「自分を愛する」ということ

これを書くのに半年以上かかってしまった。
ず〜っといつかは考えをまとめられたらいいなと持ってきたトピックなので、とりあえずの現時点でのまとめをば。

ずっと考えていることについての話。

自分を愛する」ということについて、かれこれ5年近く考えている。
きっかけは、友人に「自分を大切にするんだよ。自分とは24時間ずっと一緒にいるんだから、好きなほうがいい!Love Yourself!!」と言われたこと。「自分を大切にする」という考えを少しも持っていなかったわたしには、大きな衝撃だった。
なんだかわからないけど、「自分とは24時間一緒にいる」という考え方に「そりゃ〜そうだよね!」と大いに納得し、YouTubeを見たり、本を読んだりして、「自分を愛する方法」をあれこれ試してみた。
そうして、自分を愛することについて考えを巡らせる日々が続いた。その結果、自分を愛せているかと尋ねられれば「わからない」と答えるけれども、このテーマについて考えるのは面白かった。そこで、わたしが「自分を愛する」「自分を大切にする」をどう捉えているのかについて書いてみたいと思う。

自分のために「自分を愛する」

「自分を愛せない人は、他人を愛せない」という感じのことを聞くことがある。それはつまり、「他人を愛するためには、まず自分を愛しなさい」ということだと解釈している。
だけど、わたしは「自分を大切にできなくても、他人を大切にすることはできる」と思っている。というか、他の誰かを大切にすることよりも、自分を大切にすることの方がずっと難しいと感じている。自分という存在は、ずっと一緒にいるのにもかかわらず認識するのが難しくて、明確な対象とするのが難しいから。

そして、わたしは、「自分を愛する」を「誰かのため」という綺麗な箱に入れられることを拒みたいと思っている。わたしが自分を大切にしたいのは、誰かのためじゃなくてただ自分がこの世に存在していることを受け入れたいからだ。それができる日が来るかどうかはわからないけれども、「誰かのため」や「何かのため」であることを求められがちな日々の中で、ただ「自分のために自分を大切にする」ということに意味があるような気がしている。

「自分を大切にする」って何だったのか

最近、「自分を大切にしましょう」とか「自分を愛しましょう」とかいう言葉をよく耳にするようになってきた気がしている。本も映画も音楽も、そういうメッセージを込めたものがたくさんある。
それに伴って、「自分を大切にしていること」(もしくは、その手段)がアピールの材料になっているように思える。さらには、「セルフケア」は「自分で自分のご機嫌をとれるようになるべき」という、議論の余地がありそうな主張の道具として使われている。「自分を愛する」がファッションになって、「セルフケア」とか「自分らしく」とかいう言葉は、いつの間にかマーケティングの文句になっている。
わたし自身も確実にその中にいて、流行りのエッセイを読んでいるし、アイドルのインタビューにしっかり感動している。いい香りの入浴剤を使ってみる日とか、スキンケアをいつもより丁寧にする日なんかは、「インスタの人みたいだ〜」と思ったりもする。それが楽しかったりするし、それでリフレッシュできる時もあるので、それはそれでよい。

だけど、わたしがあの時、「自分を大切にして!」に衝撃を受けたのは、それがキラキラしていたからでもなんでもなく、それが自分を生き延びさせてくれるような気がしたからだった。わたしにとっての「自分を愛する」は、もっと切実で、とても根本的なものだったのだと思う。

「自分を大切にする」は、自分のための安心空間

冒頭にも書いたけれど、「自分を愛する」と言うのはよくわからない。多分わたしはできていない。それでも、このテーマについて考え続けた日々を経て、今のところ辿り着いたところをまとめてみる。

わたしにとって、「自分を愛する」は【自分を簡単に奪われないための手段】だろうと思っている。自分を大切にすることは、避けることのできない比較や競争、降りることのできない土俵に立ちながらも、「自分の気が緩む時間や空間」を守ることで、「自分だけの安全や安心を確保する」ことのような気がする。

生きていたら、自分の力じゃどうにもならないことがたくさんある。受け入れたくないけど、そういうものである。周りの空気を読んで、自分の考えや感情を一旦置いておかないといけない時も多々ある。わたしはそういうのが著しく苦手である。でも、やらなきゃいけないからどうにかやってみる。(うまくいかないことも多いけど!)そうするとなんだか、自分の濃度が薄まっていくような気がする。異世界で透けちゃう千尋みたいな。自分の名前を忘れかけちゃうようなそんな感じで。

そんな毎日だから、自分のためだけに自分のことを考える時間とか、自分のためだけにやることは、どうやってでも確保しておくのが良いような気がしている。自分が自分のためにちょっと心が緩む時間を過ごすことが、自分を大切にすることであり、自分のためだけの安心空間なのかなと思っている。

名前も個性も尊厳も奪われてしまいそうな、均一化とかデータ化とかそんなのが進んでいる湯婆婆みたいな世界に、ちょっと抗う。もはや、「自分を愛する」ことですら抵抗なのかもしれないなと思う。
でも、それもやっぱり目的ではない。自分を大切にすることはどこまでも自分のためであってほしい。

今後の展望

これだけ「自分を愛すること」について考えた先で、わたしは「自分のことを大切にできなくても、愛せなくても大丈夫!」と言える人になりたいような気がしている。なぜなら、自分を大切に思うことってとても難しいから。そして、人生には「自分を大切にする」以上に、見るものも感じることもたくさんあるような気がしている。自分を大切にすることは、ただ「自分を大切にすること」で、人生の目的というより、よりよく生きるための手段だと思う。

結局、それぞれが少しでも楽しくて、面白くて、いい感じな日々を過ごせたらそれで良いのだというところに落ち着いている。

心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけてしまいましたが、最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。

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