17歳で最愛の父と死別
9月24日。あの日から8年。
私の人生を大きく変えた一日。
朝起きたら、父が亡くなっていました。
それは、あまりにも突然の出来事でした。
父を亡くしたあの日
当時私は17歳の高校2年生。文化祭を終え、打ち上げのディズニーを楽しみ、こんなに幸せでいいのかな〜と余韻に浸っていた頃。その日はずっと気になっていた清掃ボランティアに行くつもりでした。
いつものように眠りましたが、その日の朝は、母が父の名前を叫ぶ悲鳴で目が覚めたのです。
飛び起きて母の元へ向かうと、和室で横たわる父がいました。身体は冷たく固くなっていて、息もしておらず、全く動かない。何度も「お父さん!!!」と呼びましたが、返事がない。
私は目の前の現実を全く受け入れられませんでした。
【これは夢…?何かの間違いだきっと…】
父の名前を呼びながら、父の身体をゆすっていたとき、私は自分が何か映画かドラマかのシーンを演じているような、そんな気持ちでした。
そのあとのことはよく覚えていません。
父はくも膜下出血で、家族に最期の言葉も残さず、誰にも看取られることなく、49歳の若さでたったひとりで静かにこの世を去ったのです。
父と家族
家族が大好きな父でした。実際、家族旅行が多かったので、家族写真が沢山ありました。姉と二人で『生前の父にインタビュー!』と書いた色紙をお葬式の時に飾っていたので、
参列した方には「本当に仲の良い家族なんだね」という言葉もいただきました。
私は自分で言うのもなんですが、本当に生粋のお父さんっ子でした。ベビーカーを押してもらうのは、休日は父がいるので父を指名するくらい。バッティングセンターに行き、キャッチボールをし、虫取りまで。
母と姉が寝たあとには、父と二人で語り明かす日もありました。
今思えば仕事で疲れ切ってたはずなのに、たかが高校生の小さな出来事や悩みに付き合ってくれてた父には感謝しかありません。
そんな大好きな父が、もういない。
あまりにも早すぎました。まだまだ聞きたいことが、話したいことが沢山あったのに。
それは今でも思うことです。
しばらくは父の亡くなったときの衝撃が授業中にフラッシュバックしたり、部活の後輩の名前を全く思い出せなくなったりといった症状が出ていました。
【この世に沢山の人たちがいるのに、なぜ父とこんなに早くお別れをしなければならなかったんだろう…ただでさえ苦労人の父だったのに。神様はひどすぎる。】
そう思っていました。
早稲田大学への進学
私が早稲田大学に入りたいと思ったのは、そんな父の夢を叶えるためでした。
熊本出身の父は早稲田にどうしても行きたくて、養子として貧乏な家庭で育ちながらも新聞奨学生をしながらなんとか教材や受験費用などを集めて2浪していたのですが、その夢が叶わなかったことを知っていたからです。
進学が決まったときは家族で泣き、本当に嬉しかったのをよく覚えています。
4年間の学生生活も常に父が頭の中にありました。
【父はどんな早稲田での学生生活を夢見ていたのだろう】
【もし生きていたら、早大生の私に何を伝えてくれただろう】
そんなことを考えて、もがきながらも充実した日々を過ごしていました。
父の命日。今思うこと。
話が少し逸れましたが、そう今日は父の命日。
当時17歳だった私も25歳になりました。
今でも仏壇の前で父に心の中で話しかけてみたりしています。
人はいつ死ぬか分からないということを痛感している私が、父が生きている間にやっておいてよかったことがあります。
それは、感謝を伝えることです。
ある日の夜、父と語り合う中で、私は父に
「この17年間が本当に幸せで楽しかった。また同じ17年間繰り返したい。」
そう伝えていました。直接ありがとうという言葉ではありませんでしたが、
私が今、悲しみの中でも前に進めているのは、
あのとき間接的にでも、父に幸せだったという感謝の気持ちを伝えられていたからです。
ちなみにその私の言葉に対する父の返事は、
「でもね、これから大人になっていくと楽しいことも沢山あるよ。」
でした。私に微笑みかけながら。
大人になった今、父の言っていた楽しいことってなんだろうとより思うようになりました。
仕事、恋愛、結婚、子育て…?
きっとこれからまた分かっていくんだよね、お父さん。
グリーフケアの存在を知る
父を亡くしてから小さな事で凹むことが減り、チャレンジ精神旺盛になり、笑顔が増え、大概の事にはポジティブに立ち向かえるまでになりました。
それでも時折、家族の前では見せませんが、父のこととなると涙が出てしまうことがあります。どんなに明るく振る舞っていても、心の奥底には大きな悲しみが沈んでいる。
その悲しみに、気づいてくださる方がいらっしゃいました。偶々ビジネス系マッチングアプリで出会い意気投合した、人生の大先輩です。
その方に、『グリーフケア』というものがあることを教えていただきました。
死別への悲嘆には、ケアが必要だということです。
そういえば父を亡くしてすぐのときに、臨床心理士さんか何かの無料カウンセリングを私の通う高校が提供していたので、母と受けに行きました。
「時間が解決してくれます」
そうしきりに言われた記憶しか正直ありません。
【今こんなに悲しんでいるというのに、どうして理解してくれないんだろう】
という気持ちで当時はいっぱいでした。
大人になりグリーフケアの存在を知った今、まず自分のグリーフケアを行うことから始めようと思ったところです。
つい先日、母にも目の前で父のことで泣かれてしまいました。自分の涙を必死にこらえて母の話を聞いて反応していましたが、途中から母に返す言葉が見つからなくなりました。
そんなことがあって、グリーフケアの本を一昨日立ち読みしていました。
グリーフケアの中に、記念日反応というものがあるそうです。
これだ…!
父の誕生日と、命日。父に関するイベントが発生すると特に母も私もすごく弱ってしまう。
ひとつはっきりした気がして、少し心が軽くなりました。
どんなに悲しんでも、願っても、父は戻って来ない。
その現実を受け入れて、
悲しみを乗り越えるのではなくて、向き合う。
グリーフケアはどう悲しみと向き合うのかやどう生きるかをこれから教えてくれるような気がしているところです。
死別への悲しみに心から向きあい、ケアをするグリーフケア。そのテーマにおいて自分を満たせたら家族や周りの方々、より多くの人に寄り添える、心の温かい人でありたいです。
時間を見つけて学んでいこうと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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