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Twitter怖い

 まんじゅうこわいってどんな話やったかな?
それは置いといて。
 私はどうもTwitterの使い方を今ひとつ理解できていないようだ。と、常々感じている。

 もともとは情報を覗き見する程度の好奇心だけで登録した。自分から何かすることなど考えていなかった。
 なぜかというと身元がバレるのが怖いからだ。と、書くと私は何か名乗れない事情のある人みたいだがそれに近い。

 以前、劇団にいた事があるのだが、辞めた事が今も後ろめたい。
 私は劇団から演劇から逃げたのだ。破綻して、結婚に逃げた。
 SNSでは今まで関わってきた人々、今も演劇を続けている人が実名で情報を発信している事だろう。それを見てしまったら私は悔やむ癖にまた見てしまうだろう。

 今、黄鶏という名前を使って登録しているが、これは劇団にいた頃、ホームページを作る際に、失敗するのが怖くて先に自分の詩を綴るホームページを試作し(ホームページビルダーというソフトは今もあるのだろうか…)、その時の「かしわとわたし」という名前から「かしわ」を漢字にしたものだ。

 黄鶏という偽名を使い、著名人やお店以外にフォローや反応をしないようにしてるので、私のフォロワーは少ないし、それが相応しくそのままでいいと思っていた。

 そして登録から何年かが経ち、自分のこれからを見直す機会がいくつか起こる。
 一つは妹の病気。二つ目は母の病気。三つ目はコロナウイルスの流行。
 妹も母も早期発見で今は元気に生きているが、死ぬかもしれないという事態に直面した時、人間いつ終わるかわからないと思い知らされた。終わる、までいかずとも、病気になればやれる事も限定される。
 そしてコロナウイルス。人に会う機会が減った。そんな時に七尾旅人さんと君島大空さんの対談を観て、生きている痕跡を残したかった、という言葉に感銘し、やるんだ、と目が覚めた。

 今、私が生きている事を残しておく。そこから始めよう。
 自分の携帯には時々残している詩や日記や台本のようなものがある。でもそれは携帯を失くしてしまったら、壊してしまえば消えてしまう。

 そこで手近なところでTwitterに定期的に投稿してみようと思ったのだが、これが私にはとてもハードルが高い。

 まず文字数。簡潔に言いたいこと言えない人間なんだと思い知らされる。
 そして修正できない。思いつきで投稿して誤字発見した時の焦り。いいね、をつけていてくれた人がいたなら削除したくない。誤字くらい見直してから上げろよ私のバカヤロー。

 メールとかLINEとかでも慎重に文面を読み返してから送るので、グループLINEなどスピードについていけない。
 Twitterは私が言いたい事を呟くのであって誰かが読みたい事を呟くものじゃない、みたいなコメントをどこかで拝見してなるほど、と思ったのも束の間、でもその中身によって誰かが嫌な思いをしたら、とか考え出したらほんま無難な事しか呟けない。そんなものは面白くない。面白い事を呟かなあかんわけでもないのに、やっぱり自分にとって大事な言葉だけ呟きたくてそれはもうTwitterではなくなっている。

 劇団のホームページを作っていた時に掲示板(BBSと呼んでた)を敢えて作らなかった。
怖かったからだ。上演後に回収するアンケートを読んでもちろん励まされたり嬉しくなることもあったがそれ以上に傷ついたりした。個人の事ではなくても、悪気はないと思っても、その言葉が頭を支配したりした。
 そんなメンタルだからTwitterで攻撃されたりしたら…想像するだけで滅入る。

 コロナで様々な攻撃を毎日のように目にする。政府に物申す。匿名で。もちろん一つ一つの声が集まって何かを変えていく事は大切だから声を挙げなければ何も変わらない。
 この状況に傷ついてるだけの私のようなのが一番卑怯でありつまらん奴だ。
 でも怖いよ。何かを発するには責任が伴う。歳とってるけど人として自信のない自分には簡単には物申せない。直接お茶でもしながら、恥を晒しながら話したい。

 ここまで書いていて、Twitter見るだけに戻ればいいのにって思った。でも戻るつもりはない。矛盾している。
 支離滅裂。これぞ長文過ぎる私のツイート…

 そしてまんじゅうこわいってどんな話か忘れないうちに調べてみたら、あながちここまで書いてきた事に遠からずの内容に感じた。苦笑した。

Twitter、こわい。(うまく締めた。自己満足。)