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消せないフィルム

頭の片隅にずっと居座っている焦りのせいか、
ひさしぶりの旅行に気を取られたせいか、
また誕生日が来てしまうという恐怖のせいか、
何にも書きたいことが思いつかない。

思いつかないけれど、
またひとつ、歳をとった。

最近は当日に休みを取って出かけていたけど、
今年は仕事をして、翌日から福岡旅行へ。

泊まりの旅行は昨年はじめのライブぶり、
友達と泊まるのはそれよりさらに半年前に
広島に行って以来。

とてもひさしぶり。

カフェメインではあるけれど
観光もしたしラーメンも食べたりして
めぐりやすい街を満喫した。

誕生日に合わせて有休を取ってくれた友達、
ずっと仲良くしたいなあと思っている子。
本当にありがとう。




昨年3月のnoteを見返したら
"今年こそZINEを!"と書いてあったけれど
結局また作らなかったなあと思う。

今年のはじめにも同じことを書いていた気がするけれど、
現時点ではZINEの欠片もない。


それでも昨年(誕生日〜誕生日)は、
今までで一番写真に向き合った年だったし
写真に対する考え方がかなり変わったような気がしている。

5月〜6月の写真展に参加したことで
写真を残すとはどういうことか
デジタルとフィルムのちがいも含めて
考えさせられたし、
写真展の余韻も落ち着いた秋頃には
写真を消すということ、
半年前とは真逆のことをずっと考えていた。

この消すことについて、どうも今までは
本質的に理解できていなかったらしい。

デジタルの醍醐味は
いくらでも撮れていくらでも消せること。

いくらでも消せるというのは、
同じ構図の中から一枚に絞る、という類のものもあれば、
その出来事まるごと消し去ることも含まれる。

後者についてわたしは考えたこともなくて、
そこにふと思い至ってはじめて
フィルムとの差を明確に感じた。


フィルムの場合は
撮れる枚数が限られていて、
その一枚一枚がいくらの価値を持っているか
(天井の見えないフィルム代と現像代)、
嫌でも意識させられながら撮っている。

だから仮に消し去りたい何かを映したとして、
そのネガを丸ごと捨てられるかというと
たぶん大抵の人は無理じゃないかと思う。

少なくともわたしは無理です。

念のため補足しておくと、
どうせデジタルだって消せないのだけど
フィルムはちょっと次元がちがう、という話。


そんな不自由なフィルムが、
不自由だからこそ、
わたしは撮影媒体として好きだなあと思う。

あがってくる写真ももちろん好きだけど
面倒で不自由で不確かな撮影自体が好き。

見る側からしたちがいは
今のところわたしにはわからないです。



昨年参加した写真展のテーマだった
デジタルとフィルムのちがい、
1年弱かかっていまの自分の答えが出ました。

また変わるかもしれないけれど。

最近またご機嫌ななめだったりする
わたしのローライ、きちんと動いてほしい。

わたしはきみが好き。


そんなわけで(どんなわけで?)
また今年の f a k o . もよろしくお願いいたします。

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