思考を元から変える
瞑想で考えや感情をただ流れるがままに見ていると、すべての考えや感情は、自分がコントロールできない「どこか」から湧いてきていることが分かる。
これを考えよう、と思って考えるのではない。そんな風に感じたとしても、ではこの「これを考えよう」という考えはどこから生まれたのか、コントロールして生まれたのかというと、そうではない。
だから、なにかをやるとかやらないとか、考えるとか考えないとか、ポジティブにいるとかいないとか、そういうことすべてが、自分の意思と無関係に生まれてくる。
だから、~のように行動できない、~のように考えることができない、というのを悩んでも仕方ないし、できない自分を責めても意味がない。
ただ何となく感じるのは、そのどこなのかはわからないけれど思考が生まれる土壌のようなところに、影響を及ぼすことはできるような気がする。ただし、土壌に影響を及ぼそうと考えるのもそう願うのもまた思考なので、依然としてそのどこにあるかわからないところから生まれた考えではあるのだけれど。
考えが流れてきたときに、感情が揺れることなくただ通り過ぎていくものと、ぎゅっとつかまれてゆらされるものがある。
もっと精密に言うと、実は先に感情が流れてくる。さらにもっと精密にいうと、感情に伴う身体の状態がくる。たとえば胃に圧迫感を感じるとか。
胃に圧迫感があると、私の場合は不安という感情と結びつく。不安が起こるとその原因にぴったりな思考が探し出される。この症状にはこの思考、と処方されるみたいに。
これらが瞬時に起こるので、逆の順番で起きているように私たちは感じる。でも思考を観察しているとこの順番であることがわかる。
だから、この不安という感情と結びつく思考の方を変えたり、胃の状態と不安との結びつきを解いたりすれば、胃に圧迫があっても不安まみれの思考を呼び出すことがない。
このむすびつきが消えることで、自分という土壌にどんな思考が生まれるか、の方程式が変わるんじゃないかなと思う。
何度も言うけれど、それをなるほどと思うかどうかも、そしてやってみようと思うかどうかも、やはりコントロールの及ばない「どこか」によることではあるけれど。
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