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茶の道をつないでいくための一人会議 #未来のためにできること

茶道を始めて20年が過ぎた。根気のない私がここまで続けてこられたのは「師匠が素晴らしかったから」、このひと言においてない。ときに稽古を怠け、ときに粗相をし、あげく、まったく点前を覚えない弟子を、師は決して見捨てることなく、大きな心で受けとめ、茶の道に留めてくれた。

師の大きな器に甘えたまま、成長を見せられずに過ごしてきた20年という年月は、ある日、もう師に甘えていられないという現実を突きつけてきた。師の脚のケガである。それはつまり師の年齢を知らしめ、さらに遠くない未来、師の引退がやってくることを予感させるものだった。

師の茶室の床

 いつか師を失う。私は覚悟しなければならなかった。そして、それを想像したとき、もう一つの大きな問題に気がつく。師が所蔵する茶道具の行く末である。
 季節とともにある茶道は、季節が変わると道具も変わる。それも春夏秋冬の四つにとどまらない。春のなかでも咲く花が変わるように、茶道は季節の移ろう時間を掬い上げて道具に映す。ゆえに道具収集は際限がなくなる。師の所蔵品がすぐに数えられるような数ではないことは、20年の稽古をとおして理解できていた。

 あの道具たちはどうなるのか。私の心配は、ケガをものともせず変わらず稽古をつけてくれる師から、師の道具に移った。いわゆる「名物」とされる道具は、千利休の時代と変わらず、今もセレブリティの間で驚きの金額で行き来しているが、師の道具はそういうところにはない。私に言わせればセンスが良く、気が利いており、稽古が楽しくなる道具である。いずれもその道の職人の手によるものではあるが、市場に出しても恐らくそれほどの値段はつかない。

紹鴎棚

 では、どうする。道具の行く末を案じるようになった私が考えに考え、ついに出した結論。それは、道具を含め茶室ごと師から買い上げ、貸し出す。これである。世にあるレンタル茶室には道具がほとんど備えられていない。壊されるリスクを恐れてのこともあろうが、何より道具を集めることが至難なのである。きっと求めている人たちはいる。

 師が築き上げてきた茶の道、愛してきた道具を後世に繋いでいくためのこの一案は、億の金額が必要となる。もはや笑うしかない夢だ。しかし、師がいつか教室を閉める宣言をしたとき、私は言ってみたいのだ。

「先生、このお茶室とお道具、私に任せていただけませんでしょうか」


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