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「初恋リアルタイム」第2話
[第2話]空っぽの箱に、あなたと眺めた景色を詰める
「まいのリップ、デアールの新作じゃない?いいなあ~」
「先月のバイト代で買ってえ~」
語尾をけのびさせながら、今日はめずらしく三人とも午前の講義に参加している。
この手の話題に疎い私は、こっそり、デアールのリップを検索する。
リップ一本5000円?!漫画10冊買えるじゃん…
大学生になり、エチケットとして化粧をするようになったけど、化粧水、乳液、日焼け止め以降の工程がわからず、ベビーパウダーをはたいて、あとは高校の友達がドラヤマでそろえてくれたコスメ一式に頼り切っている。
興味がないわけではない。憧れもある。
でも、デパートに並ぶ輝きに満ちたコスメと自信に満ちた店員さんを見ると、私だけ異星人のような気がして、聞こえない笑い声を察知して被害妄想に浸ってしまう。
そわそわして落ち着かないデパートより、たくさんの漫画に囲まれた書店の方が心が安らぐ。
ふと、前に座る女の子のペンケースにつけられたキーホルダーが目に入った。あれは、もしや、『恋心』のマナミンでは…??!
「ねえ、これマナミンだよね?恋心読んでるの?」
たまらず、彼女に話しかける。グレーのパーカーにジーンズというシンプルなスタイルに、黒いヘアゴムで髪を一つに束ねた彼女は、先日の親睦会で少し話を交わしたたぐちさんだ。
「うん…」
一度振り返った彼女は、そう端的に応え、私というより後ろにいるりさたちをおびえた目で一瞥し、前を向いてしまった。
あれ…話しかけられるの嫌だったかな…
りさたちは、たぐちさんが彼女たちに向けた萎縮を察知したようで、周囲に聞こえるような声で、
「どの学科にも、ああいう地味な子っているよねえ」
と他人事のように悪意を吐いて、乾いた笑い声をあげていた。
「勉強しに来てるのに、オシャレって必須なの?」
一瞬、誰の声かわからなかった。
彼女たちの笑い声が止み、周囲の視線が、私自身に集まっているのに気づいて、声の主が自分であると自覚した。ど、どうしよう…口に出していた。
悪意を持って、本音を吐いてしまった。
後ろに座るりさたちがどんな顔をしているのか、怖くて見れない…
顔がこわばり、一息ほどしかない沈黙は、永遠に続く残酷さを秘めていて、呼吸が苦しくなる。
「必須って!みさきウケる」
りさが、私の肩を大げさに叩きながら笑う。じーんとした痛みが、私の内部に浸透する。私は彼女の対応の意図がわからず、彼女に合わせて笑うことしかできなかった。
まいとあかねも私と同じように、りさに合わせて笑った。
「りさ、さっきはごめん」
お昼休憩になり、二人で売店に向かう廊下で、私は、りさに謝った。
「あれ、本音でしょ」
私を見つめながら、りさは言う。見透かされているような気がして、実際、本音だったことも確かで、私は俯いた。
「ごめん、責めるつもりはなくて。もともと、みさき、うちらとノリ合わないかな~とは感じてたの。でも、みさきの優しさに甘えてた。ごめんね」
りさの言葉に、私は驚きを隠せなかった。
彼女がそんな風に考えていたなんて…
返す言葉が見つからず俯いたままの私に、りさは、笑って、また私の肩をバシッと叩いた。
「グループで縛ってるつもりないからね」
鈍い痛みが、じわじわと打ち寄せてくる。急に、私と彼女の間に、相容れない何かが生じた気がした。
自分の罪悪感を庇うような謝罪を述べ、本心を見透かされた途端、扉を閉めて自分を守る。腹黒いという言葉があるけど、私のは、腐敗した黒だ。
その日の放課後、私は、佐久間くんが所属するテニスサークルの見学に一人で行った。
りさと売店から戻った後も、彼女たちと、いつものように講義を受けた。しかし、さよならは、講義棟の出入り口ではなく教室で行われた。
すりガラスのような薄い壁が、たしかに私と彼女たちの間に建設され、居候という身分の違いをはっきりと思い知らされた。
これもすべて私のせいなんだけど。
時間になり、大学内のテニスコートに向かう。
校内は、多くのサークルのテントが立っていて、ビラを持った先輩が道行く新入生らしき集団を見つけては、引き留めて自身のサークルをアピールしている。りさたちと通った時は平気だったのに、今日は妙に心細い。
結局、学生たちで活気づいた通りをわたる勇気はなく、迂回して静かな細い道を発見し、コートに着いた。
同じジャージを着た集団を発見したものの、近くに行くことすら怖気づく。このまま帰っちゃおうかな…
消化しきれない塊が、食道あたりでつっかえたみたいに、むかむかする。
「森下さん!」
聞き馴染みのある声がして、張り詰めた心が元あった場所に落ち着いていく。私を見つけ駆け寄る彼を、見ていると、炭酸水が弾けるように、内側から好きが沸き上がっていく。
恋に痺れていく。
「今日は見ているだけで大丈夫だから、一緒に行こう」
広がる夕空のスクリーンに彼の笑顔が、反射する。私は、りさたちとの間に落ちた影を心のタンスに押し込んで、彼の背中を眺めていた。
見学が終わり帰ろうとした時に、佐久間くんに呼び止められた。
「どうだった?」と聞く彼に対して、私は、「楽しそうでいいなと思った」と答える。どうであれ、佐久間くんがいるので入ります。心の中ではこう答えた。あ、やってること、りさたちと変わらないじゃん。
自分のことは棚に上げて、私はどこか、彼女たちを見下していた。見下してないと、自尊心が傷つくから。一人で行動する勇気がなく彼女たちを頼っていたくせに、自分が利用されると腹を立てる。
私は、怒る権利があるほどに、彼女たちと向き合っていただろうか…
「森下さん?」
彼の声で、我に返る。すると、ピコンとスマホが鳴って、あかねから、『今日、泊めて~』と連絡が来た。また、食道あたりがつっかえる。
彼女たちとの間に生じた壁は、私の勘違いだったのだろうか?
けれど、彼女たちに対する自身の汚さを自覚してしまった。考えがまとまらず、グラグラする。
「ウチは、ホテルじゃないですって言ってやったら?」
佐久間くんが、私のスマホを覗き込んで言う。
「いじわるなこと言うのね」
でも、この中で一番醜いのは私かもしれない。
スマホを片手に膠着状態の私に嫌気がさしたのか、彼は、私からスマホをひょいっと取り上げ、素早く何かを打って私に返した。
『ごめん、今日、私、家に帰らない』
「何送ってるの?」
驚く私に、彼は、無邪気に笑う。
「でも、嘘じゃない。今日は、僕に付き合って」
私は、彼に連れられて、丘の上の公園に着いた。
ぼんやりと薄い夜の光を纏う空と、街が一望できる。立ち並ぶマンションや住宅の窓から漏れるあたたかな光が、揺らめいて、とても綺麗。
きっと宇宙から見ると、地球は星の大地に見えるだろう。
「こっちきてすぐ、見つけたんだ。僕の家あのあたり」
今夜は、彼の笑顔も街の煌めきも、目を背けたくなるほど眩しい。
そんな光におびき寄せられた蛾みたいだな、私って…
「こうしてみると、窓の明かりの数だけ人がいて、人生があって、きっと、みんな何かと戦って生きている。そう思うと、自分は、たくさんある事象のうちの一個体でしかないって思えて、逆に安心するんだ」
一呼吸おいて、彼は続けた。
「自分を守ることは、逃げではないよ」
大きな波が打ち寄せてくるように、満杯だったコップが倒れて水をまき散らすように、たくさん詰め込んだタンスからものがあふれ出すように、感情のダムが破壊され、涙が溢れた。
この街に来て、ずっと一人だった。友達を作ることさえままならない自分に、嫌気がさして、苦しかった。
私を、ちゃんと見てくれる佐久間くんに、私は、また救われている。
「ぼっちって思われるのが、恥ずかしくて、私もりさたちと、ちゃんと向き合おうとせず、彼女たちを利用してたの」
彼に、どう思われてもいい。今、自分の醜さと向き合わなかったら、私は、ずっと嫌いな自分のままだ。
震える声を、なんとかつなげて言葉にする。
「よく考えたら、りさたちの苗字も、名前の漢字も自信がない。最低だよ」
いい人の仮面を外した私は、空っぽで、薄っぺらい人形だった。
涙で、視界がぼやけて、街の星明りがより強く煌めく。今日を戦った人々を照らす無数の灯りたち。
そうだ。これからやり直せばいい。今、気づけてよかった。
今度こそ、ちゃんと人と向き合おう。自分と向き合おう。
この景色と、佐久間くんに誓おう。
隣で私が落ち着くまでじっと待ってくれる彼の、横顔を見つめながら、ふつふつと希望が湧いてくるのがわかった。
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最後まで、読んでいただきありがとうございます。
また、noteでお会いできますように。
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