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コントロールできない人生と自由意志

思考はコントロールできない。これは身をもって知っている。

ためしに目を閉じ、なにも考えないようにしてみて。何も考えないではいられないことがわかるよね。思考が勝手にどこからともなくわいてくるからだ。わくことを止めることも、わく思考を変えることもできない。

つまりこれは自分が能動的に「考えている」と思っている思考は、受け取っているだけということだ。

そうなると、ポジティブな思考をするとか、現実を作る思考をする、というのは不可能ということになる。

思考をコントロールできないということは、やる気を出すとか行動を起こすとか、そういう元である思考もコントロールできないということ。

自分に行動を始めさせたり、続けさせたり、成し遂げさせたりする思考が自分の自由意志で決めることができないのだから、行動を始めたり、続けたり、成し遂げたりすることも意志では左右できないということ。

思考がランダムになんの規則性もなく生まれるなら、しょせん考えても無駄、ってことになる。なるようにしかならないのだから。

ポジティブな思考をしたって、人生が上手くいくようになっていなければうまういかない。ネガティブな思考でも、うまくいくことになっているならうまくいく。

もし規則性があるなら、ポジティブなときは「うまくいっている」と人が感じる流れになるし、ネガティブなときは「うまくいかない」と感じる流れになる、という組み合わせはあるのかもしれない。

そして人は永遠にポジネガのどちらかであり続けることはないので、ポジティブになるときもネガティブになるときもある。それが人生の流れの山や谷と一組でやってくる、

ここで言っているのはすべて仮定だけれど、最初に言ったように、思考をコントロールできないということだけは事実。

すべてがそうなるようになっているのだとしたら、お金も同じはず。お金がそのとき来ることになっている人には来る。そうでない人には来ない。

あらゆることが表層意識でコントロールできないなら、将来のお金の不安の中に人生を埋没させることはすごく無駄だ。不安な状態が的中するかもしれないししないかもしれない。だったら一番この三次元で生きやすい形である自分軸で生きるをやるのがいいと思う。

豊かさの自分軸、つまり自分が心地よいと思う豊かさに焦点をあて、他人とくらべない。起きていない未来に脅かされない。今この瞬間を自分軸からぶれずにいきる。

お金があるからといって、自分の軸から外れていれば結局お金があっても幸せではない。

そして、ここからは本当に本当の私の個人的な仮定なのだけれど。

思考はコントロールできない。だから、人生で何を経験しどこにたどり着くのかも自分たちでコントロールできない。けれど、経験する出来事や行きつく場所というのにどう反応するかは自分で前もって決めておくことはできる。

つまり、起きたことに自動的に発生する反応の次の反応は意図的に変えるようにする。

うわって思うようなことがおきても、自分が心地よい自分なりのものの見方のレンズを通しなおしてから感じる。

そしてそれを何度も繰り返すうちに、思考がわいてくるその土壌のようなところがひょっとすると変化するのではないかなと思う。

自分を責めるような思考ばかりが生まれる土壌が、自分のせいじゃない、自分は常にこれでOK,そんな思考を産むようになる。

証明があるわけでも、自分が見たり体験したりしたわけではない。でも、どうせコントロールできないなら、苦しいよりも心地よい方を選んでいけばいい。その選択もじつは最初からそうなるようになっているのかもしれないけれど。

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