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先端恐怖症の息子との関わり方で分かったこと

息子が急に、夕食の時に目を手で覆うようになった。

3年前のことだ。

当時、「眠いのかな?」と思っていたが、どう考えてもその回数が多すぎるし仕草がおかしい。理由を聞くと、次男はこう答えた。

「フォークがこわいの。」

どうやら、フォークの先端を見ないようにして食事をしているらしい。フォーク?武器に見えるのかな?そう思って「食べるものだから怖くないよー」と声をかけ背中をさすった。

それ以降も、箸は平気だけれどフォークを怖がる日々が続き、心配になった私はネットで原因を調べた。でできた言葉は「先端恐怖症」。息子の症状そのままだった。個人差はあるが、とがったものに恐怖心を抱き、直視できないようだ。どうやら、幼稚園では怖がっていないようで、夕飯時にだけその症状はあらわれた。

なるべくフォークを避けた食事方法にして、「食べるためのものだから怖くないよー。」と声をかけた。

いつのまにか症状が落ち着いていたが、翌年の冬もまた「先端恐怖症」の症状が出始めた。息子の先端恐怖症の症状は、なぜか寒くなる時期に再発する。しかも、年々少しずつひどくなっていった。ある日、車の運転中、助手席に座っていた息子が手で顔を覆っていたので、「どうしたの?」と聞くと

「こわい。木がこっちに向かって来そう。」というのだ。

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最初、何を言っているのかわからなかったが、周りの景色を見て気付いた。冬の木は葉が落ちて枝だけになっている。その枝の先端が尖っているように見えて怖いのだ。並木を走っていたので、次々に枝が襲って来そうで息子にはかなりの恐怖だったに違いない。

普段は人一倍うるさくて、お調子者の息子が苦しんでいる。この頃から病院で治療が必要なのではと思い、カウンセリングなどを調べ始めた。

ある日、アロマセラピストのオンラインサロンで運動療法士の方の子供の発達についての講座があった。この方は小学校の先生を経て、今は子ども達の発達支援を「運動療法」や「関わり遊び」を通して行なっていた。

この先生の話がとても興味深くて、私は息子の先端恐怖症の相談をこの人にしたい!と思い、すぐ連絡をした。後日、ZOOMで話した時、先生の一言目にびっくりした。

「先端恐怖症の症状が出ている時に声かけをしていませんか?」というのだ。確かにしている。え?これって間違っていたの?

プチパニック。

すると、先生は「子供は誰でも、お母さんに注目してもらいたんです。先端恐怖症の症状が出てない時に声かけをしましょう!」と言った。息子は朝や昼など、疲れていない時は先端恐怖症の症状があまりでない。何も怖がっていない時に「すごいね!」「大丈夫だったね!」と成功したことを共有してあげるのだ。怖がっているときは、そっと見守ってあげる。

良かった時に、お母さんに注目してもらえるんだと思わせるのがポイントらしい。子供は、常に親に気を留めてもらいたいのだ。簡単そうで、この発想にならなかった私には、とても衝撃的だった。でも確かに、怖がっている時に、毎回私が心配そうに顔を見るもんだから息子も意識してしまっていたと思う。

子供のために先端恐怖症を治そうと思っていたが、もしかしたら自分の心配を取り除きたくて声かけしていた部分もあったのかもしれない。その日から、息子への対応を少しずつ変えていった。日常の中でうまくいったことを「できたね!すごいね!」とハグして喜びあった。

出来ないことより、出来ることに注目することで私の気持ちも前より穏やかになっていったことに気づいた。

そして、一進一退ではあるけれど、息子が夕食の時にフォークを怖がらなくなってきた。今では、少し丸みを帯びたフォークで食べれることも増えてきた。

息子は4月から小学生になった。

1年生は学校で名札を自分で付けなくてはいけない。名札の針は息子にとって直視できないものだ。名札はさすがに自分で付けられないかもしれない。そう思っていた私は、事前に担任の先生に伝えておいた。

ある日、黄色い帽子をかぶり、汗をかきながら、息子が急いで下校してきた。

「ママ!自分でバッジつけられたよ!」とリビングに入るなり笑顔で話してくれた。

私はランドセルのままの息子をギューっとハグした。うれしくて、ちょっと泣きそうだった。

見守りながら、出来たことを親子で一緒に喜んで楽しむ。私も息子も嬉しい。親子で少し成長していった瞬間だったと思う。

兄である長男は5年生になり、反抗期に片足を突っ込んでいる。笑顔で見守るなんて出来ない日もたくさんある。私も一進一退だ。

でも、子供はいつかは独り立ちしていく。

今という親子での時間を共有して、息子たちの日々のちょっとした出来たことを一緒に喜び合っていきたい。







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