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ニーチェ君と話しが合いそう。魂の三段の変化

昨日の記事「お母さん、さようなら」に、ニーチェの霊の三段の変化を思い出した、というコメントをFacebookでいただいた。

ニーチェの三段の変化というのを知らなかったので調べてみてびっくり。私の母との関係で体験したこととをそっくり言語化するものだったから。

このブログが分かりやすかったのでご参考まで

魂は駱駝→獅子→幼子という段階を踏んで変化成長をしていくという考え方。

ざっくりまとめると



駱駝:荷物をたくさん背中につんで、命令に従って運ぶ状態。重荷に耐える修行中みたいな感じで、その精神は強く、自ら最も重いものを求める。

この駱駝の状態で疲弊し前へ進めなくなると、次の段階が来る。ただし、進めない状態もまた精神的には気持ちが沈んだり、前向きになれないのでしんどい。

獅子:動けなくなることで変容していくのが獅子。獅子の精神は自らの意志で動く。命令ではなく自分の望みに従うため、駱駝のように命令者に従うことができず、対決し支配からの自由に向かう。

幼子:支配への服従でもなく、支配へ反発した自由でもない。肯定も否定もしない、ただあるがままに受け入れる精神状態。過去と経験による判断がないためまっさらで無邪気な赤ちゃんと同じ状態。

制限も感じていないし、自由も感じていない。ただ興味のままに動き創造していく。


これってどういうくくりにあてはめるかで、とらえ方が変わってくると思う。

人の身体的成長に伴う精神の成長とみるなら、獅子は反抗期とみて、幼子は大人とみるだろうけど、ほとんどの大人の精神状態は駱駝にいる人がほとんど。

だから駱駝のまま終わる人や、よくて獅子までなのでは思う。幼子っていうのはほぼ悟りの状態?

がんばらなくていい、と連呼するスピや心理学は、駱駝から幼子に一気にいこうとするものなのかもしれない。少なくとも、駱駝をもうしなくていいよ、っていうことを言っているのかもしれない。

でも駱駝があったから獅子の時期を迎えることができ、獅子で自由を知るから幼子に移行できる。

あくまでニーチェの考えなので、宇宙の真理かどうかはわからない。でも私にはこの図式はとてもしっくり。

いつか天国にいったらニーチェ君と語りあいたい(笑)


気になったのが、駱駝の強靭な精神は最も重いものを要求する、というところ。

わたしはこれを、子が親への愛を求める姿だなと感じた。自分を支配する相手に畏敬の念がある。だから服従する。で、親に愛してもらうため、認めてもらうために自ら重いものを背負ってみせる。もっとよいこへなろうとし、自分を殺すという重荷を背負い続ける。

でも背負っているのも、歩くための足もすべて、自分そのものなので、続けていけば自分は最後の一息にまで追い詰められたときにそれをやめようとする。命を守るために、進むのを身体が拒否する。

その駱駝が次に動くには、もう命令では進めない前身のモチベーションは自分の欲を満たすことだ。支配者のためでなく、自分のために生きようとしないと、もう進めない。

生きるために反発する。生きるために自分の思いに気づく。自分の意志の声に耳を傾ける。支配に対しNOという。

この反発が獅子の精神だ。反発することが自由と感じる。だからやはり、支配者の命令を感じている。本当の自由ではない。支配があり、反発しようとするから自由を知る。本当の自由には支配も反発もない。つまり、自由という概念もない。

それが幼子の精神だ。

なにかが起きてもそれを支配とも命令ともとらない。だから反発もない。過去の基準がないから正誤も善悪もない。ただ起きたことでしかない。

思うようにいかなければそれが悩みとなる。正すべきこととして感じる。

たとえば、子どもが勉強しないので将来が心配ですという親の悩み。これも子どもがすべき勉強とはなにか、勉強しないことで起こると心配していることはなにか、その怖れは誰のものなのか、その基準は絶対なのか。

子どもが勉強しないので心配なのは親が自分の将来について、自分の過去の経験と価値基準に基づいて、安心できるようにコントロールできないから怖れ心配している。

親がその子にすべきだと感じている勉強は、その子の未来に本当に必要なのか、誰にも分らないこと。その子がその時、親が望む勉強をせずにしていた別のことが、将来その子にとってとても大切な土台になるかもしれない。

子どもが勉強しない、というのはただの出来事。それをよくないことだと決めて悩んでいるのは親自身。

本当に子どもを幸せに楽に生きていかせようと思うなら、「どんな生き方をしても、何を選択しても、世界は優しいよ。あなたは素晴らしい存在だからぜったいに大丈夫だよ」ということを一点の曇りなく子どもが信じ切れるように教え、はぐくみ、見せ続けること。

勉強しないと大人になると困る、とか、世間は厳しいとか、苦労を背負った人間は尊いとか、人には優劣があるとか、そういうメッセージを伝え続けると、その子はのちのち自分は勉強が足りないから大丈夫ではない、とか、なにが足りないかもわからないのに自分は「だからダメなんだ」と思い込んだ世界に生きるようになる。

自分から駱駝になるまで、子どもは幼子の状態でいられるようにしておけばよいのだと思う。

そうすれば、自ら望んだことについて成長のために重荷を背負い、やがて獅子となってその先の幼子に大人として成熟していく。


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