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今年も3月9日を迎えて

「 3月9日 」

私にとってこの日は、お母さんの命日です。

2016年に他界したので、今年で満6年。
七回忌を迎えました。

もう、そんなに経ったなんて、正直実感皆無。


鶴の2周目の47都道府県ツアーファイナルの大阪公演を観に行って帰ってきた数日後のことでした。懐かしい。

当時は、ほんとうにたくさんのひとに支えてもらいながら、私は日々、ふとしたときに泣き暮れていたなあ。そのころのInstagramの写真を振り返ると、悲しかったはずのに、こまめに更新していて、ちゃんと生きようとしている力強さを感じます。よくがんばったな、わたし、ありがとう。

私の記憶のお母さんは、もうかなりデフォルメされてるとは思うけど、かなりスーパーウーマンで、すごい働いて、おいしいごはん作って、大きな声で喋って(すごく声大きかった)、自分の大切なものをどうにか大切にしようと向き合って、私たちのこと全力で愛してくれました。3人の中高生の子どもがいながら母子家庭になり、悩んでたことも、辛かったことも、きつかったことも、寂しかったことも、山ほどあっただろうに、私の記憶のお母さんの苦しそうな姿は、自宅療養の末のほんとうに最期の数日だけで、それまでは、いつも前を見据えて、明るく未来を信じていました。

実は、私、昨年から右下腹部に少しだけ時々痛みがありました。お母さんが卵巣がんであることと、お母さんの妹(叔母さん)も同じ病気で他界してることから、私は、自分もその可能性があるかもしれないと前から自覚しているので、その痛みがあったときに、検査前ながら、もしかしたらこれで死ぬかもしれないと、自分の死を考えました。そうすると、めちゃくちゃ死ぬことが怖くなりました。まだ死にたくないと思いました。

そのあと、私は今年2月頭に病院に行って検査をしたところ、問題はなにもなく、ほっと胸を撫で下ろしたのですが、

あのとき、がんを宣告されて、数ヶ月ずっと自宅療養で、毎日明るく生活していたお母さんを思い返すと、その精神力の強さと愛情の深さを、改めて思い知りました。

私は、お母さんが完璧だったとは思っていません。ダメだったところも知っているし、大人になって気づいたこともあります。でも、それは人間当たり前で、それが普通で、ただ、私にとって、全力で生きている母は偉大でした。それは、ほんとう。


そんな姿を見せてくれていたから、
私も自分の人生を全うしたいなと
改めて思う、3月9日でした。


今日は、お母さんの命日であることと
先日の自分たちの誕生日にお祝いができていなかったので
おばあちゃんとご飯に行ってきました。

クリスマスは一緒に観に行けなかったから
博多駅のさくらイルミネーションを観せれてよかった。
ピンクのグラデーション、非常にお気に入りです。

着てきた洋服のコスパの良さを
「いくらやと思う?」と金額クイズと共に
意気揚々と喋るおばあちゃんは、
やはり関西人なんやなと思いました。

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