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老いは気づかないうちに

毎日はゆっくり、知らないうちに少しずつ変わっていく。

久しぶりに祖母の手を握った。最後に握ったのはいつだろうかと考えた。おそらく私の物心つかない頃だったと思う。

大学卒業まで一緒に住んでいた祖母だが、少し難しい性格をしていたので言葉を選んで話す必要があった。とはいえそこまで話しかけられることも無いので、毎日顔を合わせても話さない日がしばしば。離れて住むようになりようやく、少しずつ言葉数が増えてきた。

足が悪く、杖をついても歩くのが難しい祖母。片手に杖、片手に私の手を掴んで、20歩もいかない距離を1歩づつ、集中して歩く。祖母の手はしわくちゃで、けれど少しふっくらとした肉付きだった。

着いた場所は、法事でいつも使う食事処。親戚の人が20人ほど集まる法事だったが、久しぶりすぎて誰が誰だかわからなかった。小さい頃に会ったきりの人も多く、また子どものいない親族が多数。私を含め「老いた」の表現がしっくりくる人たちばかりだ。

食事を終え、みんなはバスに乗り込む。バスに乗れない祖母と一緒に、席に着いたみんなを見てバスを見送る。

雲ひとつない青空と、枯れた木々を背景にバスのエンジンがかかる。コートを羽織れば充分くらい、太陽があたたかく入り込む。

本来は順番なんて無いけれど、今バスに乗ってる人をみんな、いつかは私が見送るようになるんだろうなぁ。笑顔で手を振る人たちに、私も笑顔で返しながらそんなことを考えた。

「この辺は変わったねぇ」と、帰りの車で祖母がつぶやいた。何十年ぶりかの道らしい。年に数回通っている私は、どこがどんな風に変わったか、すぐに出てこない。

たぶんここも、少しずつ変わっていたのだろう。ちょこちょこ見てるとわからないけれど、十数年間前と比べると、きっと大きい変化があったのだ。

いつのまにか歩けなくなっていた祖母。20年ぶりに会ったら腰が曲がっていた親戚のおばさん。気づくと一回り小さくなっていた両親。そんなみんなを見て、毎日少しずつ、私たちはしっかりと老いているのだと気付かされた。

手を振れる時に振っておきたいし、握れる時に握っておこう。日々の変化は気づけなくても、かならず毎日変わっているのだから。

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もりやみほ
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