家族の問題の法則
昨日は、包丁を使っていて指を切ってしまった。なんと刃を上にむけていることに気づかず、キャベツをザクザクと切ろうとして、ぜんぜん切れないので思わず力をいれて動かしたら刃の上に置いていた指を切ってしまったのだ。
刃の向きが逆になっているなど思いもしないので、なぜ左手が痛いのか一瞬わけがわからない。そして右手に持った包丁をまじまじと見て使い方が逆だったことにはじめて気づき、あ、まずいぞ、左手は大丈夫だろうかとチェックした。
入れていた力のわりに切り傷はましだった。
とはいえもう30年以上、毎日包丁を使ってきた。当たり前なものも使い方を少し間違えるととんでもなく危険なものになる。
その後、コーチングセッションだった。申し込んでくれた人は自分にとっての当たり前と、パートナーが見せる当たり前が違いすぎてモヤモヤしている人だった。
自分にとっての当たり前、こうでなければならないと守ってきたこと、負うべき責任、それがちゃんとした人生の基本ルール。でもパートナーはそのルールをまったくものともしない自由な人。
それを見ていると、自分がもっとちゃんとしなければ、になる。そして子供たちにもちゃんと生きることを教え込む。
どころが母の教育どおりちゃんと生きようとしてきた子供たちは、大人になって心が苦しくなってちゃんとできなくなり、順風満帆にみえた仕事をやめ、ちゃんとできない自分を責めて二重に傷ついている状態。
これって、相談者の方にとっては、もうその「ちゃんと」した生き方に限界が来ていることを示しているサイン。ご本人もちゃんとしていないパートナーにもやもやするということは、ちゃんとしていない生き方に本当は移行したいと思っているということ。
なんとも思っていないならモヤモヤもしないはずだから。
自分が、ちゃんとしてなくてよければしたかったこと、心から楽しいと思えること、それを抑えつけてきたあげく、心が悲鳴をあげてしまったのだ。
なので、巻き戻せばいい。
まず、ご自身が、お母さんがちゃんとするのをやめて、自分が幸せだと感じることをどんなに小さな無駄な意味のないなんの利にもならないことでいいので、やる。自分で自分をかわいがり、楽しませるのだ。
そうすれば、ちゃんとの呪縛からお子さんたちも解き放たれる。さらには、ちゃんとの呪縛で支配されていた世界では力が発揮できず、だめだめに見えていたパートナーが、本来の力を発揮しはじめる。男性性を発揮するのだ。
家族とどう向き合えばいいか、考えると暗い気持ちになるといっていた彼女が、好きなことをどんどんやると思ったらどんな気持ちですか?と聞いたら、未来を考えて明るい気持ちになったのは初めて、と答えた。
そしてさっそく今日、メッセージが届いた。
お子さんと楽しく会話ができたし、なにより、だらだらとしていたご主人が突然これをやりたいんだ、というものに出会い、行動しはじめたと。
家族は縛りあい、責任の背負いあいのドラマが生じやすい。それをやってこそ家族だと思っている人があまりに多い。
けれど、子どもでもちゃんと、自分を幸せにする力は備わっている。どうしたら自分が幸せかわかっているのだ。それを親は邪魔しなければいい。自分の知っている範囲でしかしょせん未来の予測はできない。でもそれはその子の幸せにつながるかなんて、まったく保証はないのだ。
だから、家族であっても、責任は自分のことだけだ。自分が幸せであることを一生懸命する。そうすれば、それを見た子どもも一生懸命幸せになろうとするだろう。そしてパートナーも自分の才能を罪悪感なく発揮するだろう。
この法則は自我のドラマの中で、必ずいつも作用している。多くの人のコーチングセッションをしてきて、面白いほど誰にでも一致している。
人のことに首を突っ込んで自分の思考や感情で自我のドラマを盛り上げるのでなく、自分のことを「ちゃんと」やればいいのだ。ちゃんと、というのは本当に魂が喜ぶことをするということだ。
それでいいのだ。
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