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死にたいと思う気持ち

「死にたい」と思うことは、悪い事なんだろうか?

交通事故にあって、死なないかなとか

朝起きて、あー生きてたかと・・・憂鬱になる朝が何度もあるし、いまだにある。

朝憂鬱な気持ちでいっぱいだし、朝「なんでこんな自分なんかが生きているんだろうか」と思う日も何度もある。

どうせ自分なんて。負け癖がついてしまった私は挑戦さえもしなくなった。

でも、そんな自分がどんどん嫌になるし、どんどん状態は悪化していく一方。

死ねない自分にイラッとするし、こんなダメな自分なんて、と何度も思う。

でも、「死にたい」気持ちを共有することは傷の舐め合いでしかなくて

そこに何が生まれるんだろう?とふと冷静になる事もある。

いつまでも、弱い自分のままで「死にたい」と思う人たちと

そうですよね、私も死にたいと思います。とか、死にたくなりますよね。わかります。と言い合ったところで、でも「死にたい」気持ちに変わりはない。

いつも「死にたい」気持ちを抱えながら「死にたい」を共有しながら
なまぬるい世界で生き続けるのも、正直気持ちが悪いな、と思ってしまう自分もいる。

でも、甘い私はどこかでその気持ちを共有したくなったりもする。
そんな自分も気持ち悪いなと思う。
気持ちを共有しあうだけではなく、そこから私は変わりたい。

「死にたがり」な自分をどうにかしたいだけなのに。

そういうタイプなんだから仕方がないんじゃない?という一言で済まされたくない

「死にたい気持ち」をポップに話すことは果たして出来るのだろうか?
「死にたい」を軽々しく、語ることは私にはできない。

確かに何度も死にたいと思う人に対して
「じゃあ、死にたいなら死んじゃえば。いつも悩んでばかりで行動しないし、いつも同じところでウジウジ止まったまんまでいる」
アドバイスする周囲はそう思うし、悩みや相談を聞くことも嫌になるだろう。

だって変わらないし、変わろうとしないから。

「変化」もエネルギーがいるしも勇気がいる。

中村佳穂さんの曲の中の歌詞に
「変わるもの勇気」「変わらないのも勇気」という歌詞がある。
そう、どちらにも「勇気」が必要なのだ。

人間やめたいなーと思うことが何度もある。
花とか植物か、猫として生まれていたらなーなんてありもしない
非現実な世界に逃げ込むこともある。

現実に生きることをやめたくなるし、疲れた。

楽しくない話を永遠と聞いて、楽しい「フリ」をしたり
別に興味のない話に無理やり合わせて、興味あるフリをしてみたり

やりたくないことやめたいなー。

もういい加減、いいかなー、なーんて。


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