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人生を信じてもいいかなと思える一瞬

この瞬間、この身が味わっていることをほんのささいなことでいいから、楽しむことができたら、よかったなあと思えたら、この一瞬にいたるすべての過去がその幸せにつながっていたんだなと思える。

あの時おきた望まないこと、悲しかったこと、つらかったこと、全部、そのときは大変だったけれど、そこを経由して今日この瞬間、ほんの瞬間のよかったにつながっているのなら、毎瞬毎瞬のよかったを見つけることができたなら、人生を信頼して生きることができるんじゃないかな。

思い通りにいかないことだらけで、なんでだよ!って宇宙や神様にいちゃもんつけることはしょっちゅうある。

それでも見捨てることなく、宇宙も神様もこうして、一瞬の幸せを差し出してくれる。

数十年前、アメリカから帰国したとき地元に戻りたかったのに関西に転勤になって大泣きした。地元の友人や家族から切り離されてまた孤独のやりなおしかって。けれど、今、かけがえのないご縁がこっちでたくさんできて、心からあの時、関西に送られてよかったと思う。

離婚とか、仕事が行き詰まったりとか、家族の病とか、人生はしんどいことの方が多い気がするけれど、同じだけ幸せで楽しいことも本当はある。そのしんどいことをなくす代わりにこれまでの幸せなこともない人生をやり直すかと言われたなら、それはやっぱりいや。

あんなに苦しかったことも、それほどに幸せなことにつながるタイムラインにあるのなら、すべてはよくなるほうに動いているんだと信じてもいい気がする。

昨日までの雪が路面に少しだけ残るけれど、青空の今日の日の光を感じて、自分で決めたちょっとした新しい体験をしに駅まで歩く、そんな瞬間を幸せだなと思えた。

こんな風に、一瞬にほんのちょっと幸せをキャッチしながらいけたら、すべてはこの幸せな一瞬につながっていると信じてもいい気がする。そうなっていたんだなって思ったら思わず感謝しちゃうな。

もっと余裕がないときは、同じような状況で幸せをキャッチできないかもしれない。だから、余裕がちょっとあるときにたくさん、いっておく。

ありがとう、ありがとう。このささやかな幸せの一瞬まで私を運んでくれてありがとう。

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