づまりな空気に耐えられず、ふと、彼の足元を見る。白い靴下は、外の明かりを反射して、おぼろげな光を放っている。……白い靴下???!

「佐久間くん!靴!!」

 私の急な大声に、彼は驚き、白い靴下をはいた彼の両足がぴょんと跳ねた。土で、すこし汚れている。スニーカーはどこにも見当たらない。

「靴履くのも忘れて、出てきちゃった…」

 自分のことなのに信じられない…とでも言うように落胆した声が彼から漏れる。

 緊張の糸がほどけて、笑いがこみあげてくる。肩が小刻みに震えだす。
 靴を履かず飛び出す彼の様子を想像してしまって、あ、やばい。
 嬉しさと可笑しさのあまり声にだして笑ってしまった。

「だから、残念イケメンって言われるんだよな…」

 私につられて笑う彼が自虐する。
 私の隣に座り、はあ、と派手に肩を落として見せる。その瞳を私に向け、彼は、少年のようないたずらな笑みを浮かべる。
 二人の笑い声は、夜のにぎやかな空へ飛んでいく。


「でも、佐久間くんが言ってくれて、気づけた。私、人の期待に応えてないと、自分が見えなくなっちゃいそうで、不安になって…」

 いい人の仮面を手放せない。何年もかけて被り続けたその仮面は、皮膚と一体化して、彼の言葉がなければ、気づけなかった。
 他人の期待に応えるだけの人生は、楽なのかもしれない。
 けれど、心の表面は、ストレスのない綺麗な上澄みなのに、深く潜ると自分が真っ黒なことに気づいて、ますます私の中で乖離が進んでいく。

「笑顔で逃げてた。でも、これからは、嫌だな~って思うことは、なるべく無理しない!」

 私の言葉に耳を傾ける彼は、そのまま包み込まれたくなるほど、やわらかい顔をしていて、胸がキュッと締め付けられる。
 私のこと、子犬か何かだと思ってます?この表情を、独り占めしたい。

「戻ろっか」

 彼の声で、同時に立ち上がる。白い靴下の彼と、黒いパンプスの私。
 立ち上がって、またクスッと笑っちゃう私たち。

「あ、ちょっと待ってて!」

 私は、彼に一言言って、公園の隣のコンビニへ向かう。

「はい。追いかけて来てくれてありがとう」

 そういって、コンビニの靴下を渡した。最近のコンビニの品揃えの良さには、感嘆する。

 彼は、「ありがとう」とそれを受け取ったが、しばらく黙ったままパッケージを凝視している。

「これ、キッズサイズ…」

 こんな小鳥のようにか細い声が、彼から出で来るなんて…
 自分の失態も相まって、私たちは、また笑った。最近のコンビニの品揃えの良さには、ほんと感嘆する。

「ごめn…」

 笑いながら、もう一度コンビニへ向かおうとすると、彼に腕を掴まれ、止められた。

 彼の熱が、伝わって、私の早くなる心臓の鼓動が、腕から彼に伝わらないか不安になる。
 彼を見ると、彼の肩が小刻みに震えていて、満面の笑みで言った。

「サンダルだから大丈夫」

 あ、サンダルに靴下を合わせるおしゃれなやつ!なるほど!!
 急速に顔に熱が集まる。彼の手から、笑いが伝染して、もうすべてがおかしくて、楽しくて、外の喧騒が遠のいて、彼の笑い声だけが、私の中でこだました。

「連絡先、追加してもいいかな?」

 彼からの提案を私は、快く引き受けた。

 結局のところ、私は、彼女たちを家に泊めた。一度、承諾した責任は取るべきだと考えたから。
 シングルサイズのベッドは、女の子3人が限界で、私は、ベッドを彼女たちに譲り、クッションを集めた簡易なベッドをつくった。床の固さも、今日は気にならなかった。彼との時間の余韻に浸って、つい口元が緩む。

 ピコンと、小さくスマホが鳴る。画面を見て、顔がほころんで、スマホをぎゅっと抱きしめた。

『まあ、本人たちに直接言えない時はさ、練習として、僕に教えてよ。
 いつでも受け止めますよ。おやすみ』


第2話

第3話

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最後まで、読んでいただきありがとうございます。
また、noteでお会いできますように。

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