2022.4.30(心の内が出すぎver)

正確にはもう5月1日なのだけど、4月30日の夜10;00に寝落ちしてから、3:30という中途半端な時間に目覚めてしまって、そのあとも特に寝られる気配がないから日記を書くことにした。

11月にこのnoteをはじめ、その時は週1回の投稿を目標としていたのだけど、3月〜4月にかけてめっきり更新頻度が減ってしまった。私は季節のなかで最も春が嫌い。自分の内面はなにも変わっていないのに、春になっただけで「次のステップに進んでください!」と急かされる気がして具合が悪くなる。そんなこんなで今年も春を憎んでいて、さらに25歳になったことで例年以上に「これで良いのか」と悩みが増え、自慢だった肌の綺麗ささえ失われボロボロになり、とにかく酷く酷く落ち込んでいた。今は肌荒れも落ち着いたけど、当時を振り返っても本当に可哀想なほど落ち込んでいた。こんなことで、と思われるかもしれないけど、もう私にはなんの魅力もないんだと落ち込んでしまった(客観的に見たら絶対そんなことはないのに…)。

4月になって後輩ができた。あまり関わることはないのだけど、とにかく優秀だから、もう私は居なくても大丈夫だろうなと思った(客観的に見たら絶対そんなことはないのに…)。仕事では先輩をも差し置いてチーム内でトップになった。でもそれすら不安にさせる。営業職というのはある意味人気商売みたいなものだから、みんなから愛されないといけない…と不安になる。私はもしかしたら若い娘だから仕事貰えてきただけで、もっと歳を重ねたらこうはいかないんじゃないかと不安になる(客観的に見たら絶対そんなことはないのに…)。

尊敬する友人たちと一緒にある企画を進めている。みんなの鋭い感性に惚れ惚れすると同時に、自分の至らなさにまた落ち込む。なんでこんな素晴らしい子たちが私みたいなのを相手にしてくれてるんだろう…と苦しくなる(客観的に見たら絶対そんなことはないのに…)。

恩師がまだ幼い娘さんと仲睦まじくしてる姿を見た。私は父親からいわゆる“情緒的ネグレクト”を受けていたので、あーこれが普通なのかー私は父親からの愛というものを知らずに育ってしまったのか、と悲しくなった。

私はセクシュアリティをまだ断言できないけど、マジョリティではないということだけは分かる。誰にも言ってないけど。だから恋愛の話があがるたびに黙ってしまう。

ロベール・ブレッソンの『たぶん悪魔が』(1977)を観た。「進行中の精神病を加速させるのは、映画、音楽、文学」という台詞があった。分からなくもない。私は高校生の頃まではアメリカのティーンドラマやディズニーばかりを観ていた。明るく楽しいことが是とされる世界だから、当時の私は今ではありえないくらいポジティブに生きていた。大学生になってからフランス映画をたくさん観るようになった。そこには「楽」以外のありとあらゆる感情が渦巻いていた。ずっと閉ざされていた心の蓋を開けられてしまったようだった。ジャン=リュック・ゴダールの「分かる人には分かる」なんて冷たく突き放すような、それほどまで自分の世界を貫かずにはいられない孤独に惹かれた。ジャック・リヴェットの秘密主義な感じや、シャイだけど仲間のことを信頼してるところに魅了された。……それまで蓋をしていた私の陰の一面が完全にブーストされてしまった。

憧れのあの人みたいになりたい。たくさん映画観て、美術館行って、読書して……。でもどう頑張っても追いつかない。そこらの同年代たちと同じにされたくない。時間が足りない。もう十分頑張ってるってわかってる。本当はこんなことしなくても客観的に見たら十分以上だって分かってる。でも私は人の5倍やらないとみんなに追いつけないのではないかと不安になってしまうから、走りを止めることができない。自分の凡庸さにうんざりする一方、きっと私は異常で誰にも理解されないのだろうと勝手にシャッター下ろしてしまう。

なんか分からないけど毎晩泣いてた。ある日いよいよ眠れなくなった。眠ろうとしてもハッと目が覚めてしまう。心臓が痛くなってきたから病院を予約した。強迫性パーソナリティ障害だと診断された。なるほど、分かるわー…。生き急いで空回りしてしまったのね。不安を和らげる薬をもらったから、また前の調子を取り戻したい。

もう気がついたら5:00になっていた。外が明るくて嬉しい。夜が明けていくのをみると必ず思い出すのはエリック・ロメール『レネットとミラベル/四つの冒険』(1986)から「青い時間」という短編。夜明け前、草木や動物すべてが眠り、恐ろしいほどの静寂(青い時間)が訪れるのを待つ話。日常にある奇跡みたいな一瞬がカメラに収められている。はー…私は一度も死にたいと思ったことがない。今これだけ悲しくても死にたくはないな。だってロメール先生が、まだ人生に美しいものいっぱいあるよって教えてくれたんだもの。最終的にまたロメールへの感謝文になってしまった。でもそれくらい、彼が私の支えになってる、ずっと。天界からずっと私のこと見守っていてほしい。

きっと私も他人からしたらキラキラしてる部類に入ると思う。「あなたはいつもクラスの中心にいるタイプだよね」と言われたことがある。だからリアルの繋がりある人にはまともに相談できなかった。そんなとき、しばらくこういう感情を吐いてしまっていた、オープンにしていないTwitterアカウントがある。もう10年くらい?見てくれてる人もいるのだけど、何も言わずにそっと“いいね”つけてくれていたの、本当にありがとう。そうしてくれるたびに心が浄化されていく感じがした。


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眠れない夜に

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