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#自己紹介1 幼少期〜中学生

はじめまして、ルリイトトンボと申します。
現在大学4年生を休学中です。

今日は自己紹介として、私がこれまでどんな風に生きてきたかについてシェアさせていただければと思っております。だいぶ長くなってしまったのですが、良ければ読んでいってください!

びゅーん

1.幼少期:国籍不明の少年トンボ

私の幼少期を振り返ると、大まかに「1.両親からの影響」と、「2.自らの意思」の2つに分けることができると思っています。

1つ目、まず両親。とても個性的で自分に大きな影響を与えてくれました。
2つ目に、自らの意思。私は自分の中でピンときたものがあったら、何が何でもやる子でした。

ここからはそんな両親からの影響、そして自分の意思によって突き進んでいたミイの幼少期について書き進めてまいります。Let's go〜

1-1:竹ぼうきから笛を作るような父

父は、研究者で科学者で発明家で歴史オタクでミュージシャンでスポーツマンです。情報が多いので私が把握している父の一部を書くと、

・ホウキからフルートをDIY(笛パフォーマーに感化され、音や穴の位置など自分で研究、計算しDIY)
・鳥の鳴き声のような音を出せる「鳥鳴き笛」をDIY
・バジルやいくつかの植物を自室で自家栽培中
・ラベンターを育てるのが趣味、いつもドライフラワー作ってる
・現在は四角いトマトも栽培中
・昔から、毎週日曜日は、大河ドラマとダーウィンが来たを観る
・日韓問題に興味を持ち、ここ最近で本を60冊くらい読んだらしい
(どこ探しても無かった本が、私の大学の図書館にあったらしく借りてほしいと頼まれたことも)
・天体観測が趣味
・三国志オタク(本棚が三国志で溢れてる)
・フルートを独学で永遠に吹いてる
(先日、還暦祝いに父の夢だった金のフルートを購入)
・通勤が車で片道2時間くらいかかるため、いつも朝5時半に家を出る
・プロ野球選手を本気で目指していたが、なぜか某国立医大を首席で入学
・30代でスウェーデンへ留学

父の記憶byみい
おそらく父が感化された笛パフォーマーさん

こうしたら面白くなるんじゃないのか、これはどうなっているのか。これをこうしたらどうなるのか。私はつい体から動いてしまう性質です。これは多分、小さい頃に父が目の前で実践してくれたから、身の回りに転がっている「ワクワク」に気づかせてくれたからだと思っています。こうして、幼少期の私に強い好奇心が植え付けられました。

1-2:母によって展開された世界の家

私はよく、日本人ぽくない、と言われます。大学の教授からはミャンマーとかオーストラリアとかアメリカとか、そんな感じの血が8か国くらい入ってそうと言われたなあって感じです。あながち間違っていないのかもしれません。
母は、仕事で世界中を飛び回っていました。私が生まれたときから、家の中は、母が買ってきた世界中の食器、置物、雑貨、インテリア、アクセサリー、服、アート、猫で溢れていました。

父の留学を機に、父と母はスウェーデンに数年間暮らしていたこともあり、スウェーデン風な飾り方、色合いが多かったですが、母のセンスが全開のボーダーレスで素敵な家の内装だったなあって今更ながら思います。スピーカーから洋楽が永遠リピート。60年代や70年代の音楽からディスコソング、イギリスのちょっと哀愁ただよう音楽、最近のPOPSまでかかっていました。(いまの我が家のリビングではニューヨークFMが主流です)

幼少期に、日本に住むタイの友達の誕生日ホームパーティーで、お菓子の入ったくす玉をみんなで叩いて騒いだ記憶はとても印象的に残っています。

調べたらピニャータっていうらしい🪅

そんな母の影響か、鮮やかな色や、表現や文化に触れること、何とも言えない曲線や直線の組み合わせが大好きで楽しくて仕方ありませんでした。

2-1:「かっこいい女の子」にくぎ付け

圧倒的にプリキュア世代でした。今の22歳共通言語とも言えるであろう「ふたりはプリキュア」と言うアニメが大好きで、テレビに張り付くように観るだけじゃなく、DVDレンタルショップに行って、借りたり、ポスターを壁に張ったり。とにかく好きでした。笑
毎回、「ザケンナー」というなんか愛らしい名前の敵が現れ、それを2人の女の子が力を合わせて倒す。泥だらけ、傷だらけ、ピンチになりながらも、必ずあきらめずに敵に向かっていく姿や、2分ぐらい尺を使う変装シーンと決めポーズ。今でもありありと思いせます。

そんな「戦う女の子」に感化され、私は女の子の絵を描くのが大好きになりました。A4のプリンター用紙を1日で400枚全て使い切ったこともある勢いで、いつも取りつかれたように、ひたすら強くかっこいい女の子を頭に浮かべ、書き起こして物語を作っていました。

ニワトリが卵を産んだのか、卵がニワトリを産んだのか。
女の子が先か、絵が先なのかはわかりませんが、私は女の子の絵を書くことから、「お絵かき」が大好きになりました。

2-2:夏はひたすらに虫取り

夏になると、1日8時間くらい虫取りをしていました。
長野の茅野市の山奥に祖母の家に暮らしていた時があり、ひたすらに虫取り!!東京にいても夏は絶対に行きました笑
探検➡虫を捕まえるの繰り返し。草むらの方へ行ったり、川や湖の近くへ行ってみたり、森の奥のほうに入ってみたり、お花が広がるエリアに足を運んでみたり。それぞれ全部入る虫が違う。このエリアには髪切り虫が多いなとか、このエリアには蝶々が多いなぁとか、足を運ぶとわかることがたくさんあってとても楽しくて楽しくて、、、、

図鑑を片手にいろんな生物、植物、キノコを照らし合わせながら歩くと、発見があふれていて、毎日新しいことに触れていました。記事の羽を拾ったり、夜に鹿の群れに鉢合わせたり。

虫によっては、すごく足の速い奴もいて、オニヤンマと言うトンボ界で最も早いと言われるトンボを捕まえたときの達成感は今でもありありと思い出せたりします。自由にやりたいことをできる環境がそこにあったなあと強く思います。自然ってすごい。

長くなりましたが、私の幼少期は大まかにはこんな感じで、
「好奇心」「自由」「自然」「国際」って感じでした!

あとは、生まれた時から猫がいて、
猫が私を育ててくれたって感じでしょうか。笑

猫のなーご

2.小学校:摩擦μ’を感じた少女トンボ

そんな未唯ですが、ついにキラキラのランドセルを背負って小学校に入学!
しました。小学校は自分にとって、大きく環境が変化した瞬間でもありました。

1:なにも考えていなかった低学年

まず、DSというものを知りました。プリキュアの影響か否か、戦いや競うことも大好きな私は、当時周りで流行っていた、ムシキングやポケモンにどはまり。親に懇願して買ってもらい、よくみんなで通信対戦とかをして遊んでいました。あとは、男子とよくケンカしていた気がします。

そんなゲームという共通の趣味で集まって、よく遊んでいた小学生1年生~3年生くらいでしたが、その後、徐々に「摩擦」が生じ始めます。

こんな感じでぴょんぴょんしてました

2:考えすぎていた高学年

小学4年生くらいになると、みんな難しいお年頃になってきました。
男女で分かれたり、グループや仲良しメンバーが出来たり、好き嫌いとかそういう感情が芽生え始める時期。あとは、塾とか通い出す時期。

仲の良い友人も居てとても楽しかったのですが、その頃になると、日常で苦痛を感じるタイミングが増えてきました。それは、自分が目立ってしまう時。例えば以下です。

・女子なのに、いつも身長がクラスで1番か2番目に高い(高身長女子)
・猫派(クラスのほとんどが犬派だった、私は猫を飼っていて、超猫好き)
・服が派手(綺麗なピンクや青が好きだった)
・表彰される時
・虫が好きってこと(みんな虫が嫌いだった)

今だったら、気にすんな。って自分に伝えてあげたいところなのですが、むしろ個性、って感じですが、
当時の自分は、人からの見られ方とか、自分だけ違うところとか気にしてしまいました。心無い一言とかあったり、するんですよね。
学年が30人くらいで6年間クラスが変わらなかったこともあり、ずっと同じところにいたということもありますが、

「大仏」ってあだ名をつけてくる男子とか、
犬派の人に囲まれて、犬の方が可愛いって、こっちがそれを認めるまで言われるとか(犬も全然好きなのに猫派というだけで敵みたいな…)
どうせ区展の賞を取るのは未唯だろとか、、地味にグサッときて。

仲良くしてくれていた友達もいて、感謝の気持ちで一杯だったのですが、一方で、たまに感じた”摩擦”は、私が何かに対して「目立ちたくない」「人と違うことをしたくない」「自分のことはできるだけ話したくない」と思うようになるきっかけとなりました。

やっぱり人は悲しい記憶の方が印象に残る生き物なのでしょうか。楽しい思い出も思い出せるのに、小学校はそんな印象が強いです。
低学年まではなかなか尖っててお転婆な子でしたが、高学年になってからはだいぶおとなしい人になっていたような気がします。そんな中で、私は地元の公立中学校へ進みます。

3.libertyではなくfreedomに居心地を見つけた女の子トンボ

長くなりましたが、ようやく中学校です。地元の公立中学校に進学しました。中学校はいたってシンプルで、平和期と受験期の二つです。
「仲間」っていいな。心を許して無邪気に楽しめる友人って素晴らしいな。集団生活をほとんどしてこなかった私が、初めて学び得たときでした。夜に、今日学校であった面白かったことをふと思い出して、「ふふっ」と笑うようなそんな毎日がそこにはありました。

わーーーーい

1:「温水プール」と書いて「部活動」と読む

中学に入り、部活動というものに所属しました。
私が入部を決めたのはテニス部。活動は週に5日で、水曜日と日曜日以外はほとんど一緒に過ごす仲間が出来ました。

会う時間が増えれば、自然と仲も良くなっていく。いまでも中学時代の部活動の友人とはたまに会ってバカをしたりします。大好きな存在です。心を許せる友ができ、純粋にとても嬉しかったのを覚えています。

小学校までは、学校以外の時間は、いつも何してたっけ?って逆に思い出せないくらい、かなり自由に過ごしていたのですが、中学を境にとても規則正しい生活を送るようになりました。朝起きて、学校へ行き、授業を受け、部活をし、友達と帰り、帰ったら友達とLINEで会話しながら、ゲームしたりアニメ見たり、漫画を読んで寝る。たまに休みの日に仲間や友達とプリクラ撮ったり、カラオケ行ったりする。そんな感じ。

あ、でも漫画とアニメ、大好きでしたね。もうアカウントは消してしまったのですが、Twitterで、実はフォロワーの数が5桁でした。誰にも言ってないのですがw オタクアカウント毎日更新して、好きなキャラのイラストとか描いて載せて、キャラクターの生誕祭とかやるくらい好きな時もありました。

のびのびとした時間でした。近所と中学校の世界しか知らない毎日。
その頃には男子生徒の身長も伸び、高身長というコンプレックスは薄れていましたし、制服も出来て目立たない。まさにfreedomで、充実した、平和な日々。満足しすぎていたのかもしれません。

2:おかえりMe

唯一、転機が起こったとすれば、中学三年生の秋、現在は漁獲量が減ったといわれているさんまがまだ給食にでてきた、あの季節の出来事です。当時の私はほとんど勉強もせず、行きたい高校なんか、というか未来のことなんてちっとも考えたことがありませんでした。そんな時、ある日、友達に誘われてある高校の文化祭に行ったんです。そこで私は恋に落ちました。

「ここだ、この高校に行きたい、というか、行く。」

あの文化祭の光景は忘れません、入り口で生徒がすごい活力で告知をしてくれる。高校の真ん中には吹き抜けのホールがあって、そこでダンス部が踊っているのを、生徒がノリノリで叫びながら観てたり、なんかとにかくキラキラしてて。空気が、超楽しかったんです。

懐かしいくらいの、強い意志が戻ってきて、心がもう、個々の高校に行きたいって仕方なくて、そこから3か月間、猛勉強の日々が始まりました。
学校以外の時間はずーーーーっと勉強して
なんとか無事、志望した高校に入学が決まりました。

かわいいっす。。

頑張って入学した高校ですが、これがまたキャラの濃い高校でした。みんなとても個性的で素敵な子ばっかり。

次の投稿では、私の高校~大学での人生の出来事や気づき、行動を自己紹介として書かせていただきます。もしこんな長い文章を読んでくださった方が居るのであれば、ご視聴ありがとうございました!ぜひ次の投稿も目を通していただければ幸いです✨またね~

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