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友人にお題をもらって役に立たない話を書くシリーズvol.8「なんで私って私なんだろう」w/ きりちゃん

前説がだんだん重くなってる説

5月はお誕生月です

今月は実は私の誕生月。ハッピーバースデートゥーミー!!!
なんとなく人に祝われることの多いラッキー月間という認識ですお誕生月って。お店とかでもサービスあったりするしお得なことが多い(笑)。年に1度の抱負と決意は元旦にする派なので、誕生日をきっかけには、そんなにたいそうな抱負もないですが。願うのはとにかく楽しく過ごしたいということ。少しずつでも成長したい。大切な人を大切にして、大切な人に大切にされたい。本当それがすべてです。

「あれ、読んでますよ」

昨日、久しぶりに友人に会ったらこう声をかけられました。あれ…つまりこれです(笑)。note連載、読んでくれてて、とっても的を射た指摘と感想をくれてなんだかめっちゃ興奮しました。実は「役に立たない、意味がない」って一周まわってめっちゃ意味あるよね。みたいなことをこの連載を始める前に話してた友人で、本人も絵を描く人なので、すごくわかり合っちゃったんですよね。散々考えたくせにその結果、成果物に意味を持たせないって、文章でも絵でも実はめっちゃかっこいいよねって。note書き始めたときには、彼にも刺さったらいいなと、ちょっとだけ頭の片隅に置いていたペルソナの一人だったので、響いてくれてたのがとっても嬉しかったです。

だだ洩れな私の下心

「"役に立ちたい心”たまにめちゃくちゃ透けて見えてますよ。」そして「それを意味をもたせちゃいかん!と自制する葛藤と意思もめちゃくちゃ感じますよ(笑)」と。それも含めてエンタメでおもしろい。と言ってくれました。本当に私の心の動きがその通りすぎて、すごく笑えました。それも含めてマルっと楽しむのが、正しい「役に立たない話」の楽しみ方ということで!さてさて、今日は前説も軽めに本題に行きたいと思います。

本日もお題をくれた友人の紹介、お題からインスパイアされた役に立たない話でいきます。「意味がない、役に立たない話」に無駄に意味を付け加えないように(笑)、基本的には一筆書きで、ほぼ書き直しなしで書き上げようと思ってます。意味のなさを、役に立たなさを、楽しんでいただけたら嬉しいです。

今回のお題提供者:きりちゃん

今回のお題提供者は熊本で出会ったきりちゃん。お仕事で知り合ったのですが、とびきり明るくて元気な印象。直接お仕事でからむことはあまりなかったですが、イベントでご一緒したり、仕事周辺での交流が多かった印象かなと思います。前向きで、なにがあってもくじけない強さのある方という印象。私はずっと常に緊張感が結構強めな状況で仕事をしていたのですが、きりちゃんの人の心をゆるめる、相手を緊張させないくだけた雰囲気は、特筆すべき特徴かもしれないです。

難易度高め!?のお題

今回はなかなか難し目のお題でした。きりちゃんからもらった原文ママだとこんな感じ。

子どものころ「なんで私って私なんだろうと」悶々と考えていました。お友達の〇〇ちゃんじゃなくて、私。こんなん考えてたのって私だけ??意味不明なこと言ってたらごめんなさい。説明ちょっと難しい。

今回は、お題からのインスパイアでハラの勝手な拡大解釈でお届けしようかと思っております。子どもの頃に悶々と考えていたこと…という感じの話を書きたいと思います。

子どもって結構大人よね

私は子どもの頃めちゃくちゃいろんなこと考えてました。人と比べて自分がどうなのか?人から言われた言葉の真意、人の悪意…深読み、劣等感、恐怖その他もろもろ。今の方がよっぽど単純で何も考えてないです。というより考えないようにしているし、人の言葉の裏を読むことも敢えてしないように意識してます。今の方がよっぽど無邪気。

褒められたらバカみたいに喜ぶし、いろんな出来事を素直に怒って泣いて、人生を楽しんでいると思います。基本は「言葉通り受け取る」、なるべく裏を読まない。その代わり自分も言葉にストレートな意味しか込めない。相手がたとえ言葉の裏になにかをひそませていてもアホなふりして気づこうとはしないし、相手がたとえ私の裏を読んでも、なにもないようにしてます。言葉にはなるべく他意を含まない、は意識してます。

コンプレックスを明るく語る

まあ、今その状態になれたのは、子ども時代から思春期、大人になるまで死ぬほど悩み、いろんなことに葛藤してきたおかげだとは思います。コンプレックスもなかなか多種多様にあって、根強く大人になっても、なんならつい最近まで?むしろ今も引っ張ってるものもたくさんありますが。今はうまく付き合うことが、随分上手になったなあと思います。

ダメな自分、変な自分、カッコ悪い自分を、「だってしょうがないじゃん、これが私なんだもん」とやっと開き直れるようになったのかなと思うし、それを受け入れられたことをとても幸せなことだなと思うのです。子ども故、大人過ぎて悶々と悩み、考えすぎて迷宮入りしていたそんな時代の話をお誕生月だし振り返ってみますかね。きりちゃんがくれたお題からは、かなり独自解釈してますが、「コンプレックスを明るく語る」を目標に書きたいなーと思ってます。

本題「なんで私って私なんだろう」w/ きりちゃん

猫かわいがりされて育った超末っ子気質

独立するまでは、8年半秘書なんて仕事をしていて、人のお世話をしたり、フォローをしたり、サポート役としてお姉さん的役割をずっとしてました。そして「落ち着いたしっかりした人」に見えるように、24時間365日、一生懸命意識して生きていたので、その時代の知り合いはしっくりこないかもですが。
私、実際には超末っ子気質なのです。お世話なんかするより圧倒的にされるほうがしっくりくるし、むしろお世話されたい(笑)。自分勝手で人にあわせるのも超苦手だし、協調性もあるように見せかけてまったくないし。自分の家族のなかで末っ子なだけでなく、親戚中でも一番の末っ子で、猫かわいがりされて育ってきた子だったのです。

自分のことかわいいと思ってた

母は本当に猫をかわいがるように、「かわいいねーかわいいねー」となでなでしながら言ってくれていたので(笑)、小学校にあがるまでは、自分のことを純粋に疑う余地もなく、かわいいと思ってたんだと思います。かわいい、というのが、たぶん見た目の美醜という意味とは思っていなかったとは思うけども。が、がですよ。そんな少女が小学生になって衝撃を受けるわけです。小学生になって最初に仲良くなった子が、お目めぱっちり、どっからどうみても超美少女だったんです。「〇〇ちゃん、かわいいね」と言われる姿を横で見つめながら、気づく「あれ?私ってそんなにかわいいわけじゃない…のか?」。周囲の評価を聞くことで、かわいいというのが見た目のことを言っているんだと気づき、自分との差に愕然としたんだと思います。

そこから始まる見た目コンプレックス

そうか、たいしてかわいくないのか、私。と気づいたことで生まれたのがこんな感情だったのだと思います。
「あの子、かわいくないから〇〇なんだ」
と思われたくない!かわいくないことをうまく隠さなくちゃ!ちなみに、私、学生時代は一生懸命勉強しました。運動もなかなか頑張りました。純粋に楽しかったのももちろんありますが、若干カモフラージュしようとしてた気持ちも、そこで挽回したかった気持ちもあるのかなと今は思う。方向性あってんのか、間違ってるのかなんとも言えないけど、ベクトルを変えた努力でなんとかしようとしてるとこが、私らしくていいなと思う。グッジョブ幼き私。

美容好きもそこから来てます

私たぶん、今やとっても美容好きに育ちました。基礎化粧品好き。ケア好き。メイク好き。ネイル好き。お洋服好き。美容施術好き。マッサージ好き。小顔矯正好き。…などなど。見た目コンプレックスをばねに、それを少しでも改善してくれると思われるものはたいてい好きになりました。美容マニアの人は、たいていはみんなそういう部分があるような感じがしてます。やっぱりそこにこだわってしまうのは、反面そこに自信がなかったり、補強したいみたいな意志がある人が多いのかなと思ったりする。

「美人」の要素に気づく瞬間

これは、めちゃくちゃ鮮明に覚えてる記憶なんですが、高校生か大学生だったと思うんですが、ある日珍しく代官山に行ったんです。あのオシャレな街、代官山に(笑)。そこですれ違う人がことごとくみんな美人でびっくりしたんですが、そこで思春期の私は気づくのです。「あの人キレイ…」そう思ってガン見してしまう人、振り返ってしまう人の共通点が、顔の造形の美しさではなく、その「肌の白さ」「肌の美しさ」だということに。

肌がきれいならなんとでもなる!

これなら行けると思うわけです。顔の造形は遺伝の要素もあるし、そんな飛躍的な向上は望めない気がするのですが、肌の美しさは結構、努力次第じゃない!?肌がきれいなら「あの人キレイ…」と人に思わせることが可能なのだ、というのは、思春期の私にとっては衝撃的な世紀の発見。かつ燦然と輝く希望に思えたんです。それからは、美肌・美白が至上命題になりました。私、大学生の頃から毎日お風呂でパックするのが日課で、今に至るまでずっと続いています。どんな貧乏生活していた時代も、基礎化粧品だけはいいものを使って大事にケアしてきました。たぶん私の美容の第一指針がその発見で決まったんだと思います。今も「肌の美しさにつながる」そう思えることはなんでも楽しくて、とっても好きです。

ネバーエンティング粗さがし

いろいろ美容もやって、努力もしてきて、でも冷静にジャッジしたら、私は今もこのコンプレックスを克服できていません。つい先日、プロフィール写真を撮りました。フォトグラファーさんの腕にも、ヘアメイクさんの腕にも、とても満足してることを前提として。
自分の粗がめちゃくちゃ今も気になります。「あーここが〇〇だったら」「あそこがもっと〇〇だったら」「なんでこんなに努力しても、こんなもんなんだろ」。定期的に定点観測のつもりで私は自分の写真をプロの手で撮っていただくことにしているのですが、毎回実は写真を客観的に見て、自分の粗を自覚して、それ相応にへこむことを繰り返しています(笑)。むしろへこむために写真撮ってるのかもしれないとすら感じてきた。

コンプレックスは別に克服なんかしなくていい

なんかね、今になって思うんです。コンプレックスは果たして本当に克服しなくちゃいけないのかなと。今はむしろ克服することは放棄してます。だって、コンプレックスがあったから、私は美容がとっても好きになって、美容を楽しむ生活にたどり着いたのです。自分の粗を見つけてはへこみ、そしてそれをちょっとでもよくする方法を見つけ出して、実践して改善につなげる。それってもはや私の原動力になってすらいるのでは?

ネガティブになりすぎず、「おー私ったら相変わらずコンプレックス感じて、いじらしい。かわいいやつめ」そう思えてさえいたら、それはそれで進化の種で、幸せのひとつなのかもな、などと思うのです。子どもの時に悶々と感じてたコンプレックス。成長した今も悶々と抱えてるよ。でもそれほど不幸でもないよ。幼き私にちょっと教えてあげたい真実。

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