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魔女として燃やし尽くされた女の子の話

賢くて繊細でものをわかりすぎる女の子は市場から余り野菜を集めるのも慣れてきたところで厨房頭の太ったおばさんに言われました。

「市場係も慣れてきたようだし、かまど番をやってもらおうかね」

かまど番は朝早くかまどの火をおこし、夕方火を落とすのです。寺院に寝泊まりしている女の子がやるのは適任でした。

早朝の冷たい空気の中、寝床から抜け出して種火から火を移し、紙屑や小枝に移し、指くらいの木をくべ、火が育ったらば太い薪をくべます。そうして安定した火力になったころ厨房担当のみんながやってきます。

「あんた、野菜の下拵えはさっぱりだったけれど、火の世話はうまいね」

厨房頭の太ったおばさんは言いました。女の子はうなずきました。


火を熾すときに女の子は水に住む生き物になった体験を思い出します。水に身をゆだね、水とともにある人生。森に住んでいたとき女の子は毎日のように水と話しました。水が持っている地球の記憶を見せてもらいました。水や大地や風や星は隣人であり親しい友人でした。が、魚のように水との調和やゆだねるということは出来ていなかったのです。

「びっくりだわ。森の賢い人なんて呼ばれててもわかっていないことだらけ」

小枝を舐めるように火が飲み込んでいきます。女の子は指くらいの太さの枝を足しました。

「私は友人が欲しかったから、水や大地や風や星をそう言う風に扱っていたのかもしれない」

女の子は薪が積まれた土間を見つめます。土に生きる虫となったときはどうだったでしょうか? 安心感と安定感、土に包まれ、土にすべてを与えられ、それに満足しきっていました。

「土に包まれる安心感、土に取り込まれる安心感」

女の子は土間をぺちぺち叩きました。どっしりとした大地、育んでくれる大地、やさしく何でも飲み込んでしまう大地。

燃える木がはぜて、音を立てて崩れます。女の子はかまどに目を移します。薪をくべようとしたとき、羽虫が火に引き寄せられ、火に飛び込んでしまいました。

女の子は火に焼き尽くされる虫を見ていました。昔、水に見せてもらった記憶を思い出しました。人々が魔女を火炙りにしていました。魔女と呼ばれる人たちは女の子と大して変わらない特質の人もいれば、完全に濡れ衣を着せられた人もいました。火にくべられる生き方とはどんなものでしょうか。


そう思ったとたん、女の子は火炙りにされる魔女になっていました。いえ、燃え尽きようとしている虫でしょうか? くべられた薪でしょうか?

いずれも違うかもしれないし、それらすべての体験をしているのかもしれません。女の子の体が燃えています。皮膚を舐めるように燃やし、気管も焼き尽くされ呼吸も出来ません。視界は赤く、暗く、七色に変化します。

耳に聞こえるのは燃える火の轟音のようであり、音がない音のようでもあります。体が燃やされ、燃やされることで自分が違うものに変換されていくのがわかります。水蒸気となり、煙になり、光となります。土のようにしっかりとした体から解き放たれて、煙のように光のように軽いものへと変換されていきます。意志が閃光のように走ります。

私は光へと変容する。ここで終わりはしない。脈々と変身しながら私はこの世界を旅する。

重たい体がすべて燃やし尽くされることは解放でした。もっと軽い存在へと変わっていくのは喜びでした。

「ああ、そうだ。変容とはそう言うものだった。死とは終わりではなく新たな始まりだった」

そう納得したとたん、女の子は落下しました。落下して重たい肉の体に収まり、かまどの火を見つめていました。

「何してるんだい。火が燃えきそうじゃないか!」

出勤してきた厨房頭の太ったおばさんが怒鳴りました。慌てて女の子は薪をくべました。


火の体験をしてから女の子は人々の中で生きるのが楽しくなりました。

「変容、つながり、何かになりきること。何かになりきることは遊びで学びね」

土や水に生きるものになりきることは女の子に違う世界の見方を教えてくれました。そして痩せたい女の人になる体験も。

「人々は厨房頭になりきったり、忙しい商人になりきったり、痩せたい女の人になりきって遊んでいるだけ。それでしか学べないことがある」

女の子は人々と接するときに「この人はどんなものになりきってるんだろう?」と観察するようになりました。すると市場の意地悪な商人も、怒鳴って急かしてくる厨房頭も、スープをもらいにくる物乞いも興味深く愛おしいのです。商人は金と名誉の競争をしに来ていました。厨房頭は計画通りに進める達成感を得に来ていました。物乞いは他者の手に自分をゆだね信頼する学びをしに来ていました。

それぞれのやりたいことを尊重すると決めたとたん、女の子から「なんでそんなことを言うの?」「どうしてそんなことをするの?」「理解できない!」が吹き飛んでしまいました。

やりたいのです。苦しみもがく生き方をしてみたいのです。そう言う生き方をするから、苦しみを生む考えになり、自分や他人を批判する言葉が生まれるのです。苦しみもがく体験は水の流れに逆らう体験に似ていました。急流をさかのぼるとき魚はただ挑戦したいだけでした。人々も流れに逆らうことにただ挑戦したいのです。

魚として流れに乗って川を泳ぐこと、魔女として薪として燃やし尽くされることは喜びであり発見がありました。きっと人々が大いなる流れに逆らい、苦しみによってエゴを燃やされ変容するのも喜びであり発見なのでしょう。

続く。

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