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手掌多汗症の手術後、20年間の苦悩⑦

⑥の続き

私のカルテはどこ?
結論から言うと、私のカルテや当時の診療データなどは見つからなかった。
できることはやるだけやった。
このカルテ探しが、誰かの役に立つのであればと思うので参考にしていただけたら幸いです。

①手術をした総合病院に電話
②漢方を処方してくれていた病院に電話
③手掌多汗症の診断をした先生の居場所を探し出し手紙を送る
④当時の健康保険組合に電話

①手術をした総合病院に電話をし、事情を話しカルテの開示請求をお願いした。
最初に電話対応してくれた受付の女性は、パソコンをカチカチしながら、私の診療履歴を探してくれているようだった。
「受診歴はありますね〜」と確認できたようで「カルテ探してみるので少し時間を頂けますか?」と言われ、お願いし電話を切った。
意外とすぐにカルテ入手できるかも!?
待つこと1週間…
病院から電話がかかってきて「カルテを探すのは難しいです」と言われてしまった。
お礼を言って、ガックリし、少し考える…

難しいって、何が理由の難しいなんだろう?

カルテはどこかに保管されているけれども、その中から見つけるのが難しいと言うことなのか?
前に面談して話を聞かせてもらった男性も言っていた。
病院に何度も電話したって。

これくらい想定内!と思い、数日おき、数週間おきに5回ぐらいは電話したと思う。
でもやっぱりダメだった。
諦めの悪い私は、九州へ帰省した際に、直接その病院に行ってみることにする。
11月に直談判に行き、受付で何度も電話した者ですと事情を話し、やっぱり無理なんでしょうか?と話しているうちに目に涙が溜まっていることに気づいた。
すると、奥から責任者であろう女性が出てこられ、カルテの保管は10年なんです…申し訳ありません。と言われた。撃沈。

10年という決まりがあっても、それは病院によるんだと思う。
だって、20年前のカルテを手に入れた方を私は知ってるんだもん。
でも、これ以上病院を困らせることはできないと思った。
半泣きで訴える私に、寄り添うように説明をしてくれたその女性に申し訳なくて。

②漢方の処方をしてくれていた病院に電話をし、また同じことを伝えると、医院長から折り返しますとのこと。
診察が終わって手が空いた医院長から電話をもらうことができた。
今は関東に住んでいるということ、こちらで再手術ができる病院を見つけたということ、それには、手掌多汗症の診断書が必要だということを伝えると、事情を理解してもらえ、そこで書ける内容にはなるが、診断書を出してもらえるとの事だった。

とにかく、誰かが、私がもともと手掌多汗症だったということを証明してくれたら再手術を受けることができる。
頼れるのは、この病院しかなかったので、現金書留で診断書料と、改めて事情と協力への感謝を綴った手紙を入れたて郵便局へ。

数日後、診断書が届いた。

診断:胸腔鏡下交感神経焼灼術後の代償性発汗
手掌多汗症の診断で20年前に焼灼術を受けたこと、
診断をした病院名、当時の執刀医、
漢方治療を試みる目的で外来治療をしていたこと、
漢方薬の名前・・・

先生が書ける内容のものは全て書いてくれていたと思う。
一先ず、この診断書を持って、渋谷の山本英博クリニックに行ってみることにした。

だめだった。

手掌多汗症の診断にはなっていないから、ということだった。
先生も分かっている。なんで代償性発汗になってしまったのか。
でも、それを証明する確かなものがないと、保険治療という行為自体ができないのだそう。
だったら、お金の準備はするから、自由診療で手術できないかということも聞いてみた。
答えはNo。理由は、万が一、手術中に大量出血などのトラブルがあった際に、自由診療だとそれを守ってくれる仕組みがないのだそうだ。
先生の医師免許がなくなってしまうということ。
そこまでのリスクをおかして、いくらお金を払うと言われても、それは出来ないとのことだった。

診断書を書いてくださった漢方の先生には感謝している。
再手術して代償性発汗が解消されたら、直接お礼を言いに行こうとまで考えていたけれど・・・だめだったとの報告すら未だにできていない。

③最初に手掌多汗症の診断をし手術を執刀した先生を探し出すことにした。
他の病院にいらっしゃるかもしれないし。
ペインクリニック・先生の名前 で検索をしていくとある病院にたどり着いた。
九州の中でも田舎の方で、病院のHPを見てみると理事長をされているようだった。そして、同じ苗字の先生の名前があったので、家族経営のような病院だと思った。
いろいろな情報を繋げても、この病院で間違いないだろうと思ったけれど、いきなり電話をかけてはビックリされるだろうし、それよりも電話を繋げてはくれないだろうと思った。
だから、思い切って手紙を送ってみることにした。
当時お世話になったお礼、閉院を知ったこと、先生の事をご存じだという漢方の病院で代償性発汗のフォローをしてもらっていたということ、再手術ができる病院を見つけ代償性発汗の治療が可能だと分かったこと、それには、当初の診断書が必要であるということ。
だから、お願いしますと念を込めて書きつらねた。
一方的に、ちゃんと届くか分からない手紙を投函し、返事を待つことにした。
念の為に、訴訟問題のことも知っていると書いておいた。そのことで躊躇されないように、あくまでも私は治療がしたいのだということを念押ししておいた。

でも、待っても待っても返事は届かなかった。
当時の住所や電話番号、今の連絡先など個人情報は全て書いていたけど
音沙汰なし。
こちらから電話をかけようか迷ったこともあるけれど、先生には先生の事情があるかもしれないし、診断書やカルテの開示が可能であれば返事をしてくれるだろうと思っていた。
かなり遠いけど、直接行ってみることも考えたが、閉院した病院で20年前に診察をし手術をした患者が、いきなり現れるのも失礼かと思って、できなかった。

他に、なにかできることはないだろうか・・・?

④最後の手段
健康保険組合に電話で問い合わせてみることにした。
当時の職場は福岡だったので、福岡管轄の健康保険組合に電話をした。
でも、会社の本社が東京だったので、東京管轄の健康保険組合に回される。
なんとかなんとか、担当者に繋がり、事情を説明して、これまでの経緯も全て話し、もう健康保険組合しか頼るところがないんだと切実に訴えるも・・・
ここも、診療履歴の保存期限は最長でも10年で、20年前のデータは残っていないとのことだった。

再手術で治療できる方法が見つかったのに、カルテや診療履歴さえあれば手術ができるのに、、、
他に何か方法はないでしょうかと、また半泣きになった声で聞いてみたが、もう他に方法はなさそうだった。

私の、カルテ探しと再手術への道は絶たれてしまった。


次回
今、後悔していることと、今、私にできること。




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