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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP22

エピソード22
卒寿のお祝いを盛り上げてくれた温かい計らい

2017-09-30

昨日の昼間、父の用で大磯町役場に。
戦死した兄に対して国から出る特別弔慰金というものを受け取るための手続きだ。 面倒だったけど、父が下関市で生まれたことや、会ったことのない伯父の生年月日や没したとされる年月日までがわかり、しばし偲んだ。
大正12年生まれで、昭和19年に船の上で亡くなっている。まだ21歳くらい。
写真でしか知らなかった遠い人が、なんだか急に身近に感じられた。
伯父はあの時代に確かに生きていて、そこに青春や生活があったんだなと。

私が大好きだった祖母は明治35年生まれだったから、
息子の戦死に接したのは43歳の頃だ。
83歳で亡くなる前、80歳の手習いで始めた川柳のような句を毎日詠んでいて、
一時危篤から生還したとき、特に盛んに戦死した息子のことが出てきていた。

「四十年も過ぎしにやきつく二十歳の顔」

祖母の一周忌に作ったささやかな遺作集『夢三味線』を久しぶりに引っ張り出したら、そんな一節が出てきた。
四十年という計算がピッタリなことに驚く。
つまり悲しい知らせからひとときも忘れずに息子のことを思い続けていたということだ。

ちなみに私の大好きな祖母の詩はこれ。

「ねむられね夜は三味線口でひき」

三味線を弾いていた祖母が、夜ベッドの上でエア三味線を歌いながら弾く姿がまぶたに甦る。
伯父のおかげで、思いがけずファミリー・ヒストリーをたどることとなった。

大磯役場で時間がかかりお昼になってしまったので、
そうだ! と役場のほぼ隣の同級生のトンカツ屋はやし亭にも久しぶりに。
おばさんと話してたら、隣接のギャラリー「ぶたのしっぽ」で、めっちゃ仲のいい同級生が縮緬細工などの展示会をやってることが判明。
たしか30代後半、趣味で始めたことだったと思うけど、今やいろんなコネクションを持ち、コラボでコーヒーまで作ってるという。
続けたことがその人の仕事と呼べるものになるんだなぁとつくづく。
なんとまぁいろんな時間の旅した金曜の昼下がりでした。

2017-11-16

父のご機嫌伺いのあと、実家で水道修理の立ち会い。
無人になると家って本当に痛むんだね。
住む人とていない庭が花盛りなのも、うれしいやらせつないやら。
ゼラニウム、山茶花、千両、金柑、もうすぐ咲きそうな温室のカニシャボテン。
母の金柑蜂蜜煮の味とか、祖母が大事にしてた月下美人のこととか思い出した。
せっかく水道は直ったのに、水やりホースがつまって出ない。
仕方なしに壊れかけのジョウロを花たちに傾けながら「次まで元気でね」と言ったとさ。

2017-12-16

今日は、明日満90歳を迎える父の誕生パーティでした。
外に出るのは本人の負担になるので、家族で一緒にケアハウスの通常のお昼をいただき、持ち込んだケーキでお祝いをするということを考えていたのですが、
所長さんの粋な計らいで、松花堂弁当のお祝い膳にしてくださり、
さらに金箔入りのスパークリングまで届けてくださった。

スタッフの方たちが勢ぞろいで祝いに来てくださったり、
可愛いお箸袋をスタッフの方がYouTube で調べて作ってくださるなど、
思いがけないことばかりで、本当にうれしかったです。
私はご挨拶代わりに、父の90年の歴史を駆け足で紹介。
父は「宝船」というおめでたい詩吟をうなりました。
これからも毎日を生きいきと過ごしてほしいと願った一日でした。

2017-12-31

今年も寸分違わずお重二個分できました。
母から徐々に引き継ぎ、責任監修20年近くで、今回が一番手際よくできたかも。
味もまぁよしとしよう。
でも、冷めたら昆布がちと硬め。90歳の父に「硬い」と言われちゃうかな。
味付け前にあと10分煮ればよかった。ああ、まだまだだ~。
お昼は外で年越しそばをいただきます。みなさん、よいお年を!

祖母の遺作集、愛でる人のいない庭の千両、卒寿のお祝いケーキのろうそく消し


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