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映画「MINAMATA」をみて氣づいた私の本音のところ。
前回は私の今までの写真に対して感じてきた想い、変化を書かせていただきました(^-^)
今日は、実際に映画を見終わったあとに、映画の内容から感じたことやこれからのことを書いていこうと思います♪
映画「MINAMATA」を見て。
ユージン・スミスさん、アイリーンさん、水俣の住民に皆さん、チッソの会社の方々・・・色々な拘っている人たちそれぞれの生き様からの学びが深かったです。
写真の視点から私に撮って刺激的だったセリフがありました。
アメリカの先住民は、カメラは被写体の魂を吸い取ると信じ、恐れていた。
だが、カメラが吸い取るのは、被写体の魂だけではない。
カメラマン自身の魂も吸い取ってしまうんだ。
これを聞いたら、私が高校生の時からずっと写真を見ると感じていたことの真実が隠されていたと思い、心が震える時間でした。
「写真には撮る人の心が写る」ってカメラを手にして写真を撮る人なら知っているであろうこと。
それを象徴する価値観、考え方であるなと同時に思いました。
途中、ある真実を目の当たりにしたアイリーンさんが怒りに震え感情に囚われているときに、ユージン・スミスさんは冷静に、
「感情に流されてはいけない」
と話し、カメラを構えるように伝え、写真を撮っているときに
「何を伝えたいのか忘れてはいけない」
そう話す場面にも心を打たれました。
どうしてもジャーナリスト業である写真家にとって大切な心得でもあり、写真家としても何を伝えたいのかの芯があることでも、写真に映り込む想いが込められて深みが増す写真を撮れるんだということを学びました。
だから、ユージン・スミスさんの写真に感銘を受けたのだと納得しました。
映画を通して、果たして私は何者になりたいのだろうかと考えた。
水俣市民と会社と国との戦い。
これも戦争、戦いであり、とても心が揺さぶられどうしても、中立にはみれないし、現場を見にいき話を聞きにいく勇気を持つことができるのかと怖くなります。
そして、私は「戦う」という姿勢での解決にどうしても今は疑問を抱いてしまいます。
争いではなく、喧嘩でもなく、感情的になるでもなく、追い詰めるでもなく、調和の道へと進むことはできないのだろうか、と。
私の中の戦いを終えて、次なるステージへいきたいと思う今日この頃です。
世界では今もなお、戦争が続いています。
ただ、もう戦うことで解決していく時代を終える分岐点が来ているのではないかとも思っています。
この水俣病の発端でもある、汚染水が海に流されてこと。
そして、今、形は変わり、福島原発の汚染水が海へと放出が開始されました。
戦いで負かして勝ち取ってきた過去のこと。
また今も反対する活動、抗議する人たちも存在する。
原発に関して、賛否両論はあると思いますが、私たちがそもそも原発に頼り切った生活をしてきた責任もあると思っています。
反対に賛同とも言い切れない複雑な心境があります。
今は自然の力と私たち自身の身体の排出する力を信じ、支えてくれる地球に存在する全てに感謝して祈りを捧げたい気持ちでいます。
そんな私に今できること
カメラを通して、「美しいものたち全て」を被写体に、この地球の素晴らしさを伝えていくことができたらと感じています。
問題はたくさんあると思いますが、その現状を作り出しているのは自分でもあるという想いを忘れずに。
小さな自分という宇宙の中を争いで解決することをなくし、自身の調和を保ち、整えることを全力で行うことが、まずは一番大切で、できることだなと今は感じています。
自分のうちなる平和と調和が、家族へ広がり、家族から周りへ広がる。
そんな世界線を夢見ています。
そして家族からどんどん広がった先の社会、世界へも広げていくつもりなので、そこはそのとき必要な出会いが起きていくと信じて、今を着実に歩んでいこうと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました(о´∀`о)
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