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「初恋リアルタイム」第3話

[第3話]玉のように、美しく砕け散る


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 どうして、そんなに、他人のことで傷つき、涙を流せるのだろう。
 彼女の混じり気のない透明な涙を見ていると、彼女に対する素直な慈しみの気持ちの中に、劣等感のような感情がうっすらと混じっていることに気づく。僕が、人に対してイライラしたり、傷ついたりしないのは、自分の感情を赤の他人にまで回す余裕がないからで、僕は、森下さんのように、人間ができてないのだろう。
 とはいっても、僕は、自分のことがそこそこ気に入っている。他人に依存せず、期待しない生き方は、現代社会をスマートに生きるコツだと思うし、自分にとって大切な人と、そうでない人を線引きすることで、自分の労力と時間を他人から守ることができる。
 だから、彼女のようにまっすぐ気持ちを言葉にして、他人のために自分を犠牲にする危なっかしい生き方を見ていると心配になる。

 僕は、隣で泣いている彼女を見る。彼女の涙は、街の明かりを反射し、流星のように頬を伝ったあと、夜の闇に落ちていった。綺麗だ。
 他人になびかないはずの僕の感情が、湖畔に雨粒が落ちるように揺れた気がした。

 サークル見学の次の日、私は、理沙たちに自分の本心を打ち明けた。
 我慢していた気持ちが積もって、あの発言をしてしまったことを謝罪し、ノートを見せたり泊めたりすることも、利用されている感じがして、嫌だったと言葉にして伝えた。
 自分の気持ちをいざ、言葉にしようとすると、声が震えて、涙が出そうになる。それでも、つたない言葉でもちゃんとまっすぐ伝えられたと思う。

 理沙たちは、私の言葉を静かに聞いてくれた。
 朱音の「そっか、なんか色々ごめんね」の一言で、この時間は終わりをむかえて、私は、結局最後まで居候のままだった。
 でも、今は、これでいい。達成感なんてないけど、今はこれで、大丈夫。

 それから、私は、一人で授業を受けることにした。
 理沙たちとも、挨拶を交わしたり、講義でグループ活動がある時は、一緒になったりしている。今の距離感が、私にとっても、彼女たちにとっても心地よいみたいで、以前より軽やかな気持ちで接することができる。
 佐久間くんも、気ままに私の隣に座っては、サークルでの出来事や、課題の進捗状況を話してくれる。
 素直に嬉しい反面、彼に対する期待ばかりが膨れ上がって、自分の思い上がりを制御するのに、精一杯で、彼の話は半分ほどしか頭に入らない。

 ある日の昼休み、教室で弁当を食べていると、理沙が隣に座ってきた。今日は、朱音も舞も自主休講らしい。

「ね、美岬ってさくま君?と付き合ってるの?」

 理沙の唐突な質問に、私はうろたえる。いやいや!と否定しつつ、顔が赤くなっているのが、自分でもわかる。恥ずかしい。
 理沙は、私の反応を見て、満足げな顔をし、え~どうなの?まんざらでもないんじゃないの?好きなの?が書かれた顔を、私に近づける。
 私は胸がこそばゆくなるのを、ぎゅっと耐えて小さな声で理沙に聞いた。

「まだ、そういうの早いよね…?」

 言葉にすることで、心の中に留めておいた曖昧な気持ちが、既成事実としてはっきりと現れてくる。
 にやけ顔を、さらにニンマリさせて、理沙は首を横に振った。

「もう学科内で3組できてるよ。早くない、早くない!」

 驚く私をよそに、面白い話題を見つけ楽しそうな理沙が、私の耳元でつぶやいた。

「彼女はいないって、前の親睦会で言ってた。さくま君、顔いいし、誰かにとられる前にゲットしちゃえ!」

 家に帰ってベッドを背もたれに、テレビをなんとなく眺めながら、理沙の言葉が、頭から離れず悶々とする。
 学科内で、3組もカップルが誕生していたなんて、大学生の恋愛スピードってそんなに速いの…?
 彼とどうにかなりたいという願望は、正直まだ、なかった。
 今の関係性のまま、少しずつ恋が実っていけたら嬉しい。そんな淡い期待は、現実に打ち砕かれる。
 もし、佐久間くんに、彼女ができたら…え、無理…怖…想像ですら、立ち直れそうにないかも…私は、私の中で増殖する負の妄想を吹き飛ばすようにベッドにダイブした。

 正直なところ、望みがないわけではない…と思う。
 教室で、佐久間くんが、他の女の子と仲良くしているのを見かけないし、親睦会の時も来てくれたし、素敵な場所にも連れて行ってくれた。
 彼にとっても、私は、少し特別な立ち位置だって思いたい…

 ベッドから起き上がり、おもむろにスマホを手に取る。
 電気もつけずじまいの部屋の中に、オレンジ色の夕陽が侵入し、テーブルの上のグラスを染めている。
 私は、ブルーライトを浴びながら、最新の映画情報をチェックする。
 たしか、親睦会で俳優の〇田〇之が、好きって言ってたよね。
 今月上映予定の映画の中に、〇田〇之主演の恋愛映画を発見し、私は、握りこぶしを、某少年漫画の名シーンのごとく掲げる。
 よしっ!佐久間くんを誘うぞ!

 そう意気込んだものの、スマホの画面は、彼の連絡先で止まったままで、気づけば、太陽は当の昔に沈み、部屋は闇夜へ誘われる。
 カーテンを閉め、電気をつける。とりあえず腹ごしらえにと、卵を2つ鍋に入れ、水をたっぷりと入れる。
 冷蔵庫に生卵しかないことを知ったのは、ついさっきのことで、買い物に行く気力も、食欲もない。
 ぐつぐつと、沸騰した水の中を、卵がくるくると舞っていても、私の思考は、彼を映画に誘うミッションで制御されている。

 ゆで卵を半分に割り、一つ目はマヨネーズと塩を少々、二つ目は、マヨネーズと七味でいただく。最近は、この組み合わせしかしない。
 つるりとした白身の上に、なめらかなマヨネーズが乗って、塩や七味が星屑のように散らばる。小さな銀河が、ここに誕生する。
 グルメ小説じゃないんだから、食事の描写はこの辺にして、恋愛小説らしく、彼をデートに誘うのよ!と天の声が聞こえてきそうだ。

 銀河を腹に収め、私は、姿勢を正し、改めてスマホと対峙する。
 深呼吸をして、さんざん反芻した、彼を映画に誘う文言を、もう一度心の中で唱える。よし…

 指先を画面の上で、無意味にふらふらさせながら、ギュッと目をつむって、通話マークを押す。
 着信音が、ワンルームに響く。
 鼓動が、ドクン、ドクンと私のなかで響く。
 やっぱり出ないで…
 いや、早く出て…
 
「はい?」

 佐久間くんの声が、耳元で鳴って、くすぐったい。彼の声が電波となって、私の全身を振動させる。細胞の隅々が、彼の声に集中する。
 さっき復習したばかりの文言が出てこない。

「森下さん?」

 彼の声の奥で、複数の声が聞こえる。
 男の子たちの笑い声と、ゲームの効果音。彼の都合を考えず電話をかけてしまった申し訳なさに、緊張が勝り、私は、冷静さを取り戻す。

「急にごめんね。今後、〇田〇之がでる恋愛映画があるみたいで、一緒にどうかな?」

 束の間の沈黙のあと、彼の言葉が、私を突き刺した。

「ごめん、恋愛映画、あまり好きじゃない」

「そっか、ありがとう。じゃあ」

 頭が真っ白になって、停止しそうになる前に、急いで電話を切った。
 力が抜けて、スマホが手から滑り落ちる。どこかで、断られないだろうという傲慢さがあった。
 たとえ、好みのジャンルじゃなくても、相手に好意があるのなら、きっと断らない。つまるところ、彼にとって、私は、恋愛対象ではなく、友人枠ということだ。

〝好きじゃない〟心臓を爪でかくような響きを持つこの言葉の痛みを、私は知っている。高校生の頃、初めてできた彼氏の最後の言葉が、これだった。

 ゆっくりと深呼吸をする。

 まだ、引き返せる…

 恋愛は、いつかは終わるものだから、これからは、友達として、佐久間くんと仲良くなっていこう。切り替えよう。
 恋に落ちていく前に、知れてよかった。

 おなかの中の銀河が、ぐるぐると渦巻いて、身体が重くなる。
 私は、そのままベッドに突っ伏した。


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最後まで、読んでいただきありがとうございます。
また、noteでお会いできますように。

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