幸せについてちょっと本気出して考えてみた
昔、流行った曲の歌詞の一節。「幸せについて本気出して考えてみたら‥‥」。確かポルノグラフィティというバンドが歌っていた曲だ。別にハマっていたわけじゃない。むしろ、ちょっと声質が苦手とすら思っていた。でもこのフレーズだけは妙に頭に残って、ふとした瞬間に勝手にメロディーと共に流れてくる。
「幸せ」なんて壮大なテーマだと思うしポルノグラフィティのように「本気出して考えてみた」なんて断言できない。だからタイトルに「ちょっと」を付け加えさせてもらった。年齢や立場、状況や時代、もちろん個々人によっても大分変わってくる「幸せ」の定義。十人いれば十通りの幸せがあるわけで、正解なんてない。
だからたった一人、自分を幸せにするには? という問いを、短い時間でいいからたまにでいいから考えてあげることは、それ自体がとても有意義で幸せな時間かもしれない。
というわけで、自分自身を主軸に、幸せについてちょっと本気出して考えてみたい。
幸せとはどんな状態か。自分が望んだ状況下にいて、心身ともに満たされた状態ではないだろうか。じゃあその望んだ状態とは?‥‥と、こんなふうに自問自答して、抽象度の高いところから具体的なことに少しずつ掘り下げていく。
私はいつまでも仕事を始められないことにコンプレックスがあるから、「好きなことで稼げている」という言葉が出てくる。でもじゃあどんなことを仕事にしているのか。内容や時間帯、仕事をする場所は?‥‥と突き詰めていくと、「文章を書いたり、絵を描いたり」や「カフェを3〜4軒ローテーションで平日毎日利用する」あたりで止まる。こんな壮大な長編小説が書きたいとか、情報量の多い緻密な風景画が描きたいなどという、肝心の仕事内容に関する願望はなかなか出てこない。だってそれを実現したら、苦悩を避けて通れなさそうだから(笑)。
でもなんだかこのあたりに、幸せに通じている道を遠ざけている何かがありそうだと思うのは、私だけだろうか。
それはひとまず置いておくとして、他に自分を幸せにしてくれそうなものを頭に思い浮かべてみる。ベタだけど、生活水準のグレードアップ。衣食住についての理想を具体的に考えてみる。たぶんYouTubeのブイログに少なからず影響を受けている。物が少なく、すっきりと整頓された空間。少数精鋭の雑貨や生活用品。軽量でコンパクト、機能が充実した家具、家電。木の匂いがする新しい家。天井の高いリビングダイニング。カウンターキッチン。部屋のコーナーには観葉植物が置かれていて、猫もくつろぐ日当たりや風通しのいい空間。二階にはアトリエがあって、小さな洗面所とトイレもある。あと一階を見下ろすように、ちょっとしたカフェスペースも設えてある。
やばい、よだれが出そうだ。あまり認めたくないけど、仕事内容を考えているより断然気分が高揚してしまう。
衣服にはあまり興味がない。ただ無地だったりシンプルな生地で色違いを数着揃えておきたい。肌触りが良くて着回しのきく物ならこだわらない。スティーブ・ジョブズのようなストイックさはないけど、服を選択するのに余計な労力を使いたくない。ただ色褪せたり伸びてきたら、惜しみなく買い替えられるだけで十分だ。
食について言えば、たまに友達や家族と外で昼食や夕食を一緒にできたら贅沢だ。色々なお店でたわいないことを喋りながら、ゆっくり味わって食事を楽しめたら最高だ。美味しくてもマズくても、笑っていい思い出にできると思う。
さて衣食住は、私の妄想の中で満ち足りた。でもきっと、人間慣れてしまう生き物。確かに幸せで贅沢なことだけど、ちょっと物足りない‥‥とかなりそう。バチ当たりめ、と思うけど、たぶんそういうふうにできているのだから仕方ない。
じゃあ次はどうする? 旅行でもする? いいね! 海外は苦手な飛行機を使わなくちゃいけないし、危険も多そうで小心者な私にはちょっとハードルが高い。日本国内を堪能しよう。温泉好きだし、森林や山、川や滝もいいけど、高層建築物やアーティスティックな建物もいい。観るだけで圧倒されそう。その土地の空気感を肌で感じて、耳慣れない音や声を聞いて、新食感や美味しすぎる食べ物を味わって。まだ観ぬ景色や体験にわくっとする。
毎回違うところを旅すれば、飽きがくるのも先延ばしできるかもしれないし、もしかしたら一生飽きないかもしれない。でもちょっと考える。旅に出るにはエネルギーが相当必要。出発前に宿を手配したり準備をしたり。複数人で行くなら日程の調整とか情報共有も必要。当日は当日で、大荷物を持っての移動。乗り物酔いもちょっと心配。そしてひとところに留まらないから、もちろん体力だって要る。いつもと違う寝床では寝つきも悪いかもしれない。そして自宅に帰ったら、旅行鞄の中身、使った衣服類などの後片付けも待っている。考えただけでぐったりしてしまう。
でもその分、家に帰ってきた安堵感もひとしお。そして思い出も残る。だから懲りずにまた行きたくなるのだろう。うん、やっぱりこれも幸せになるための願望リストに入れておきたい一つだ。
と、ここまで考えてみて、これを叶えるために必要なものに思い至る。そう、お金。そして時間だ。やりたいことがあって、でもそれができない理由は? その答えは大体「お金がないから」「忙しいから」ではないだろうか。
それ以前に生活していかなくてはならない。やりたいことなんて考えるだけ無駄だ、と諦めてしまって「幸せ? 何それ美味しいの?」状態の人だって少なくないと思う。だから、立ち止まって幸せについて考えられること自体が、幸せなことなんだろうなぁと改めて思うのだ。
で、「稼ぎたい」に至る。だってお金がないとやりたいことどころか、生活もままならなくなる。今は脛を齧り続けているけど、これがずっと続くと思えるほど私も頭がお花畑ではない。でも生活を賄えるほど仕事をするとなると、何の資格もスキルもない人間は労働時間をたくさん提供してカバーするしかなくなる。ムリムリムリ。根性も忍耐力も、ペットボトルのキャップくらいの器しかないもん(笑)。見苦しいけどこれが、掛け値なしの本音だ。
お金は必要。稼ぐしかない。じゃあ、やっぱり好きなこと、せめて苦じゃないことを仕事にしたい。こういう思考になる人は、きっと私だけじゃないはず。でもその前提も、そもそも崩していいかもしれない。誰かに養ってもらうとか、稼ぐ必要のないくらいの資産を手にする、とか。世の中には働かずして悠々自適に暮らしている人もいる。
じゃあそれが望み? と自分に訊いてみたら「それはそれで羨ましいかもしれないけど、でも仕事や発信はやっぱりし続けたいかな」と意外な返事。半引きこもり体質だから、なんかわかる。ひたすら誰かによって作られた娯楽物を享受することの虚しさ。楽な方へ楽な方へ逃げて、誰の役にも立たない惨めさ。守られて与えられてばかりで、誰かを守ったり与えたりできない悔しさ。
「幸せになる」ことがもしもゲームだとしたら、何の葛藤も戦いも課題もなく幸せになれてしまってはつまらない。やっぱり能動的に獲得することや、面倒くさいステップを踏んで何かを達成することこそに楽しみがある。目的までの過程自体が幸せと感じられること。つまるところ、「今、この瞬間を幸せと感じられること」が人生の大半を占めていたら、その人は幸せと言わざるを得ない。
まとめると「こうなったらいいな」があって、そこへ向かっていく日々を味わい尽くすこと。それが幸せということだろうか。一周回って本質を言葉にしてみると、巷に出回りまくっている、ありふれた結論。ただ、わかってはいても、それを体現するのは難しいし、だからこそ面白いとも言える。
具体的な願望を妄想している時って、ちょっとにやけている自分なんかがいてその時間自体が幸せだと思える。というか、五体満足で五感を使ってこの世界を味わえること。日本という安全水準の高い国で暮らせていること。スマホやネット環境の充実した環境下で生活できていること。明日食べることに困らないこと。挙げればキリがないほどの幸せがある。
どれほどの幸せに囲まれていることか、謙虚に感謝しよう。そう思う一方で、地球に生まれてきたからには、やっぱりあれもこれも叶えて味わい尽くしてから還りたい‥‥と欲まみれの自分の存在も認めざるを得ないのだった。
皆さんもぜひ、たまに少し時間を作って、幸せについて本気出して考えてみてください。幸せの感度も少しだけ、上がるかもしれません。
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