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久しぶりにnoteを書き上げたら、思いがけず多くのひとに読まれ、生きる希望を感じた話。

公開翌日、note公式の『今日の注目記事』に選ばれたことをきっかけに、私史上圧倒的最多ビュー数とスキを獲得することとなった記事がこちら。

過去最高はトータルビュー数400台、スキも13でした…


いま、この記事を読んでいる方の中にも、すでに読んでくださった方がいるかもしれない。
その節は、どうもありがとうございました。

この矢沢あい展についての記事(以後、『矢沢あいnote』としよう)は、今年の4月以来、久しぶりに書いた記事で、”書いた”よりも”書き上げることができた”という言葉がしっくりとくるほど、実は、長い長い道のりの末に完成したもの。

こうやって公開できたことが心からうれしくて、ここでは、辿り着くまでの道中のこと、そして私が、公開後に感じた希望について書きたいと思います。


書く決意はしていた

矢沢あい展・福岡会場に行ったのは、今年5月の頭のこと。ここ6年間一人暮らしをした、福岡の中心街・天神の隣街である薬院を離れ、同じく福岡市内の少しはずれにある、おばあちゃんが住む実家へ戻った直後のことでした。

展覧会の感想は、矢沢あいnoteのとおりだけど、展示を観ているときから、ドクドクと胸の高鳴りも想いも止まなかったので、これは絶対に言葉に残そう(できれば、会期が終わる前に…)と、心に決めていました。その後数日間、私は、矢沢あい展の余韻をしっかりと引きずったけれど、すぐに言葉に起こすことはしなかった。

それから、実際に公開したのは8月。
私は”書くこと”がなかなかできなかった。

遡れば、そのはじまりは約1年前。
フリーランスとなり、新たな生活をはじめた私は、上手く仕事ができなくなったことで次第に心のバランスを崩し、その後、実家に帰る決断をします。自分ではどうしたらいいのか分からない状況の中、あるひととの出会いのおかげで、徐々に回復をし、矢沢あいnoteを書くまでに至ります。
そのストーリーをひとつずつ書いていきたいと思います。

フリーランスになる

悩み抜いた末に7年間在籍した会社を離れ、かねてから望んでいたフリーランスとなった昨年の夏。数年前から他にも仕事をしていたこと、そのほか、改めて、いまの自分がしたいことを明確にしたのちにこの決断をした。

前職の話を少し。福岡の小さなアクセサリーパーツショップのオープニングスタッフ(アルバイト)として始まった私のキャリアは、お店が徐々に知れ渡ると同時に、あれよあれよと、店長、そしてゼネラルマネージャーという役職に変化した。お店が成長していくことは自分のようにうれしく、仕事が心から楽しかった。前のめりに仕事に没頭し、時間を注ぎ、全国を飛び回った。どれもが苦ではなくて、自他共に認める超仕事人間だった。

そんな私が、1年以上悩み抜き、唯一の上司であるオーナーとも話し抜いた末、満を辞してフリーランスになった。

どうしたらいいのかわからない

ただ、イメージしていたようには、うまくはいかなかった。

自由度が高く、自分で決めない限り時間の括りがないフリーランス。でも、生活スタイル、仕事スタイルが一向に定められない。自分のできないことばかりが目につく。いままで、どう働いてきたのかも分からなくなる。でも、自分を奮い立たせるのは自分しかおらず、またやってみる。でも、また上手くいかない。

どこに突破口があったのだろう。
もちろん、これまでにも、仕事において凹むことはあったし、失敗することもあった。不甲斐なく思うことも幾度もあった。いつだってポジティブに受け止め、どうにかなるさと生きてきた私だったはずなのに。がんばりたいのにがんばれない。
もう、どうしていいのかがわからなかった。

超仕事人間だったはずが途端に仕事を上手にこなせず、今まで積み上げてきた信頼がいとも簡単に崩れていくさまに、一番耐えられなかったのはこの私だった。
それでも微かにあったプライドは、私をどうにか支えてくれていたけど、おかげで、そのときは誰にも、本当のことを打ち明けることができなくて、少しずつ少しずつ、私は自信を失っていきました。

そうして、翌年の春。
私は実家に戻ることを決めるのです。

実家に戻る理由

補足をすると、日常生活はできる状態です。友達にも会っていたし、ごはんも食べれていた。仕事も上手くいかないながらに続けていました。

年末になっても、私の自信は回復せず、引き続きメンタルは緩やかな下降傾向。重ねて、暮れに金銭的なネガティブ事件が突然勃発。もうすぐ年が明けようとしているのに、まだ、そんなことが起こるのか2022年、と、肩をがっくし落としました。
それでも年は明けるもの。東京から帰省していたお兄ちゃんに、その事件について話を聞いてもらいました。すでに親が側にいない私には、彼の存在は心強く、時折相談をします。

「最悪、ここ(実家)があると思っていたらいいんじゃない?」

お兄ちゃんは、話の最後に、そう言いました。
年始時点の私は、実家へ帰るつもりが全くなかったため「そうだね〜」と軽く聞き流していました。が、3月に訪れた、満期更新による引越し決断のときに、ふと、その言葉が頭に浮かびました。そして、もう一度、どうするべきなのかを考えました。

もしも、私が、”実家”に甘えることができるならば、このタイミングが最後かもしれない。何故ならば、いまやおばあちゃんしか住んでいない実家が解体する時期を、私はごく近い将来に覚悟しているから。

これまで住んでいた家が、駆け出しフリーランスだった私には贅沢な物件と立地だったこと、心に決めた県外移住に向けた準備と実家の荷物整理をしなければいけなかったこと、引越し理由を考えるといくつも出てくるけれど、このタイミングでの実家の存在は、弱っている私には正直心強かった。

一人暮らしをする前に、おばあちゃんと二人で暮らしていたときに日々感じた大変なことも忘れてはいない。それをもっても甘えたいと思ってしまった。

そうして、薬院の街に後ろ髪をぎゅっと引かれ続けながらも、私は引っ越しを決意する。私はこの引っ越しを『次のステップアップのため』と称している。決して、”ネガティブな出戻り”ではなく、”幸せな未来に向けたポジティブな選択だ”という、せめてもの強がり。

別れと出会いの4月

引越しという大きな決断をした私は、4月半ば、〈みずのけいすけさん〉という人物に、はじめまして、と、TwitterでDMを送ります。

みずのさんは、noteの元ディレクターであり、現在は独立後、会社と個人のブランディング支援、また、《パーソナル編集者》としてお仕事をされている方。

大好きなエッセイスト〈スイスイさん〉が、noteマガジンで年始に募っていた《2023年の願い》。私が今年の願いを送った返答として、noteなどの発信についてさらに自分の理解を深めたいなら、信頼できる人に相談するのもいいかもしれない!とおすすめしてくださったのが、みずのさんだった。

悩むことが多く、思うように仕事もままならない昨今の私。でも、”書くことを仕事にしていきたい”という思いはずっと消えずにあった。
スイスイさんがおすすめしてくださったことと、Twitter上のみずのさんのつぶやきから伝わる雰囲気だけで、《パーソナル編集者》のみずのさんにお世話になることを決めました。特にどんなひとかもあまり調べることもしなかったです。

家具もほぼ移動させた後の、引っ越し終わりがけの家のフローリングの上で、みずのさんと初めましてのオンラインカウンセリングを受けたのだった。ただの感覚的なものだけど、カウンセリング前に不安はなかった。そして、カウンセリング直後に、これから、きっと何かが変わっていくであろう予感にとてもワクワクしたことを覚えている。

そして、その数日後、
私は6年間お世話になった家を無事に退去します。

やさしさに包まれて

そして、1ヶ月が経ち、みずのさんとの1時間のオンライン定例会の日。「最近どうですか」の冒頭の問いに、私は言葉を詰まらせてしまった。嘘でも「元気です」なんて言える元気すらなくなっていた。その状態では書くこともできないからと、みずのさんは心のうちをどんどん出すように言った。

オンライン上で会って2回目のひとに話す内容ではないような、自分の心のうちにある不安ごと、悲しかったこと、つらかったこと、苦しかったこと、ずっと誰にも打ち明けられなかったことを、過去の出来事から現在進行形のことも、ぼろぼろと口に出した。

何を言ったかあまり覚えていないし、文脈もめちゃくちゃだっただろうし、涙もいっしょに垂れ流していたけど、みずのさんは「うんうん」とやさしく受け止めながら、聞いてくれた。

その日はそれだけで時間が終わってしまった。
どれだけ溜め込んでいたのかと私は驚いた。自分で上手に消化できていると思っていた出来事たちは、心の中でべっとりとこびりついていたようだった。
「でも、まだまだ(心に)ありそうだね」とみずのさんは言う。その日、たくさん受け止めていただいたことで、心は確実に和らいだ。でも、そのとおり、まだまだあった。そして、みずのさんとのslackに「こころのままにチャンネル」が立ち上がった。

「こころのままにチャンネル」開設

「こころのままにチャンネル」は、その名の通り、私が心のままに書き出す場所だ。

例えば、傷つくことがあったとき、いままでは「悲しいね」と、自分自身で受け止めて、これからの糧にできるように前向きに変換するようにしていた。そうやって、いつも自分の中の私と会話するように解決したきた(つもりだった)ものを、さらに文字に書き出すのがこのチャンネル。

決まりは何もない。ただ、私が心に思うことがある度にそれを書き出すだけ。毎日でも、どんなことでもいいと言っていただいたので、お言葉に甘えていつでも何でも書き出している。出来事とそのときの心情だけを綴ることもあれば、自分で解決済みの報告だけをする場合もある。

気をつけていることは、みずのさんが目に通す手前、内容が伝わる文章であることと、あくまでも「こころのまま」書くことが大事なので取り繕わないこと。というより、前回のボロ泣き定例会を経た私は、みずのさんにどうやっても格好がつくわけがないのだ。ここには書けないことすらも私は話したので、偽りなく、素のまま出すことは大切にしている。

みずのさんからは、それに絵文字やつぶやきでリアクションをもらう。受け止めてもらえていることに安心する。

1ヶ月の間、書き出し、受け止めてもらい続けたが、6月もほぼボロ泣き定例会だった。まだまだ私の心は乱れていた。「こころのままチャンネル」継続。

そして、さらに1ヶ月が経った7月のとある日。

「 また、仕事をがんばりたいな 」

突然に心がそう思った瞬間があった。
私は、自分の心からのその声を聞き逃さず、ひとり噛み締めた。

どうしたらいいのかわからなかった見失いかけていた仕事への熱が、わずかながらもまだ絶えていないことに、心底安心したのだった。

また、「こころのままに」チャンネルに書き出すようになり、みずのさんの受け止めのおかげと、自らも自分の心を客観的に受け止めるようになり、ひどくもつれていた感情がゆるやかにほどけていくことも、確かに感じられるようになっていた。

いつ、また、あの私に戻ってしまうんじゃないか。そんな心配もつきまとう。でも、再び心の思うままに、仕事に取り組みはじめると、気持ちが乗る感覚があった、怖がっていたものにも少しは向き合える心になっていた。それに、もつれた感情のほどき方もいまの私は知っている。
初心に帰って、1つずつ丁寧に仕事をすることから努めていった。

久しぶりにnoteを書く

そして、7月の定例会。私は泣かなかった。
いまの状態をみずのさんにお話し、ようやく、書きたい記事があるという話をした。それが、矢沢あい展についての記事だった。最後の巡回である名古屋会場が8月14日で終わることは分かっていたので、それまでに書きたかったのだ。

久しぶりの執筆。感覚を取り戻すまでに時間を要してしまったけど、書き出す作業は、相変わらず心地がよかった。公開前の記事をみずのさんに確認いただき、いくつかのアドバイスを受け、加筆修正。そして「めちゃいい記事だと思う、これ」と、お墨付きをいただいた。とてもうれしかった。

8月4日、4ヶ月ぶりにnoteに記事を公開した。
『矢沢あい展に行ったら、私の人生のバイブルがあの作品だとわかった』

公開直後、自分のライター用のX(旧Twitter)アカウントやInstagramアカウントでお知らせをした。反応はあまり見られない。でも、特別落ち込むことはない。だって、いままでもそうだった。少し残念ではあるけど、まだまだ頑張っていかないといけないな。そう思い、noteのダッシュボードを更新し続けるのをやめて、アプリを閉じた。

8月8日、お昼に何気なくnoteアプリを開くと通知が何件もきていた。
矢沢あいnoteが、いままでのビュー数を遥かに超えて、めちゃくちゃ読まれている。なんで????

通知を遡ると、noteの『今日の注目記事』に選んでいただいたことがわかった。ほかにも、2つの公式マガジンに選んでいただいていた。そんな仕組みがあることも知らなかった私は、取り急ぎ、みずのさんに、slackで喜びの報告をしたのだった。

そして、背中を押される

この反響を知る前の数日間の私は、今後の働き方の方向性ついて切実に悩んでいた。ようやく仕事について考えられるメンタルになると、向き合う必要のあることが多かったのだ。そうして、何度も何度も自分に問いただして選んだことは、「書くこと」をメインとして、自分が生み出すことに時間を注ぐこと。改めて覚悟を決めました。
※いまやっている他の仕事は継続する上でのお話です。

矢沢あいnoteの反響に気づいたのは、その翌日のことでした。

言葉では何とでも言えるから、これからの私の行動が全てだとわかっています。ただ、このタイミングでのこの反響を、「これから、書くことがんばって!」と応援されているようにしか思えなかった。書くことをがんばっていいのだと、ほんの少しだけ自信がもてたのです。

おわりに

長い間、私史上はじめての苦しい期間が続きました。
こんな私は初めてで、どうしたらいいのかがわからなかったし、
みずのさんに出会って、「こころのままチャンネル」を開設する未来なんて知らなかった。

でも、ずっと好きだった「書くこと」と向き合うことが、長い長い道のりの突破口でした。

その後も、矢沢あいnoteを多くの方が読んでくださり、「スキ」をいただいています。友人たちからも、読んだ感想と共に個別で好きな作品や思い出が送られてきたりと、愛する矢沢作品への想いをたくさんの方と共有できていることに、胸がいっぱいです。書き上げることができて、本当によかった。

この反響に関わる全ての方々に感謝します。
大袈裟ではなく、この反響は、私の人生の希望です。
心からありがとうございます。

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