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”エンジニアのキャリア分岐点”その時どうする? マネジメントで見える世界とエンジニアとしての生存戦略 - 前半(1/2)

2021年12月22日に「TECH Street」主催で開催された「”エンジニアのキャリア分岐点”その時どうする? マネジメントで見える世界とエンジニアとしての生存戦略」にて、ミイダスCTOの大谷が登壇しました。

本イベントでは、イベントのパネラーである株式会社LIGの久松さん、パーソルキャリア株式会社の岡本さん、吉次さんと一緒に弊社のCTO大谷が「キャリアの分岐点に立った時の話」や「中間管理職・マネジメント」をテーマにディスカッションしました。こちらの記事はその内容の一部を書き起こす形でご紹介しています。
前半では、キャリアの分岐点についてお話し頂きました。

イベントページ
https://techplay.jp/event/840273

自己紹介

パーソルキャリア株式会社 吉次氏(以下:吉次):本日モデレーターを務めさせていただきます、パーソルキャリアでエンジニアをしている吉次と申します。私自身これまでプレイヤーとしてプログラム書いたりしていましたが、年齢が上がってくるにつれ、マネジメントの業務が増えてきています。

私自身、今まさにキャリアの分岐点にいますので、今回のイベントのテーマについてはすごく気になっているところです。本日はよろしくお願いいたします。
ではパネラーの皆様の自己紹介に移っていきたいと思います。まず、ミイダスの大谷さんお願いします。

ミイダス株式会社 大谷氏(以下:大谷):皆さんこんにちは。ミイダス株式会社の大谷と申します。山口県下関市で1980年に生まれ、現在41歳になります。大学進学と同時に東京に出てSIerで働いた後、リクルートエージェントで転職サービス・転職新規事業の立ち上げを行いました。

その後、サイバーエージェントでエンジニアを5年間務め、インテリジェンス(現:パーソルキャリア)に入社してエンジニア組織を作り、ミイダスを立ち上げたあと、インテリジェンスを辞めて福岡に移住をしました。2社のCTOを務めた後、ミイダスに戻ってきて、現在CTOを務めています。

私自身キャリアに迷ったことは何度もありますし、分岐点で葛藤したことが何度もあるので、今日はディスカッションが出来るのをすごく楽しみにしてました。
どうぞよろしくお願いします。

吉次 :ありがとうございます。では次に、パーソルキャリアの岡本さんお願いします。

パーソルキャリア株式会社 岡本氏(以下:岡本):岡本と申します。よろしくお願いいたします。パーソルキャリアのエンジニアリング統括、いわゆる内製のエンジニアの統括と技術統括を担当しています。

僕は少し変わったキャリアなのですが、元々通信事業者からキャリアが始まり、そこからエンジニアをずっとしていました。途中で、オーストラリアに単身で行った経験があります。そこで紆余曲折ありながら、会社を立ち上げました。本当にお金がなかったので、食べていくのも大変だったんです。
結果的に運が良かったのもあると思いますが、その時に作った会社を売却して日本に帰ってきました。

その後、サイバードという会社でモバイルコンテンツの事業責任者、子会社のCTOを務めさせていただきました。後ほど「キャリアの分岐点」でこの部分の話をさせていただきますが、その時は「プレイングマネージャー」をやっていました。

そのあとは、SoftbankグループのBBシリーズ。Yahoo! BBの課金システム、BBTVやBBラジオのサービス側のテックリードをしながら開発をしていました。それから、多分日本で1番転送量が多いと思われるレコチョクの音楽配信で定額配信サービスを、docomoと組んでやっていましたね。今はもうこの会社の屋台骨のようになっていますが、大規模サービスの開発側の事業責任者のようなことをやらせていただきました。

そして、15人くらいのヘルスケアスタートアップを立ち上げて取締役CTOをしつつ、資金調達とか共同経営者と一緒にやっていました。
それを経て、ココナラというベンチャー企業で技術統括を勤めさせていただきました。その後、不動産テックや音声ベンチャーなどの技術顧問も複数社やってたのですが、その時にたまたま社長の峰尾と今の私の上長である執行役員の柘植と社長の峰尾と話をする機会があり、HRって「面白い」と思って今ここに居ます。

私は今回モデレーターを務めていただいている、吉次さんの上長にあたります。本人も悩んでいるんだろうなと思いながら、色々お話しできたらと思っていますので、よろしくお願いします。

吉次:はい、ありがとうございます。では、最後にLIGの久松さんよろしくお願いします。

LIG株式会社 久松氏(以下:久松):久松です。よろしくお願いいたします。
私は今、株式会社LIGでDX事業本部テクノロジー部という部署でマネージャーをやっています。

私の経歴は、さらに輪をかけて変な感じがするのですが、もともと大学の教員を目指していて、藤沢にある慶應SFCで、2000年から2012年までインターネットの基盤技術の研究などをやってました。先ほど岡本さんがイー・アクセスと言われていてちょっとビックリしました。イー・アクセスさんについて先にお話しします。
SFCは周辺に民家がないため電波とドローンを飛ばす申請が通りやすいという特徴があります。イー・アクセスさんに関しては共同研究をやったことがありまして。WiMAXが出始めた時に、ちょうどキャンパスの途中にあるイトーヨーカドーの間にアンテナを立てて、その辺りでサイネージの実験をする、みたいなこととかやってましたね。ちょっと懐かしいなって思いながらお聞きしてました。

そこから大学教員を目指していたのですが、予算とかがなくなってですね。それでビジネスの方をやってきました。途中でSIerでアルバイトをしたり、一時Javaを書いていたこともあります。その辺りを経て、ネットマーケティングというところで、マッチングサービスのSREをやったりしました。エンジニアの採用もこの頃からスタートして、今ちょうどエンジニア採用10年目になります。

そのあとレバレジーズとかに行きながら、今はLIGにいます。現在はジョブディスクリプションがここに書いてある以上に複雑です。日本、フィリピン、ベトナムのエンジニアリングマネージャーと、アカウントマネージャー、アカウントブランナーで、プロジェクトマネージャーで、組織改善のコンサルみたいな役割も担当しています。ちょっと何屋さんか、だんだん分からなくなってきたんですけど。(笑)そんな感じでやってます。

皆さんご覧いただいたかもしれませんが、週1ぐらいでnoteを書いています。
エンジニアのよく分からない高度な技術具合と、あとはもう変わりすぎる自流みたいなところをうまく整理して言語化しているのが非常にうけているようで、かれこれ1年半以上続けいますが、色々な方にご愛読頂いています。

まだご覧になっていただいてない方や、本日のイベントでお話しするようなミドルのキャリアなどについて取り上げていますので、ご覧いただければと思います。よろしくお願いいたします。

プレイヤーからマネージャーへ キャリアの分岐点

吉次:ありがとうございます。三者三様で、とてもいい話が聞けるのではないかなと思っているところです。それでは早速、ディスカッションに移っていきたいと思います。

一つ目は「キャリアの分岐点」についてです。僕も今すごく悩んでるという話があったと思いますが、まさにそうです。これまでプレイヤーとしてやってきて、徐々に今はマネジメントの業務が増えてきています。今後どうしていこうかなと、最近よく考えることがあるので、その辺りについてお話を伺えればと思っています。

実は今回のイベントは、ミイダスの大谷さんがマネジメントに関してFacebookの投稿されてるのを僕の方で見かけて、お話聞きたいと思ったのがきっかけっていうのもありました。
そこでまずは、大谷さんからキャリアの分岐点についてお伺いできればと思います。
いつから感じたかと、きっかけは何だったか、などお聞きしたいのですがいかがでしょうか?

大谷:ありがとうございます。ちょっと長くなってしまうかもしれませんが、いいですかね(笑)私は元々SIerからキャリアをスタートさせて、4年間プロラマとして働きました。結構色々なことをやりたい人間なので、一回エンジンをやめてみようと思ってリクルートエージェントで新事業開発部に入りました。その時は全くシステム開発をせず、 プレイヤーとして電話かけまくったりとか、事業立ち上げに必要なことを何でもやっていました。

その時のマネージャーだった方を見ながら、マネジメントってすごくいいものだが自分には絶対無理だなと思っていました。苦手意識がすごくありました。
その後、サイバーエージェントに移って、3年ぐらいはプレイヤーとしてもの作りをがしがしとやっていました。当時、マネージャーにならないか、という話もありましたが、ずっと拒否していたんですね。

一度だけ少しチャレンジしてみたのですが、 自分と同じくらいみんなができるものだという意識をずっと持ち続けてしまって、うまくいかなかったんですよね。
メンバーがついても私の要求がひどくて、元気がなくなっちゃったりとかというのがあって...。やはり自分はマネージャーって無理なのかな、プレヤーなのかなって思ってた時に、
CAアドバンスという子会社に出向しました。

そこで当時社長だった菊池さんという方にお会いして、 今はShirofuneという会社で社長をされているのですが、菊池さんから「マネジメントとは何か」「マネジメントの温かさ」「管理とマネジメントの違い」など色んなことを教えていただきました。
マネージャーを私に任せたいという風に言っていただいて、そこから頑張ろうと思いました。

そこで、メンバーのキャリア実現のために、メンバーが楽しく働くために何ができるかっていうことを考え始めました。 そこからマネジメントが無理だと思っていた自分でも、頑張ればできるんだなって思い始めて、マネージメントのキャリアはいいなという風に思うようになりました。これが私がマネジメントに目覚めたきっかけです。

吉次:ありがとうございます。

大谷:当初は本当にプレイヤー志向で、自分はプレイヤーなんだという意識が強かったのですが、先ほどお話ししたきっかけで、組織やマネジメントに興味を持ち始めた感じです。

吉次:プレイヤーからマネージャーに移る時、プレイングマネージャーを経由することが多いと思います。そこで「メンバーを上手くまとめることができない」などの課題にぶつかることがよくあると思います。
そういった時、どうアプローチをしていたかとか、マネジメントについて学ぶ中で視線が変わったことや、実践の仕方が変わったことなどはありましたか?

大谷:初めの頃は、メンバーに対して「これ何日でできますか。」と確認した際に、メンバーが 「3日でできます」と言ったら、私は「いや、3日かからないですよね。1日やってください」という感じのコミュニケーションが多かったんですよね。
このコミュニケーションの方法は良くないと思い、そこからメンバーの立場に立って考えるようにしました。今彼の持ってる能力、彼の持っている知識は、どういったものなのか、このタスクを通じてどんな風に成長してもらいたいのか、そのためにどんな時間の使い方をしてもらうと適切なのか、ということをじっくり考えました。

短期的な成果だけじゃなくて、そのメンバーが成長することによって、組織の戦力が上がっていくという視点も含めて、どういう風にそのタスクを進めるべきかと考えるようになったのが、ターニングポイントだった気がします。

吉次:ありがとうございます。では次に 岡本さんにお聞きしたいと思います。岡本さんの場合は、いかがでしょうか。

岡本:そうですね。僕は、先ほど自分の自己紹介の時に少し触れましたが、サイバードという会社が、僕のターニングポイントだったかなと自分でも思ってます。この会社はコンテンツプロバイダの事業会社なんですけど、先ほど吉次さんがおっしゃったように、僕はプレイングマネージャーを1回経由してるんですね。

プレイングマネージャーとして、30コンテンツぐらいの事業責任者をしていました。当時は結構大変でしたね。PHPのエンジニアだったのですが。PHPで開発しているとき、当然各事業部に事業PLがあるわけですよね。

そんな時、自分がその会社初のプレイングマネジャーに近い立場でエンジニアのテックリードを行い、且つ、ドメインの事業部長の責任者をやるみたいな二足のわらじ的なことをやってたんです。

今でも覚えているんですけど、出張で大阪に行かなくてはいけないことがあって、当然なのですが、出張に行くと自分が動いてる時間に開発できないんです。
あとは企画書も自分で書かなきゃいけないし、PLも見なきゃいけない。これを30コンテンツ分やっていました。そんなことやってると、当然開発が自分の消化しなきゃいけないチケットとか絶対に対応が無理なんですよね。 事業責任者であり、テックリードを担当している僕自身が、開発のボトルネックになっちゃったんですよ。24時間って人間に平等なので当たり前ですよね。

そこで、僕は中途半端なことやってたんだな、というのに気付きました。プレイングマネージャーが今風ではなくなってきたのも、多分そういう理由の背景があるのかなって思っています。
おそらく、どちらかに軸足が寄る必要があると思うんですよね。エンジニアに寄るか、事業ドメイン側に寄るかみたいな。
その時、僕は30コンテンツのこの事業をスケールさせるということが、僕の役目だと思っていたので、24時間の使い方を考えると、マネジメントに振った方がいいと思ったんですよね。そこが僕のターニングポイントです。

自分のレスポンシビリティをちゃんと理解するっていうのは大事だと思いました。当時は32歳くらいでしたね。
その年齢で気づきがあり、いい機会だったかなと思います。
あのまま行っていると全部中途半端になったかなって。本当に今でも鮮明に覚えています。

吉次:皆さんかなり頷いていらっしゃるので、共感する部分が多かったかなと思います。プレイングマネージャーからマネジメントにシフトしていく時に、今まで自分がやってた領域を誰かにカバーしてもらう必要って出てくるかなと思いますが、それはいかがでしたか?

岡本:そうですね。幸いにもディレクターや、その下にエンジニアのチームメンバーが各コンテツにいたんです。メンバーに権限委譲するというのは、結構勇気がいることだと僕は思っています。結局、自分の背中を任せるということなので。
だから、権限委譲をする勇気を持つことが大事かなと思ったんです。そうするとその組織のケイパビリティがどんどん大きくなります。結局、メンバーが育ってくれたので、ケイパビリティと合わせて、自然とコンテンツの数字も成長していったのです。
今でも僕のあの時の判断は良かったのかなと思っています。あのまま継続していたら、ただの自己満足になってたのかなと思っていますね。

吉次:権限委譲ってえいや!と勢いでやるものなのでしょうか。それとも緻密に計算してやっていくものなのでしょうか。

岡本:その人のスキルセットやチームのケイパビリティにもよると思いますね。だからそれぞれのケースによって強弱をつけながらマネジメントをしていました。一気にどん!とはできなかったですね。当時は30コンテンツ分を担当もしていましたし。

吉次:ありがとうございます。まず一通り皆さんにお話聞きたいと思います。久松さんの場合はいかがでしたか?

久松:はい、そうですね。ビジネスの方に出てきてからというと、ネットマーケティングの時は、インフラのチーム作ったりなど、わりと採用していました。
あとは、レバレジーズの場合は40人から80人にグロースするにあたって、リーダーをどうやってピックアップして、マインド高めて、視座あげていくのか、ということをずっとやっていました。それから綺麗なツリー型の構造にしていくことや、あるいは一部マトリックス構造を入れてみるなど、色々試行錯誤していましたね。これまでとは割と違うマネージメント経験があったかなって思います。

LIGに行くとエンジニアがフィリピンに100人、ベトナムに15人みたいな状況です。あと日本人も、テクニカルディレクターという、技術的な指示を出すディレクションを担当する人が大体10人くらい居る環境です。適材適所という言葉がしっかり当てはまるぐらいもう得意不得意みたいなのが出るんですよね。

例えばtoBが得意、toCが得意、みたいなのもあればドキュメントがなくてもオッケー、作らないとダメみたいなのもあります。
本人たちのWill・Can・Mustのような指向性とか、これまでの実績得意不得意みたいなとこ見ながらチーム編成するような立場にシフトして行きました。

では、このような考え方ができるようになったきっかけは、何だったのかというのを考えてみます。私が博士の時の研究テーマが、今絶滅しかかってますけど、P2Pだったんですね。
P2Pの網の上でストリーミングをするという、割とクレイジーな研究をやってたんですけども、あのP2Pの世界がすごく面白くて。

今でいうと、YouTubeの確固たるサーバーとかキャッシュのサーバーがずらっと並んでいて、このサーバーやこのキャッシュサーバーって大体一台あたりのキャパシティが決まっていて何本のストリームを転送できますというアタリが付きやすいです。で、これを人に置き換えて言うと、例えばSIとかの領域で、1人月みたいなものがそれに合うかなって思います。新卒でまっさらな人について研修1年を経て、この人は一人前になりましたので一人月です、みたいな形でアサインするから掛け算が成り立ちます。その結果「これぐらいのスケールのシステムがn人月で作れます」というのが大手SIの世界ですね。

それに対してP2Pというのは、受信しながら転送するみたいな感じです。またPCやネットワークなどもスペックのいい悪い、ネットワークがいい悪いもあったり。

あるいはWinMXとかやっていたミドルの方がいらっしゃれば分かるとは思うんですけど、自分のリソースやネットワーク環境を過大評価して申請し「いいコンテンツください」といった詐称ができたりとかします。逆に中継するのが嫌なのです、低めに見積もって申請したりもするんですよね。
確かにスペックもあるしネットワークも十分にあるのだけど、ほかのことで忙しくてパフォーマンス出ないノードも居たりします。あるいは、転送の要となる真ん中のノードが突然いなくなってしっちゃかめっちゃかになって、そこから再構築どうするかみたいな一連の事象をアルゴリズムに落とし込んでいく、みたいなのをシミュレーションと共にやっていました。これってまさにベンチャーの人事だなっていう風に思い当たったのが前職の時ぐらいですかね。
人事ってあんまりシミュレーションできないって思ってたんですけど、実は誰よりもシミュレーションしてたっていうところと、そのアルゴリズムと人の当てはめ方みたいなのをまさに活かしながら人構築プロジェクト体制を組んでる、みたいなのが今になってますね。

吉次:なるほど。面白いですね。システムから着想を得た部分が、すごく興味深いなと思いました。

久松:重要な人がぱっといなくなった時、誰を次の人に立てるみたいなものとかも、もう事前にアタリをつけて「次こいつね!」みたいなのをやっとかないと、網が乱れるんですよ。なかなか面白い世界ですね。

吉次:ありがとうございます。もう少し時間があるので、それぞれが気になったことについてお話しできればと思います。何かありましたか?

大谷:ピンポイントですごく興味を持ったことがありました。久松さんのセンターが辞めそうな時に、それをカバーするシミュレーションしとくというのがあったと思うんですけど。
兆候とか、そういった人をどうやって見つけるのかということにすごく興味を持ちました。

久松:そうですね。P2Pの世界だと突然いなくなるっていうので、確か予兆する研究も誰かやってたような気がするんですけど。結局、突然ネットワークが落ちたりとか「このコンテンツ飽きた」と言って離脱するような人たちが居るので、そこはもう係数に入れないようにしましょう、というのが主流でしたね。
今、人材も流動的になってくる中で、最終出社の2週間前に言う役員とかもいるじゃないですか。それと同じです。

(一同笑い)

久松:P2Pで言うと、上位1位のレイヤーがいなくなる。それくらい結構なインパクトだったんですけど、それもある程度見込んだ上で対応しなくてはいけないですね。
横軸の繋がりを意識しながら絶えず情報交換をしておいて、誰が居なくなってもいい状況にしなきゃいけないっていう話だと思います。

例えば、我々の拠点フィリピンのセブにあるんですけど、みなさんご存知かもしれないですけど、この間とても大きな台風が来たんですよね。ライフラインが全部途絶えて、発電機で仕事をしています、といった状況になっています。ちょっと話がずれるのですが、フィリピンにはノーワークノーペイという原則があるので、みんな頑張って働いています。
ここも数日間ブランクが空いてしまうのですが、じゃあその間に誰がカバーできるのか、という情報を集めます。セブ以外に住んでる人で分担したり、ちょっと業務範囲を見ながら日本のメンバーでカバーしたりとか、そういう風な感じでやっていました。そこもある意味、アルゴリズムの応用みたいな話とか結構できたなと思ってますね。

吉次:なるほど。ありがとうございます。

(次回に続く)

”エンジニアのキャリア分岐点”その時どうする? マネジメントで見える世界とエンジニアとしての生存戦略 - 後半(2/2)
https://note.com/miidas_tech/n/n58ecf6ba23c8

登壇者

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久松 剛(くま)/株式会社LIG テクノロジー事業部 マネージャー

2000年より慶應義塾大学村井純教授に師事。動画転送、P2Pなどの基礎研究や受託開発に取り組みつつ大学教員を目指す。博士(政策・メディア)。2012年に予算都合で高学歴ワーキングプアを経て株式会社ネットマーケティング入社。Omiai SRE・リクルーター・情シス部長・上場などを担当。2018年レバレジーズ株式会社入社。開発部長、レバテック技術顧問としてエージェント教育・採用セミナー講師などを担当。2020年より株式会社LIGに参画。LMS監修・採用・PjM、エンジニア採用・組織改善コンサルなどを担当。開発チームの立て直しに2度成功した経験をもつ。

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岡本 邦宏 / パーソルキャリア株式会社 テクノロジー本部 エンジニアリング統括部 技術統括

渡豪し事業立ち上げ~売却後、株式会社CYBIRDにてモバイルコンテンツの事業責任者 兼 子会社のCTOを務める。 Softbankグループでは「BBシリーズ」 、株式会社レコチョクでは、定額制音楽配信サービス「dヒッツ」立ち上げなど、大規模サービスへの成長に寄与する。ヘルスケアスタートアップでは取締役CTO、スキルシェアサービスの「ココナラ」では技術統括を努める。その後、音声ベンチャー、不動産テックなど複数社の技術顧問などを経て、現在に至る。

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大谷 祐司 / ミイダス株式会社 CTO

サイバーエージェントのネット広告部門で開発組織を立ち上げたのち、2013年にインテリジェンス(現パーソルキャリア)に入社。マーケティング部門のDXを推進したのち、新規事業としてスタートしたミイダスの立ち上げに参画。その後2017年よりスタートアップ2社でCTOを経験し、2020年に再びミイダスにジョイン。

モデレーター

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吉次 洋毅 / パーソルキャリア株式会社 サービス開発統括部 エンジニアリング部 第2グループ シニアエンジニア

2014年に高専専攻科を修了後、飲食店検索サービスを提供するWeb企業に入社。PHPをメインにバックエンドの領域の開発やプロジェクトマネジメントに従事。2016年にインテリジェンス(現パーソルキャリア)に入社。「doda AIジョブサーチ」の開発等を経て、現在はSalariesの開発を担当している。

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