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“映画の感想”ではなく、映画を観に行った平凡な一日のお話。

昨日『インサイド・ヘッド2』を観に行ってきた。
午後も3時を過ぎた頃、唐突に行くことを決めたため、計画も準備もあったもんじゃない。
きっかけはnoteの記事で、やけに『ルックバック』を観てきた人の感想を目にしたこと。へぇ、そんなに面白いんだ、とちょっとした好奇心でネット検索。近くの映画館で上映しているか一応調べてみる。あれ? 公開してなさそう。もう終わってしまったのか、とちょっと残念に思っていたら『インサイド・ヘッド2』のタイトルが目に飛び込んできた。この映画、初回の作品は視聴済みだった。知っている作品の続編が公開されると、しばらく会っていなかった友達に会えたみたいでなんだか嬉しい。観るかどうかは別として。


ディズニー映画はわりと好きだ。息子が小さかった頃、大人げない私は「仮面ライダー」や「アンパンマン」の映画に付き合ってあげる気にはなれなかった。せいぜいが「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」。
でもディズニー映画は乗り気で一緒に観ることができた。初めて一緒に観に行った映画は確か『ベイマックス』だ。あの白い、マシュマロマンみたいな優しいロボットの物語。一緒にディズニーシーに行った時「これがいい!」「買って!」とせがまれたのはベイマックスの扇風機付き水鉄砲。夏にみんなが首から下げてるアレ。息子の小さな身体に、あの白くてごついベイマックスは重かったはずだけど、今でもあれは捨てようとすると持ち主が怒るため物置に眠っている。
他には『リメンバー・ミー』や『モンスターズ・インク』『トイ・ストーリー』『アナと雪の女王』『塔の上のラプンチェル』なども観たけど、映画館とテレビのどちらで観たのか定かではない。



ともかく、映画館でよくある“月初め割引”も背中を押して、息子に「これから映画観にいく?」と訊いてみた。だらんとした格好でゲームをしていた息子。「〇〇なら行く」と場所を指定。そこは大きなショッピングモール。映画館と同じフロアに広めのゲームセンターがある。息子が数ヶ月前に友達と一緒に別の映画を観に行った場所でもあった。私は数年前まで身内の車で連れて行ってもらうことはよくあったけれど、公共の交通機関で行くのは初めて。ま、いっか、と承諾。
慣れないネット予約に手間どりながらもなんとか『インサイド・ヘッド2』の18時半からのチケットを予約。バタバタと準備して午後4時過ぎに出発。
出がけに父がお小遣いを持たせてくれた。気恥ずかしいけどもう開き直って、こういう時は素直に受け取る。あざます。


外はまだ明るくて蒸していた。折りたたみの日傘を少しだけ息子に傾けてやり、駅まで早歩き。「行きかた調べてないけど大丈夫かな」「俺、たぶんわかるわ」ほんとかよ。なんだかんだおしゃべりな息子に適当に相槌を打ちつつ、汗をハンカチタオルで拭いながら駅に到着。
とりあえず目当てのバス停のある駅まで電車で向かう。電車に揺られながら経路を調べたら、息子の言う、その某大型ショッピングモールまで直通のバスは1時間に1〜2本しか出ていない。しかも帰りの時間帯にはもう終了している。だめじゃん、となって親子会議。結局ちょっと遠回りだけど電車で最寄り駅まで行って、そこから出ている市営バスに乗ることに決定。


「わからないことは人に訊けばいいのよ」
そんな、なんとかなる精神を私に刷り込んだのは母だ。ネットに疎くて方向音痴、外出慣れしていない私の横。たまに一緒に出かけると息子はいつも不安そうな、信用のない視線を私に送ってくる。
乗り換える路線を見つけられず駅員さんに尋ねたら、よく人に聞かれるのか、懇切丁寧に教えてくれた。真剣に聞いていたのに、息子には後から小声で「恥ずかしっ」と軽く非難される。なんだと? と思いつつ、でもこれ、私も子供の頃少し覚えがある。大人ってもっとスマートになんでもわかってて、解決能力も高くて引っ張っていってくれる存在なはず。子供である自分の前であたふたされたり、人のお世話になっている親を見せられたら、おいおい、となる気持ちもわかる。
いつの間にかすっかりあの頃の母の立場になっている自分がいた。


なんとか目的地に到着。最寄り駅周辺はビルや小店が並んでいたのに、バスで行く道すがら窓から見えたのは、緑が目に眩しい田んぼ。大型トラックが通るような大通りを経て20分ほどは乗車したか。「もしかして通り過ぎた?」と不安になってきたところで、見覚えのある大きな建物が見えて二人で胸を撫で下ろした。
「帰りのバス停チェックしておかない?」と私が提案したら「えー、もう後でいいじゃん」と頭の中はすでにクレーンゲーム一色の息子の返答。さいですか、と、ともかく建物の中へ。


映画のチケットを発行してからゲームコーナーに足を向ける。両替を済ませたら、待ちきれないとばかりに息子はクレーンゲームを物色し出す。数百円突っ込んで、二人で駄菓子を3つゲット。残念賞をもらった気分だ。
大きなぬいぐるみを欲しがる息子に「絶対いらない!」と首を振る私。気を逸らそうと、マリオカートと太鼓の達人に誘ってみた。こういう体験型のゲームの方が、暇を潰せるし楽しいから私は好きだ。マリオカートはゴール直前で赤甲羅こうらをぶつけられて負けたけど、太鼓の達人はリズム感のズレた息子に圧勝した。灼熱した。
残りの時間はポケモンキャラクターのぬいぐるみがどうしても欲しい、という息子のクレーンゲームを見学して終わった。見事にカモられていた。


映画館の座席に着いて、宣伝が終わって照明が消える。大画面と大音響を前に、つい数時間前まで自宅にいたのになぁと不思議な気持ちになる。やっぱりこの雰囲気、好きだ。もう最近の映画の、映像の鮮明さや立体感には見慣れてしまったけど、それでもきれいだと思うし感動もする。
『インサイド・ヘッド』は、ライリーという女の子の頭の中で、ヨロコビ、カナシミ、ムカムカ、イカリなどの感情キャラクターたちが、毎日ライリーが幸せに過ごせるようにと協力し合い、時に議論し、奔走する物語。続編の今作は、ライリーが成長し思春期を迎えた頃のエピソード。突然、今までになかった感情の新キャラクターたちが登場する。シンパイ、イイナー、ダリィ、ハズカシ。中でも“シンパイ”というオレンジ色のキャラクターは独裁的で思い込みが激しく、今までのライリーをガラッと変えてしまう。ヨロコビたち、初期の感情メンバーたちはそれに反発。すると新メンバーたちに司令塔から追い立てられ、閉じ込められてしまう。そこからライリーを救うべく、ヨロコビたちが動き出すという話の流れだ。


記事のタイトル通り、今回は映画の感想を主に書くつもりはない。でも、心に残った映像を少しだけ描写しておく。
それはボーリングのボールほどの大きさや質感を思わせる、思い出の球。色々な色があって、覗くとエピソードが感情と共に記憶されている。恥ずかしかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと。あらゆる感情が込められた膨大な量の球。幻想的な夜の湖のような場所に、ヨロコビがその球を浮かべる。まるで灯籠流とうろうながしみたいに。するとそこから光の柱ができる。柱は竪琴たてごとの弦のように、はじくとライリーの声になる。「私はいい人」「私は優しい」。シャワーのように浴びたい穏やかな声がいくつも柱を形成していく。夢の中でも観たいような、きれいなシーンだった。



映画館を出たら、午後8時半を過ぎていた。当然外は暗い。
やっぱりポケモンのぬいぐるみが諦めきれないという息子。「お腹空いてないの?」と聞くと、マックのポテトだけ食べたいとのこと。仕方ない。フードコートでポテトを買って食べさせ、再びゲームセンターへ。私は見学。できればぬいぐるみが増えるのは勘弁してくれと内心で願いつつ、個人を尊重するのも大事だとぐっとこらえ、遠巻きに見守ることに。真剣勝負に挑む息子。クレーンで何度もぬいぐるみを持ち上げることには成功したものの、一番高い場所に持ち上げた時にガクッとくる揺れに、無情にも毎回振り落とされていた。
「あいつ、重すぎ!」と最後の勝負にも敗れ、泣く泣くその場を後にした息子。よっぽど欲しかったんだな‥‥カビゴン。


もう夜も9時近い。家に帰る時間もけっこうかかる。あまり空腹は感じなかったけど、ちょっとお腹が鳴った。バスの時間までもう少しある。食べ歩きでもいい。「アイス食べて帰らない?」と息子に提案し、サーティーワンに寄る。並んでいたのは家族連れの一組だった。メニューを見る前から抹茶味にしようと決めていた。息子は悩んだ末にチョコレート味。ところが、前のお客さんと店のスタッフさんのやりとりがなかなか終わらない。私が短気なだけかもしれないけど、バスの時間もだんだん気になってきた。息子にそっと「もう行こっか」と耳打ちし、列を離脱。


バスの到着時刻まで、10分ちょっとはあった気がする。とりあえず、行きに降りたバス停に辿り着ければ、通りを挟んで向かいに帰りのバス停はあるはず。
が、なんせ外は暗い。そしてそのショッピングモールはだだっ広かった。建物を出ると、行きとは明らかに見える景色が違う。ちょっとズレたかな、と思いつつも早歩きしてとにかく建物をぐるりと囲む駐車場を横切り、通りへ出ることを目指す。
「暗っ!てか、ここ違くない?明らか出口違ったし!」と息子。
親の方向音痴の被害を今まで散々被ってきた息子は「いや、こっち絶対逆だし」「あんな立体駐車場、見た覚えないし」とぐちぐちネチネチ、延々訴えてくる。
「だから最初に帰りのバス停、確認しておこうって言ったじゃん」と私も反論。
「いや、バス停の前に出口の問題じゃん」と返される。
醜く罵り合いながら、バスの時間がやばいので小走りになる。
「あと何分?」
「4分」
「絶対間に合わないじゃん」
「方向音痴!」
「あんたもね!」
叫んで夜道を走りながら、おかしくて笑えてきた。


もうバスの発車時刻になった。諦めてバス停の場所だけは確認しておこう、となった。次の発車時刻は30分後だ。あーあ、家に着くの、下手したら日付変わるんじゃないか?と思っていたその時、ようやく見覚えのある、行きに降りたバス停を発見。そして通りの向こうに、薄明かりの中、人の列が目に入る。
「あ、ほらあそこ! まだバス来てないのかも!」
ちょうど青信号だった。急いで大通りを渡る。そして1分もしないうちにバスが到着した。「遅れてくれて、ラッキーだったね」人が多かったけど、二人がけのシートに座ることもできた。


息子は「疲れた」と言って、帰りのバスと電車の中ではずっとスマホをいじっていた。時折友達のインスタやら野球の動画やらを見せてくるけど、ずっと眠そうにしていた。私は思ったほど疲れを感じていなかった。少し遠出をすると、どうしたって帰りはちょっと気だるいものだ。
バスや電車の窓は暗く、映るのは車内の様子ばかりで外が見えない。電車のホームで流れる電子音やアナウンスが、ぼんやりする頭に反響する。家に帰るであろう人たちの流れのペースに合わせて歩く。
外の夜の風景は、家にいることの多い私には、ちょっと懐かしくて新鮮なのだ。毎日通勤通学している現役の人たちからしてみれば、いい気なもんだと思われても仕方がないけど。


自宅の最寄り駅に無事到着。少し元気を取り戻した息子は、夜道を歩きながら、またつらつらと喋り出す。ポケモンカードがどうたら、好きなユーチューバーがどうたら。こっちが話半分に聞き流していても、関係なく嬉々として語り続ける。
家に着くと、父が各部屋のエアコンを入れ、お風呂を沸かして待っていてくれた。あざます。よし、もう寝るだけだ!と、さっさとお風呂に入って寝ようとしたら、息子が「なんか食べたい!」と吠え出した。えー‥‥これはもう寝る流れでしょ?


結局、きゅうりとハムと海苔を載せた大盛りのそうめんと、おにぎりを作らされ、ようやく寝床につけたのは日付が変わるちょっと手前。お腹も満たされ満足気な息子。映画の話を少しだけすると「あいつ、いい奴だったなぁ」と感想を一言。半分、夢の中みたいな声で。
私は映画の最中、横でふっと息子が笑ったシーンを思い出した。『インサイド・ヘッド2』に出てきたハズカシというキャラクター。熊みたいにのっそりした見た目で無口。すぐにパーカーで顔を隠す、困り顔のシャイボーイ。恥ずかしさのあまり“頭隠して尻隠さず”のポーズをとった時に、ふっと横の席から笑った気配がしたのだ。



その一言を聞けただけでも、映画に行ってよかったと思った。おやすみ。
充足感を感じて、自室の布団に入って目をつむった。すぐ眠れた。


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