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研究者になっていくわたし Vol.2 もともとあった大学や大学院とのつながり

わたしは、その後入学することになる大学院のあるまちに、住んでいました。我が子の入っていたスポーツ少年団の試合が大学のグラウンドで行われることもありましたし、大学祭や、大学のけん玉サークルに参加させてもらったこともありました。それに、わたしがカナダの子育て支援プログラム「ノーバディーズパーフェクトプログラム」を主催する際に、県の計らいで、大学の施設を貸していただいたこともありました。ちなみに、その時お世話してくださったのが、その後、わたしの指導教員になってくださった先生なのですが・・・。

今はもうありませんが、当時はあった教員免許講習も、この大学で受けました。先生方の話がとても面白かったし、お昼に入ったカフェも素敵だったし、大学生はいいなあと、漠然とした憧れを抱いたこともありました。

だから大学に、教職大学院ができるという話を聞いた時、いいなあ、羨ましいなあと思ったのです。教職大学院は、大学からストレートで行く人もいますが、ほとんどが現職教員が1年間休職して、いわば県のお金で通わせてもらうところです。正規の現職教員だったらチャンスがあったかもしれないのに・・・小学校の教員をとっくの昔に退職していたた私には、教職大学院は、手に届かない場所でした。恵まれている人だけが行ける場所、そんなふうに思っていました。

今となってはすっかり忘れていたけれど、これらのことが、心のどこかに引っ掛かっていたのは事実です。そしてその後、保育士をしていた私の勤務園に、アドバイザーとして来てくださっていたT先生が大学院に行っている、それも教職大学院じゃなくて、普通の大学院に行っていると聞いて、すごいな、素敵だなと思いました。T先生は、私の憧れの人でもありましたし、そんな人が私の憧れの場所にいるなんて、なんて素敵だろうと・・・。そういえば、子どもが小さい時に預けていた保育所に、お母さんで大学院生という方がいたことも思い出しました。その方は英語もペラペラで、かっこよかった!

そういうわけで、入学前のわたしにとって、大学院は近所にあったけれど手の届かない憧れの場所、恵まれている人や、素敵な人だけが行ける雲の上のような場所でした。わたしが大学院に入るだなんて、全く思っていなかったのです。大学院が何をするところかすら、わかっていませんでしたから。大学の次に行くところ、くらいにしか思っていなかったんです。おそらく、世間のみなさんもそうなのではないかなと思います。その後大学院に行くことになって、お友達や知り合いの人に話した時に、みなさんわたしに、何しに行くのか、資格を取るのか、アナウンサーになるのかーなぜアナウンサーなのかわかりませんがーなどとおっしゃいましたから。わたしも、行きたいから、くらいしか答えられなかったんですけどね。大学のあるまちですら、そうなのです。

ついでにお話しすると、我が子は、わたしが大学院に入学する少し前から、この大学に通っていました。まさか同じキャンパスで過ごすことになるなんて!
不思議なご縁に、導かれていたのかもしれません。


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