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【私の家族①】

私の父は18年前、肺がんと間質性肺炎で亡くなっています。
左の頬から首が腫れ、当時私の働いていた病院の口腔外科で毎日点滴通院していたある日、病院で酸素濃度が低下しCTで間質性肺炎になっており、首は肺がんの転移だろうと診断され、それから5日でこの世を去りました。

口腔外科の医師は「もっと早く肺のCTを撮っていれば」と言ってきたが、その時は「もって1週間」と宣告された後。何を言おうと現実は変わらないから、何も言わなかった。

父の死後、母は葬儀の段取りすら出来なかった。
親戚が来てくれても泣き喚き、葬儀の時もどうして良いかわからないほど泣いていた母。
その後専業主婦だった母は精神的におかしくなり、「死にたい」と包丁を持ち出す日々。
妹は県外に居て、母のそばには私1人。
当時看護師2年目だったので、仕事の休憩時間に事情を話して自宅へ帰り、母の無事を確認する日々でした。

そんな中、妹は「お姉ちゃんが看護師なのに気づかなかったからお父さんは死んだ。お姉ちゃんのせいだ」と言い放つ。

昔から何かあると自分は関係ないと「長女の宿命だから」と面倒な事は全て私に押し付けてきた妹。
困った時は泣いてでも話を聞いてもらおうとしたり、私の都合関係なく部屋に押しかけてくるタイプ。相手にして喧嘩するのもアホらしいので、喧嘩にならないように対応するのが当たり前になってしまっていた私。

外面が良く、家ではわがまま放題の妹の本性にほとほと呆れて疲れた父の死だったことは今でもはっきりと思い出せる。

精神的におかしくなった母と勝手な妹、自分の仕事も交代勤務という中で、徐々に疲弊していった私の心。

その当時付き合ったり別れたりしつつも約7年付き合っていた彼氏がおり、結婚する予定だったが私の父が亡くなった事で、一周忌が終わるまで延期する予定になっていました。
近くで私を見ていた彼と彼の両親が、「長男だけど、あなたの家の方に住んで構わない。どちらにせようちは狭くてあなたに来てもらっても一緒には住めない。息子がそちらにいれば助けられることもあるだろうから」そう言ってくれて、しばらくして彼が一緒に住んでくれるようになったのです。

まぁその後に、数年前の彼の浮気相手が結婚を聞きつけて発狂すると言う出来事があり、結婚も前途多難だったのですが..

続く…


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