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【読書】ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

こんにちは。育休中小学校教員miiです。

先日読んだ本、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』について記録します。


あらすじ

多様性の尊重されるカトリック系小学校に通っていた優等生の息子が人種も貧富の差もごちゃまぜの元底辺中学校へ入学し、パンクな母ちゃんと共に考え、共に悩み、毎日を乗り越えていくリアルストーリー。

キーワード

エンパシ-、多様性

心に残った所①empathyについて

empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ。

エンパシ-という言葉をこの本で初めて知りました。シンパシーと似ているけど違うらしい。著者の別の書籍『他人の靴を履く アナーキックエンパシーのすすめ』を参考にまとめると

エンパシー…他者の感情や経験を理解する能力で、知的作業

シンパシー…「他者を理解している」と気持ちやそれを示す行為、自分から湧いてくるもの

エンパシーは能力ということから学習や訓練によって鍛え身に付けることができるものであると著者は言う。つまり、教育が担うべきところか。道徳や日常生活で「友達の気持ちを考えて」や「友達の立場に立って」と児童に言うことはある。しかし、この本の中ではそもそもその友達や周りにいる人々の状況が日本のクラスとは、大きく異なっている。経済格差、人種、障害、LGBTQなど日本では多数派で埋まっている状況が、著者の住むイギリスではより濃く表れる。

だが、多数派で埋まっているから、状況が違うからという言葉では見過ごすことはできない。子どもたちが社会に出たときに隣にいる人にエンパシーを使えるかは、学習訓練を担う教師にも掛かっている。日本にいても、また違う国にいても周囲の状況を意識してエンパシーを使える子どもを育てていきたい。

心に残った部分②多様性について

「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」「楽じゃないものがどうしていいの?」「楽ばっかりしていると無知になるから」

喧嘩や衝突、学校現場であると確かに面倒かもしれない。しかし、それぞれの立場の人が、自分とは全く違う立場の人の考えに直面するのがその喧嘩や衝突である。日本の学校現場でもイギリスほど濃くはないが、それぞれ育ってきた生育環境の違いがあり、日々喧嘩や衝突が起こっている。面倒だけど大切。面倒なことにも向き合える人間になろう。というメッセージを子どもたちに伝え続けていきたい。そして、教師である私も「面倒だなぁ」→「だから大切」を肝に銘じて。

心に残った部分③善意について

他人の靴を履いてみる努力を人間にさせるもの。そのひとふんばりさせる原動力。それこそが善意、いや善意に近い何かではないかな、と考えていると息子が言った。

この本では「善意はいいもの、であるがそれはいつもあるとは限らないし、人に気持ちは変わりやすくて頼りないもの」とも書かれている。しかし、頼りないもの=頼りにならないものではない。「友達の状況に思いをはせる」「人と分け合う」「ちょっと手助けする」そして相手が助かると自分にとっても気持ちいいという感覚を大切にしていきたい。

本全体の感想

ブレイディさんと息子の会話が素敵。私のクラスの子どもたちとこんな会話したい。また、自分の子どもとも、親子哲学できる関係になりたいな。

そのためにはまず自分がたくさん学び考えること、子どもたちの靴を私が履いて考えること、そして子どもたちの言葉を育てること。思考するのに必要な言葉。「やばい、すごい」だけではなく、言葉を豊かにしていきたい。

この本の続編が16日に発売されるので楽しみです。


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