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完璧主義もゆるして生きていく

上手くいかないなあ、と思う時は、なにかに対していただいた期待がかなわなかったときだ。

宝くじを買ってあたらなかったら、宝くじあたるってなかなか上手くいかないな、って思う。大なり小なりすべての「うまくいかない」感はこれと同じ。

どんなにセオリー通りにやっても、どんなにマニュアルに従っても、同じ結果が得られるとはかぎらない。

やる人の特質、やる環境、前提、相手の特質、時代、社会の傾向、ひとつでも要素が違えば、結果はかわる。

だから、これをやれば絶対うまくいく、というものをその通りにやって結果うまくいかなかったとしても、別にそれはその人に能力がないわけではない。

せっぱつまればつまるほど、絶対にうまくいく方法を求めてしまう。これならもう期待を裏切られることはない。これなら悪夢を抜け出して夢のような現実が始まる(また夢の中ではないか?!)。

せっぱつまると、こんな風になったら成功と、成功の条件が厳しくなりがち。ストライクゾーンがめちゃくちゃ狭い。よけいにうまくいった、と思える可能性が狭くなる。

50%のゾーンが成功と考えている人と、10%のゾーンしか成功ではない、と考えている人では、後者の方が成功率が当然ひくく、がっかりする可能性もたかい。がっかりしたくないから、10%を目指し、結果をコントロールしようとする意識もガチガチになる。

50%のどこかにはいればいいや~、と思っている人は、たぶんそこまでがちがちじゃない。「ま、どこかに当たるっしょ」ぐらいで、ひょっとすると期待したことすら忘れてる。

宝くじ買ったことも忘れてて、あ、そういえば、って引き換えにいったら高額当選、みたいな。こういう人って、数万円であっても大成功って思えるんじゃないかな。億あたらないと失敗、と思っているよりずっと楽だ。

私自身が狭い条件で結果をコントロールしようとしてしまうたちだから、そういう在り方に非常にあこがれる。完璧を目指す職人にもあこがれつつ、こだわらない生き方にも魅力を感じる。

完璧を目指すから苦しい。よく言われるし、実際そう。でもどうしても完璧を目指してしまう。目指しているものの美しさをイメージできてしまうから。その美しさを知っているから。その美しさを具現化したいと欲してしまうから。

それはむしろ才能だし、美徳でもある。完璧主義って最近は幸せな生き方の一番の敵ぐらいに言われがちだけれど。

完璧な幸せのための完璧な結果を完璧に獲得する。こうなっちゃうと苦しいから、自分の求める美しさを尊重しつつ、それもいいけれど、そうでなくてもいい。

完璧を求めて突っ走れるときは突っ走ったらいい。そういう特質があるから、人類は限界を突破できてきたんだ。ただ、それをいつもしなくてもいい。すべてのことにしなくていい。

完璧主義を完璧にやる日もあれば、完璧主義を捨てるを完璧にやる日もある。でもその間もあっていい。それでいいんじゃない?




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