わたしはかわることができるんだ
あのころの私に教えてあげたいことがる。
スターバックスではフラペチーノしか飲めなかった。
コーヒーには砂糖を5杯入れないと飲めなかった。
コーヒーよりスポーツドリンクが好きだった。
コーヒーっておいしいよ。しかもブラック。
誰かが、私のために丁寧に淹れてくれるコーヒーの味が好きだ。
あのころの私には、未来の私がブラックコーヒーが飲めるようになるなんて想像できない。
人生は長い。人間は変わることができる。
10年くらいで味覚が変わった。
好きだったラーメンを一切食べなくなった。
肉より野菜が好きになった。
ずっと好きだったバレーボールをやめた。
ももいろクローバーZを好きになった。
仕事も好きになった。
読む本も、東野圭吾からビジネス書になった。
それでも私は幸せだ。
昔の私も幸せだったと思う。
かえられるのはじぶんだけ
「人を変えようとするのはエゴだ。」
「だから、相手を無理やり変えようとするのは暴力なのだ。」
人を自分のタイミングで変えることはできない。寄り添うことはできるけど変えることはできないのだ。
でも人を変えたいと思うときって、願いがある時なのだろう。
変わらなくてもいい。そのままでもいい。
でも、もしも変わりたい時がやってくるのなら、その時まで祈りながら待ち続けていたい。そして、その人が変わろうとするときに生まれる揺らぎや不安を支えることができる存在でありたい、と願う。
櫻本さんは変わりたいと思うタイミングまで、祈りながら待ち続けてくれる。
その本人の変化タイミングを大切にしたい。こういう経営者のもと組織があるのはその組織はすごく幸せだと思う。
しかし、関わり合いの中でイライラしてしまう相手に変わってほしいと思う場合もある。タイミングを待つなんて、そんな懐が深くないからできない時もある。
そんなときは、自分がかわるしかない。
私は、私をかえることができるただ1人の存在でしかない。
相手の放つ言葉に対しての捉え方を変える。
相手の本当の想いを聞いてみる。
相手をまずは大切にしてみる。
過去の私が想像のできない味覚の変化をしているくらいなのだから
いまの行動を変えるのは、意識をすれば簡単なことかもしれない。
いま、その現象が私のまえにあるのは
私に変わるタイミングを教えてくれているのかもしれない。
怖いし、苦しいかもしれない。
けど、櫻本さんのような私の変化を祈りながら待ち続けてくれる人がいる。その人は不安を支えてくれる人だと思うし、苦しみは一緒に分かち合ってくれるだろう。
しかも、きっとその変わった先のわたしも幸せなんだと思う。