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「環境を変える」以上のことを。




目の前に苦しんでる若者が来たとします。

働けなくて引きこもっているような状態です。



あなたはどうしますか?



「甘えるな、働きなさい!」と叱咤するでしょうか。

「そのままでいいよ、疲れたね、休みなさい。」と声をかけるでしょうか。

「違う環境に行くのがいいよ。」と提案するでしょうか。







いま出雲での本質的な叡智のバトンに参加しています。



働けなくなり、引きこもってしまったという

若い女性の方が来ました。



彼女は三日間、サロンの『蒼弓の想い』に滞在して、

帰り際に「働きます」と言って帰っていきました。

泣きながら、笑顔で帰っていきました。



この場では、

「甘えるな、働きなさい!」と叱咤はしないし、

「そのままでいいよ、疲れたね、休みなさい。」と声をかけないし、

「違う環境に行くのがいい。」と提案はしません。



彼女はこの場で、

『本当の意味での人生』の話を聞きました。

『相手の存在』を本当に知りたい、そう願う人たちと関わりました。

(と言っても、専業主婦とか会社員とか、普通の人たちです。)



そして彼女は、

『他者の存在』に興味を持ち始めました。

今まで感じたことのない、『自分の存在』を同時に感じ始めました。



「人生ってもしかして…今まで思っていたものと違うんじゃないかな?」

そう気付き始めました。



原因があって何かが起こるとか、

環境などの影響を受けるものではなくて、

その人のために人生があるということに気付き始めました。



彼女は、前と変わらない同じ日常へと帰っていきます。

だけど、その日々で感じることは、全く違うはずです。







目の前に苦しんでる若者が来たとします。

働けなくて引きこもっているような状態です。



あなたはどうしますか?

「甘えるな、働きなさい!」と叱咤するでしょうか。

「そのままでいいよ、疲れたね、休みなさい。」と声をかけるでしょうか。

「違う環境に行くのがいい。」と提案するでしょうか。



もちろんわたしは、

「こうしたことをしてはいけない」と伝えたいわけじゃなくて、

あなたが目の前に苦しんでいる人が来たときに…

何を観ればいいのか?と言うことを知って欲しいのです。



そして、「こう言う悩みの人にはこうする。」と言うことではなくて、

あなたとして、それぞれの『その人という存在』へどう関わるのか?

ということを知って欲しいのです。



そうした関わりだったら…

叱咤する以上の、

慰める以上の、

環境を変える以上の、

相手が幸せになっていく姿を見られるから。



相手が実感を持って自身の人生を生きていく、

そんな幸せな姿を感じ続けられるから。



本質的な叡智のバトンについては

https://ameblo.jp/sora-ni/


みほ