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社会人になって自立した息子達への願い

とあるシンママ先輩友達とLINEで話してて気付いたことがある。
私は今、寝る前に(もう眠剤を飲んでいるが効かなくてシャワーを浴びた)
ここに記そうと思う。

2024.2月に私は、ギリギリのところで生きている、と言う記事を書いたことがある。⇨https://note.com/miho517/n/n639fb032656b

たった2ヶ月過ぎた今、仕事が順調な時は、全くそんな風な私ではない。
まだまだこれからやりたいことがたくさんあって、やり残したことがたくさんあって、前向きだ。幸せだ。
だけど、今回、長引く胃腸炎にかかり、その回復の遅さに少々メンタルがやられかけていて、そんな時、このギリギリのところで生きている感覚が蘇る。

私がひとりでも元気で生きていられるのは、必ず仕事が順調な時で、その時は自分の居場所もちゃんとあって、必要とされている実感ややり甲斐を感じられるとき。そんな時は、自分の両足で地に足ついて生きられている充足感を得られるのだ。うつ的な症状も遠のいて、投薬も忘れそうになる。

けれど今回、思うように体調が戻らず、とても辛くて、最初は病院にも辿り着けなかった。吐き気が止まらず、お腹も下して、身体中に力が入らない。
それでもなんとか自分で車で這いつくばってでもお薬をもらった方がいいと判断し、ノーメイクでほぼ部屋着か寝巻きのような感じで誰にも会いたくないぞっと思って通院した。待ち時間も結局2時間くらいかかった。車で10以上はかかる場所だけれど、一度帰り家で横になっていた。
何をするにもひとり。誰の手も借りられない。実は、病院の近くには母も暮らしているのだが高齢だし、今までもトンチンカンなことを言ったりしたりしてくるので、元々折り合いのつきにくい、私がもう諦めていて心を閉じている母の助けは求めたくない。必ず、嫌な気持ちになるからだ。それなのに病院にうろたえながら来た母に私は弱った姿を見られたくはなく、すぐに帰ってもらった。来てもらっても何もしてもらえることはない。

二人の息子は親孝行だとは思うけれど、長男はベルギー滞在。次男は茨城県在住と遠方なので、心の拠り所にもなり難い。流石に時差のあるベルギーでは話もできず、ましてや彼は仕事に命をかけているので、全く私を心配したり気遣う余裕はない。
母にも頼れず、息子達にも頼れず、人生初の一人暮らしを始めて2年になる独り身の私は、何でも自分で何とかするしかないのだ。

遠方にいても心配してくれる次男には感謝している。今日から婚約者とタイに行っているが。それはそれで楽しんでくれたらいいと思っている。大阪に住む彼女と遠距離恋愛で、婚約中を存分に楽しんでくれたらいいと思っている。まぁ、そのせいで、GWも誰も帰省はしてこないが笑
私も仕事が一番の過渡期で中三日は仕事なので、受け入れる余裕もないものの、、初日から体調不良でとても辛かった。

近況報告はそれくらいにして、ともかく息子達との距離感がどんどん離れて行ってしまうことに不安を抱いてている。それぞれの生活は想像は出来ても細かい情報共有、ともすれば私が一方的に聞いて欲しいだけの私の甘えだと思うので、私も自分一人で何とかこの生活を確立したい。それぞれの別の人生がもう始まっているのだから。

私はこの四月から仕事量も増え、1歳児クラスの担任になった。とは言え、更年期障害持ちで週3からスタートして、すぐに人手不足で週4に増やしての四月だった。1歳児クラスの四月と言えば一年で一番大変な時。その疲れのツケが回って免疫力が落ちていたのかもしれない。這いつくばって時間をかけて診療してもらって、薬を飲んでいるけれど、吐き気が止まらず困っている。気力が失われて、またもう何もかも辛くなって、先に紹介した、ギリギリのところで生きている状況に陥る。こうなったら危険信号。
四人の担任同士の微妙な人間関係もある。正社員ではなく派遣なので、ある意味の割り切りが必要なのかもしれないとも思い始めていて、少しがっかりしている。先日の保護者会に出られなかったのだ。
最初は、保護者会に出て欲しいとの要請から残業も覚悟して挑んだ。私自身、担任になるのは初めてなので、色々な保護者様の家庭でのお話を聞けたり、親子間の関係を垣間見ることを楽しみに、その日も胃腸炎の前兆で無理して保育していたので、夕方のそれに出られないのはとても残念だった。
理由は人手不足。保護者会に出ている全ての子どもの保育をする人手が足りないのだ。だから保育に入っていた。
それだったら、体調が悪いので、時間外保育は遠慮して残業まですることなかった。保護者会については、担任になった当初から楽しみにしていたので、意気消沈。そこから疲れだけをどっぷりと残し、深夜に嘔吐下痢を繰り返して地獄なような夜。3キロ減って、今は胃腸に何も残っていない。

そんな状況だとは、二人の息子達は知る由もない。けれど、私が胃腸炎で一人で家で憔悴しきっているのは、インスタストーリーなので分かっているはずだ。次男に関しては、電話やLINEで労りの言葉あってありがたい。
長男は仕事のことでいっぱい。余裕はない。彼はそんな性格だ。これまでの取り組み方もその傾向がある。それを知っているから存分に今の仕事に集中して欲しい親心は当然持っている。応援もしている。
けれど、一言でも、労りの言葉をかけてもらいたかった。それが私の本音だ。
多くのことを彼に求めるつもりはない。彼が今ベルギー滞在で選んでいる道は彼自身が決めたこと。彼自身の夢。
けれど、を忘れて欲しくはないので、ついに小言のLINEを入れてしまった。
「身体、大丈夫か?」くらいの言葉がけはできる人であって欲しいな、どんな時でも。と。
彼はあっさりと「ごめん」と返して来た。彼の中でもきっと思いがないわけじゃない。ただただ、余裕がないのだ。
そこまでして突き詰める仕事と言うのがきっと成功を勝ち取る極めた仕事なのだ。彼はそれを望んでいて目指している。亡き父がそうであったように。
それを咎める気持ちは全くないし、むしろ応援している。
でも、私はどんどん心が荒んでいく。まだまだ若輩者なのだろう。
私は自分がギリギリのところで生きていたくはないのだ。そうならないためにもやはり、息子達のたった一言「大丈夫か?」「しんどかったんやな」「気をつけてな」などの労りの言葉があるだけで、単純ながら、私は頑張れたのだ。
長男にはいつも多くを求めて来たとか、頼りにして来たとか、ある一定の時期まではそうだったかもしれない。けれど、結婚してからはそれはもうない。次男は心を寄せてくれている。電話も時々する。LINEでも「お腹温めてね」と言った優しい言葉をかけてくれる。決して比較をしている訳ではない。ただ、人として、忘れて欲しくないことがある。
それで私がもしギリギリを超えてしまったら・・・。親子の関係に歪みや隔たりが出来てしまいそうで怖いだけだ。

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