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噛む噛む毎日

小学3年生の息子の音読の宿題が「寿限無」だった。噛みまくっているのでリズムをつけて読むことを提案したら数回口にするだけで諳んじる事ができているので子供の習得の速さに脱帽する。歌もそうだ。歌詞がなかなか覚えれず止まる私と比べ、速いボカロの曲をスラスラと口遊んでいる。半世紀生きた自分も何故か小学校の時好きだったチェッカーズや中森明菜さんの歌は今も歌えるから子供の時は好きな事を覚える脳の発達が違うのだろう。

自分は30歳代前半までは演劇人生だったので「寿限無」よりは「外郎売」の日々だった。


「拙者親方と申すは、御立会の内に御存知の御方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を御過ぎなされて、青物町を上りへ御出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して圓斎と名乗りまする」…(後略)


これは何度も口にしていたから冒頭は今も覚えている。一息で言う。ミッションの如く、息が続かず若干顔を赤くして言い切る。この十倍以上の台詞を噛まずに言い回す、すげー薬屋さんそれが外郎売。演じるというよりもどれだけ噛まずに言えるか、の訓練だった。まあ、これが上手くなったとしても舞台で噛む時は、噛む。
予測もしない事態、舞台で噛んだ時にそれを修復しようとするが故に何かが狂い益々噛む。客の視線より共演者の視線が痛い。皆が緊張して空気が止まる。うわああごめんなさああい!(心の声)

最後の舞台からもう15年以上経つのに、今だに本番中に台詞が出てこない夢を見る。私は噛む事は何度もあったが台詞をド忘れした経験はない、多分。それなのに何故、台詞を噛む夢でなく忘れる夢を見るのだろう。
夢の中の殆どの芝居が全く覚えていない。知らない作品だ。誰かの穴を埋める為に急に舞台に上げられた北島マヤが姫川あゆみの誘導により臨機応変に演じるが如く、相手の気配と台詞を受けてやりのける、という見応えのある夢ではなく、アドリブを試みて不自然な間(ま)にどんどん悪循環になり、冷や汗の渦潮に呑み込まれていく夢だ。

松重豊さんの本「空洞のなかみ」に、あの松重さんでさえ、よく台詞が出てこない夢を見ると書いてあった。

松重豊さんは私が高校生の時に第三舞台という劇団の「トランス」に出演されていて、以来のファンである。
自分が劇団に所属し、代表の戯曲がシアターコクーン戯曲賞を受賞し蜷川幸雄さんによる演出で上演された時に松重さんが出演され、以来、代表と仲良くなり私達の芝居を東京公演は勿論、京都まで観に来ていただいたこともあった。演劇に真摯に向き合い自分に厳しく鍛錬を積まれる松重さんの姿と、話す時の俯き加減に微笑まれる謙虚さまでが醸し出されるお人柄。一観客ファンから一番尊敬する俳優さんになり、もう25年以上になる。
今や映画やドラマに引っ張りだこで松重さんの名前を知らない人はいないのではないだろうか。

そんな松重さんでさえ台詞が出てこない夢を見たり噛んで焦ったりすることもあると知り、(もちろんどんな俳優さんでも当然あることなのだが、)親近感を抱いて益々尊敬した。

今季の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」にて松重さん演じる伴虚無蔵さんの言葉「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ。」…深い。身に染みる。脚本家の方か書かれたのは承知の上だけど、松重さんの言葉として確と受け止めた私。

今、私にできる鍛錬とは何だろう。いつ来るかわからない機会に備えて。

いつ必要になるかわからない未来に備えて節約して貯金しよう。
いつ会えるかわからない素敵な人に備えて綺麗になる努力をしよう。
いつ死ぬかわからない老後に備えてやりたい事をやっておく。
3つ目のこれが一番身に沁みる。
やりたい事のためにできる鍛錬。怠癖のある私だけどこの言葉を指標として残りの人生を謳歌するのだ。

まずは噛まないよう読み聞かせから毎日始めることにした。親子で遊び学べるし一石二鳥。まず早口言葉から始めることにする。

寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助…
あかん。小学生に劣る噛み噛みエブリデイ。鍛錬せよ!


余談。
今朝の朝ドラで伴虚無蔵さんが顔を出し、再び「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ。」と申された。本当に大事なことは二度言うのだ。
このドラマの真のメッセージなのではないかとすら思った今日だった。

(写真は映画村に展示されていたものです)

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