迷惑をかけられる心地良さを知って思うこと

迷惑をかけられるのが好きだ。20分の遅刻、お財布空っぽ(お金を貸すのは嫌だ、でもATMを探す時間を割がなければならない状況に強いられるのは◯)、ノーメイク、おにぎりを食べながら待ち合わせ場所に現れる、酔ってべろんべろんな状態で絡んでくる、作ってくれる料理が雑、部屋が散らかっている、等々。もちろん、連帯保証人になってほしいとか言う人とは友達になれないし、インターネットビジネスへの勧誘はやめてほしい。一歩間違えばその後の人生をも変わってしまうような迷惑は嫌いだ。でも、すこし、まじかよ!と思うくらいの迷惑は心地良いと、私は思う。


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昔、20歳年の離れた人と付き合っていた時の話だ。電車の中でスナック菓子をバリバリ食べている。彼だ。すこし経ってほとんど食べ終わると、袋の口に折り目をつけて、残りのかけらを口にザザザと流し込む。私は連れだと思われたくなくて、座席の端に座る彼の方を全く気にしていないような雰囲気で、隣のに腰を下ろしていた。本を読んでいれば、まあ分からないだろうなと思って静かにしていると、話しかけられる。恥ずかしくなる。やめてほしい…。あとはお金を貸していた。ちゃんと返してくれたからいいけど、あれもびっくりしたなと回想する。その他にも色々あった、尊敬できる面があるから一緒にいるのに、これではプラマイゼロじゃあないか?しょっちゅう考えていた。


そんなこんな、なのだけれど、考えがまた変わった出来事があった。人間の考えとは簡単に変わるものだなと思った経験。好きになったら、嫌いになったり、呆れたり、でも有り難く思ったり、人間忙しい。


その日は新宿で映画を見ようと約束していて、映画開始の15分前に、花園神社前で待ち合わせをしていた。どうして待ち合わせが神社前なのかと言えば、喪中の彼の代わりに、私に札を返す約束をしていた為だ。まあそれに関しては面倒ながらも承諾済みで、一体、お賽銭を何円入れればいいのだろうなんて、呑気に考えながら待つ。が、一向に彼が現れない。不安になり電話をすると、他の入り口にいるのだという。しかも彼は喪中の身。神社の中を通ることができないから、私が動いて彼の元へと行くことになった。彼は電話で道案内をしてくれたが、耳からの情報だけを元に行動をすることが苦手な私は、もう完全に道に迷っていたし、後から分かったことだが、彼も彼で、明治通りだったか、新宿通りだったか、忘れたけれど、自分のいる通りの名前を間違えて説明していたそう。そんなもんだから、やっと会えた時には上映開始の3分前くらいで、札を受け取った私は境内を走ってお焚き上げの箱を探して納め、イライラしながら鳥居の外で待つ彼の元へ走って戻った。「ありがとう」と簡単に挨拶をされ、2人で映画館へ小走りするも、信号で足止め。無言になるとイライラした気持ちが高まった。

「私に殺されてしまえ〜」私はそう彼に笑顔で言い放った。もう収まりきらなかった。今までのいろいろが嫌になった。彼は「私もそう思ってたよ」と私の目を見て穏やかな口調で言う。

信号が変わり、また走り出す。とんでもなくひどいことを言って、映画なんて見ている場合ではないのに、時間を気にしていた。映画館に着いてエスカレーターに乗ると、間に合うんだと急に落ち着いて、言葉を選びながら私は彼にゆっくりと謝った。

彼と私は、今は一緒にいない。会うこともない。でも、小さな迷惑をたくさんかけられて、どうにもできない感情が爆発して、本当に酷いことを言ってしまった私を、彼は穏やかに受け止めてくれていた。もしかしたらその時も、彼はムカついて、迷惑をかけられたと思っていたかも知れないけど。

彼と私、どちらの方が迷惑をかけていたのか結局のところよく分からない。ただ私はそれから、小さな迷惑をかけられたら、私もその人に対して同じくらいの小さな迷惑をかけて良い、と思うようになった。当たり前のように私は、人から嫌われるのが怖くて、良い人に思われようとしてしまいがちだ。でもそうすると、上手く喋れなくて、全然楽しくない。迷惑をかけられたから、私も少し、迷惑をかけても許してね、と思って、私は少し自由になる。この感覚はとても心地が良い。心地よい迷惑が、私は好きだ。

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