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日本の保育業界は変革期

保育士が足りない日本。

いや、正しくは保育士資格を持つ人は数多く潜在している。けれど、国からの補助金で成り立っている保育園は、どこも配置基準ギリギリの人数での運営なので、いざ保育士に体調不良や退職で欠員が出た時、子どもに最適かつ最低限の人数が確保出来ない状態が生じていると言うことだ。そして、保育士の求人の急募をしてもなかなか条件に見合った保育士は見つからない。応募が思うように来ないのだ。

その背景の一つに、従来の保育士の不変の価値観や偏見、視野の狭さというものがあるのを、現場の中で痛切に感じた。保育業界の一番の離職の理由は、保育観の違い、などによる人間関係の問題だろう。

人間関係で離脱した保育士は多い。その経験から、再びその保育の現場へ復帰しようと思う人がどれだけ居るのか、多くの人達にとってそれは、厳しい道だろうと私なりに推測する。

保育士と言う仕事、役割は、社会の変化によって求められるものが変わる。
それなのに中身は数十年前のまま、設けられた枠をはみ出すものは排除される。それは子どもへも同じように影響することを意味する。
保育士を大事にしない保育園は、子どもも大事にしない。
もしくは、保護者の顔色を伺うだけの運営をしている。
評判(地域や通う小学校)のための運営だ。

待機児童を減らすため、保育士を増やそうと国は色々な策を講じた。
その政策にのって、私は平成30年に保育士資格を受験で取った。
そのような通称国試組と言われる保育士が、どんどん現場に入り込んでいる。
だがしかし、受け入れる側の保育園はどうか。

保育士歴の長さ、すなわち経験年数だけで判断されることが多い。現場ではそう簡単には受け入れてもらえない、発言権を持つまでに時間がかかり過ぎる、など、気力の持たない職場が多い。現に私自身も46歳で保育園で働くようになった時、指導のパート職員に「6年は黙って言われることだけをやるように」言われた。6年だ。社会に出たばかりの新社会人ではない。にも関わらず、挨拶の大切さ、からスタートなのだ。私は流石に辟易した。

もちろん、保育士としての現場経験が新米なのは百も承知である。けれど、対人(子どもや保育士)との基本的な関わりにおいては、十分に分かり得ているつもりだった。先輩、後輩の立場はわきまえることが出来ても、人としては上も下もないと感じるくらい、蔑まれた。

いわゆる、下積み時代、と言うのは過去の時代に於いて必要とされていただろうが、現代社会は即戦力を求められるところもある。学ぶ速度も力量も違うので、習得するペースもそれぞれだ。そして、色々な保育士が居てこそ保育園は、社会性を身につけるに当たって最高の保育の場となる。子どもや保護者にとっては、上も下もない。(時々、保護者をも下にみる保育士さえいらっしゃるが)

国試組は、経験が浅いのは事実。けれど、それなりに厳しい国家資格の受験をしてまで資格を取って、子育て支援の現場の仕事に就きたいと言う熱い気持ちには、それ相当の覚悟があると言うことを忘れないで欲しい。数多くの優秀で繊細な保育者がうんざりして保育の場を去っている現実を見て来た。繊細さは、丁寧さを兼ね備えている。子どもへの眼差しもとても誠意があり、優しさと尊重に長けている。

国としても、そのような人材を保育の現場に置けない事は、とてももったいないことだろうし、保育業界全体の社会的地位向上子どもの最善の利益の視点からの保育の質の向上にも大きな損失であると私は思う。

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