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断片的な思い出【父のこと】〜自叙伝のような過去の私への振り返り

亡き父との思い出は、それ程多くはない。

最後に会ったのはもう40年近く前のこと。

最後に交わした言葉もその声も覚えていない。


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父はバレーボールの監督だった。

地域のママさんバレーのみならず、所属する会社のバレーボールチームの監督もしていた。実家には、胴上げされた父の大きな写真が飾ってある。

娘の私から見てもカッコ良かった。

ある週末の夜、私が通っていた小学校の体育館でママさんバレーの練習があった。何度か一緒について行ったのか、それとも記憶の中のあのシーンが最初で最後だったのかは定かではない。父は大きなバレーボールのコートの端から向こう側の端の線のギリギリのところへサーブした。その強さと速さとボールの音に驚いて、行き先を目で追いながら、幼いながらもすごい!!と思った。


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家の近くに大きな川があった。犬上川と言って、当時は鮎釣りが出来た。

その河川敷をよく父と一緒にジョギングした。その時、呼吸法を教えてもらったのだけど、今思えばそれは、出産の時のそれに似ているかも・・・笑

琵琶湖まで走って、戻って来た。

二人だけの時間・・・。


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家の近くに大きなグラウンドがあった。多分どこかの大学の敷地なのかな。

そこでよくバドミントンをした。私もそこそこ上手だったので、ラリーは長く続いた。いつまでも付き合ってくれた。


思えば、父は運動神経が万能で、運動が好きだったのかもしれない。

そういったジャージ姿の父とのシーンが思い出される。


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父は家族想いだった。週末は家にこもらず、よく車でドライブした。

少し遠いところまでよく行ったラーメン屋。わざわざそんな遠くまで。並々と注がれたスープが美味しい「ラーメン藤」今でもあったように思う。


琵琶湖一周もよく覚えている。ラジオから(?)西城秀樹のYMCAが流れると弟と一緒に後部座席で振りを真似しては、はしゃいだ。

途中で甘いおやつが欲しくなり、私が甘えたのだろうか?道路沿いにある商店に寄ってくれて、私が選んだのは、ハイソフトのキャラメル。今でもそのキャラメルが売られているのが嬉しい。私の幸せな思い出と共にある。茶色と青と赤と白のデザインの箱。中身も一つ一つ丁寧に銀紙に包まれているあのキャラメル。そこにも青と赤の線のデザインがあったっけ。一箱に沢山のキャラメルが詰まっているのも嬉しいところ。今でもそれを見るとぼんやりとそのシーンを思い出す。父は運転席に乗って待っていた。多分、母に買ってもらった。

あと、別の日には、アイスキャンディーも買ってもらった。チョコレート味とミルク味があって、当時、巨人阪神がコマーシャルしていたもの。大人になって関東で、1年程大学の中のコンビニのアルバイトをした事があって、そこで「昔なつかしのアイスキャンデー」と言う名のアイスを売り出した時にその話をしたけれど、関東在住の誰一人として、そのキャンディーを覚えていなかった。関西限定だったの・・・・・?とにかく今でも私は、あれに似たアイスキャンデーが好き。


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夏は毎年、河口湖へ家族旅行に行った。もちろん車で。数々の当時の写真を辿ると、富士山の五合目(車で登れるところ)や、箱根の大涌谷にも行ってるみたい。あと一番の思い出は、白糸の滝。滝から流れて来た冷たい冷たい水が溜まっているところで、どっちが長くつけてられるか?の競争をした記憶。勝敗は覚えていないけれど、楽しかった。毎年、河口湖ホテルに泊まった。そこも今でも健在だ。泊まってみたいような気もするけれど・・・。

40年、時が止まったまま。その記憶は心と写真の中だけにあって、関東に住んでいるうちに、実家の母を呼び寄せて、私の運転する車で白糸の滝に行ってみたいと密かに思っている。

きっと、思ったより小さいんだろうな。もうすっかりこんな歳になってしまったのだから・・・。


数々の父との思い出が今の私を支えている。それはもう音のない止まった時間の断片的なものだけれど。胸の中にはいつもある。


パパ、10年間、大事に育ててくれて、ありがとうね!




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