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ビフォーコロナの育児は本当に無理ゲーだった。

産休・育休の制度を活用したのは遡ること約5年前。今じゃ生意気でわがままで、世界で一番愛おしい息子が産まれて、ありがたくその制度を使わせていただいたのに、「どんな制度」で、「どうやって取得するのか」など、妊娠するまですっかり忘れてしまっていた。

そういえば、当時はまだビフォーコロナだったので、当然妊娠中でも9ヶ月のギリギリまで満員電車に揺られて出勤していたし、”リモートワーク”なんて言葉もなく在宅勤務をする人はとっても稀だった。

そんな中、1回目の育休は約1年2ヶ月取得した。こんなに長くなる予定ではなかったのだが、待機児童問題真っ只中だったこともあり、なかなか預け先である保育園が見つからずで、割と予定よりも半年以上長く取得した。(今振り返ると、とてもいい時間だったのでそれはそれで制度にとても感謝)

当然育休明けてからは、早速降り注ぐフルコミットの仕事と、慣れない全てが初めての育児。もちろん、毎日保育園へお迎えダッシュ。

何が辛かったかと言うと、満足に眠れていない状態で毎日体力的にも辛かったし、何より仕事に復帰して「自分で0ベースで仕事を作らないといけない」というプレッシャー

業種や会社の社風、仕事の内容・スタイルの問題など、仕事の種類によっては「全然そんなプレッシャーなくない?」という方もいるかもしれない。

でも、私の場合、そのプレッシャーが本当に辛かった。今振り返ると、そんなに気負わなくてもいいよと抱きしめてあげたいくらい。

居場所がなくなるんじゃないか。必要とされていないんじゃないか。

育児中だから気を使わせすぎないようにしなきゃ。

子どもがいるからって成果出せない、みたいに思われたくない。

そんなふうに思いながら、必死で自分なりにできることを探した。

「また産みたい」と「もうこんなのは嫌だ」の狭間で。

それがプレッシャーに感じなくなったのは、私の体感では息子が4歳になった時。つまり、昨年までずっと育休の名残を引きずっていた気がするということ。

そんな肩の力が抜け始めたときに、もう一人子どもが欲しい、と心から思えるようになってきた。

でも、またああいう気持ちになるかもしれない。そんな相反する気持ちの狭間で悩んでいたが、背中を押してくれたのは、息子の感動する一言・・・ではない。

AMH検査だ。

卵子の予備能(卵巣の中に残っている卵子の数が○○才相当)を診る検査

割と眠れない20代を過ごしてきたが生理不順にはなったことがなかったので安直に考えていたのだが、なんとなしに受けに行ったところ、

「45歳程度の卵子の在庫数ですね」

と。子どもはなんとなくもう一人は、と考えていたので、正直びっくりしたのと同時に、心が決まった。

そこからのフローは割愛するが、やっぱり心に何かが引っかかっていた。

でも、今回は妊娠中から、全く違っていた。

アフターコロナの妊娠期間

コロナの影響で、今回の妊娠では、ほぼずっとリモートワークで、つわりでしんどい時も画面をオフにして横になりながらプレゼンしたのも数回ではないし、通勤もなかったので身体的にはとても楽だった。

「これなら、もしかしたら早めに戻れるかも?」

そんなふうにフワッと考えていた時に、ふと育休制度を見直してみようと開いて見つけたのが”育児・介護休業法の改正”の記事だったのです。

次回、この制度を活用して、どんな風に戻っているのか。

を、レポしていきたいと思います!

P.S. 実は私のこの育休カスタマイズについて、AERAさんに取材いただき10月24日売りで、ちょこっと記事に登場させてもらいました。

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