「環境を変える」以上のことを。
目の前に苦しんでる若者が来たとします。
働けなくて引きこもっているような状態です。
あなたはどうしますか?
「甘えるな、働きなさい!」と叱咤するでしょうか。
「そのままでいいよ、疲れたね、休みなさい。」と声をかけるでしょうか。
「違う環境に行くのがいいよ。」と提案するでしょうか。
*
いま出雲での本質的な叡智のバトンに参加しています。
働けなくなり、引きこもってしまったという
若い女性の方が来ました。
彼女は三日間、サロンの『蒼弓の想い』に滞在して、
帰り際に「働きます」と言って帰っていきました。
泣きながら、笑顔で帰っていきました。
この場では、
「甘えるな、働きなさい!」と叱咤はしないし、
「そのままでいいよ、疲れたね、休みなさい。」と声をかけないし、
「違う環境に行くのがいい。」と提案はしません。
彼女はこの場で、
『本当の意味での人生』の話を聞きました。
『相手の存在』を本当に知りたい、そう願う人たちと関わりました。
(と言っても、専業主婦とか会社員とか、普通の人たちです。)
そして彼女は、
『他者の存在』に興味を持ち始めました。
今まで感じたことのない、『自分の存在』を同時に感じ始めました。
「人生ってもしかして…今まで思っていたものと違うんじゃないかな?」
そう気付き始めました。
原因があって何かが起こるとか、
環境などの影響を受けるものではなくて、
その人のために人生があるということに気付き始めました。
彼女は、前と変わらない同じ日常へと帰っていきます。
だけど、その日々で感じることは、全く違うはずです。
*
目の前に苦しんでる若者が来たとします。
働けなくて引きこもっているような状態です。
あなたはどうしますか?
「甘えるな、働きなさい!」と叱咤するでしょうか。
「そのままでいいよ、疲れたね、休みなさい。」と声をかけるでしょうか。
「違う環境に行くのがいい。」と提案するでしょうか。
もちろんわたしは、
「こうしたことをしてはいけない」と伝えたいわけじゃなくて、
あなたが目の前に苦しんでいる人が来たときに…
何を観ればいいのか?と言うことを知って欲しいのです。
そして、「こう言う悩みの人にはこうする。」と言うことではなくて、
あなたとして、それぞれの『その人という存在』へどう関わるのか?
ということを知って欲しいのです。
そうした関わりだったら…
叱咤する以上の、
慰める以上の、
環境を変える以上の、
相手が幸せになっていく姿を見られるから。
相手が実感を持って自身の人生を生きていく、
そんな幸せな姿を感じ続けられるから。
本質的な叡智のバトンについては
https://ameblo.jp/sora-ni/
みほ