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楽しいことで繋がりたくて

子を持って、絵本の楽しさを知った。それはそれは、暖かく、優しく、時に激しく、こんなにも面白い世界だということを、私は知らなかった。

育児をする上で、絵本の読み聞かせはとてもいいこだとされている。しかし、私自身は親に絵本を読んでもらった記憶はほぼない。実際母に聞いてみても「絵本、読まなかったなぁ」と、本人の証言あり。

でも一番得意な教科はずっと国語だったし、読書も大好きだし、文章を書くことも好きだ。親に絵本を読んでもらいたかったな…と思ったことは一度もない。

という経歴もあり、育児をする上で絵本を読む読まないは、正直どちらでもいいと思っている。本好きに育つとか、語彙力や読解力が身につくとか、、どんなことでも全ては個人の性質で大きく違ってくると思うからだ。

ではなぜ私は毎日のように子に絵本を読むのかというと、単純に私が楽しいからである。

図書館に通って、絵本を探すのが楽しい。子の成長と共に選ぶ対象も変わってくるのも楽しい。新しいお話にわくわくする。絵を見るだけでもとても刺激になる。幼少期に絵本を読まなかったおかげで、有名なものもほとんど知らなかった。はらぺこあおむし、わたしのワンピース、きんぎょがにげた、11ぴきのねこ、ぐりとぐら、しろくまちゃんのほっとけーき、など、絵も内容もほぼほぼ知らなかったので、全てが新鮮で面白い。

そこには知らない世界が広がっていて、作者の発想力、想像力、文才、画力、絵心、センス、デザインにただただ圧倒され飲み込まれていく。広く短いその世界は、余計なことを考える隙も無く終わる。私が普段読んでいる小説や漫画や雑誌にはない魅力がそこにあるのだ。


また、公園の楽しさも子を持って知ったことのひとつだ。第一子の息子が歩くようになった頃から少しずつ私は公園ハンターとなった。

地図で公園を探し、電動自転車に乗り、少しくらい遠くても新しい公園へ行く。いつもと違う遊具を見て喜んでいるのは子より私の可能性、大。行動範囲内の公園を脳内にたくさん集め、日替わりで色々な公園へ行くのが楽しい。夏の午前中は日陰が多いこの公園、冬や雨上がりは室内遊具も併設されているあの公園、帰りにスーパーに寄りたいならこっちの公園、など日々の状況に応じて公園を選んでいる。桜の木がたくさんある、紫陽花がたくさん咲く、紅葉がきれいに色付く、など公園ごとの見所もインプット済み。引っ越しをした時は、また公園を新たに開拓できるぞ!と気持ちが高ぶったものだ。

公園に行くと、日光を浴びることができる、遊具で体を動かし鍛えることができる、四季折々の草花を見ることができる、など育児の中でも大切なことがたくさん得られる。

が、私が子と公園に行く一番の理由は「子と家にこもっている方がしんどいから」という、どちらかというネガティブな感情からである。たまに「よく公園へ行ってて偉いね」と言われることがあるが、ただ私が外に出ている方が楽なだけなのだ。


育児をする上でいくら我が子のためとはいえ、苦手なことや好きじゃないことを続けていくには苦痛を伴う。そんな姿は、果たして本当に子のためと言えるだろうか。
多分、うちの親は絵本を読むことが得意じゃなかった。その代わり、お出かけをすることが好きだったので、大きな公園やテーマパーク、旅行にもたくさん連れて行ってもらった。絵本を読んでもらえなくても、両親との楽しく嬉しい思い出はたくさんたくさんある。
それがスポーツでも物作りでもゲームでもテレビでも、何でもいいと思う。大切なのは"一緒に楽しむ"という部分ではないだろうか。

私の場合それが、絵本と公園だったのだ。

我が家は寝る前に絵本を3冊読み聞かせをするのが日課だ。もう何年も続けていることだが、そう遠くないいつか、終わりが来るだろう。もしかすると、お子たちの記憶にも残らないかもしれない。

でも、私は一生忘れないと思う。

だって、息子と娘の間で絵本を読むその時間は、とても楽しいから。

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