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【第八回】チャップリンが生きた道~愛した女性たち②~

チャップリンの3番目の妻は女優ポーレット・ゴダードである。

ポーレット・ゴダード

ポーレットとは法的な結婚はせず事実婚であったが、6年間パートナー関係を築き上げており、チャップリン自伝では妻と記載されている。

チャップリンの作品には「モダン・タイムス(1936)」「独裁者(1940)」に出演。チャップリン作品以外でも出演しており、「セカンド・コーラス」ではフレッド・アステアと共演している。

非の打ち所がない綺麗な顔立ちであり、未成年者だった前妻2人とは異なり成人女性である。

「モダン・タイムス」では、前向きで明るい少女役を演じている。出演当時26歳という年齢なので少女というよりも、洗練された美女という感じは否めないが非常に素晴らしい演技を見せてくれている。チャップリン自身も有能な女優と認めており、離婚後も良き友人として関係性は続いていた。

ちなみにチャップリンと一緒に日本に来日している。

そして、4人目の妻・ウーナ・オニールは最後の結婚相手となった。

ウーナ・オニール

ウーナは劇作家ユージン・オニールの娘である。「社交界にデビューした最も魅力的な女性」の候補となり、俳優オーソン・ウェルズや小説家J・D・サリンジャーなどがウーナの虜になった。

チャップリンも「輝くような美しさと人並み外れた魅力を持っている」「長きにわたるであろう私の最良の幸福のはじまり」とべた惚れである。

1943年6月16日に36歳差婚(チャップリン54歳、ウーナ18歳)している。8人の子供に恵まれて互いに尊重した関係性を築き、チャップリンが亡くなるまで円満な結婚生活が続いた。


さて、前回に続きチャップリンの妻を紹介したが、「チャップリンが愛した女性」で忘れてはいけない人物が一人いる。

その人物とは、エドナ・パーヴァイアンスである。

エドナ・パーヴァイアンス

以前の記事で少々触れているが、エドナはチャップリンの相手役として数多くの作品に出演している。

チャップリンとエドナは一時的(1915~1917年)に恋仲ではあったが、結婚までには至っていない。しかし、恋愛関係が終わっても2人の仲が崩れることはなかった。

チャップリンとエドナの出会いを語る前に、彼女のプロフィーと出演作品を紹介する。


エドナ・パーヴァイアンス
本名 Edna Olga Purviance
誕生日 1895年10月21日
出生地 ネバダ州パラダイス・ヴァレー

出演作品一覧

  • アルコール夜通し転宅

  • チャップリンの拳闘

  • アルコール先生公園の巻

  • チャップリンの駈落

  • チャップリンの失恋

  • アルコール先生海水浴の巻

  • チャップリンのお仕事

  • チャップリンの女装

  • チャップリンの掃除番

  • チャップリンの船乗り生活

  • チャップリンの奇席見物

  • チャップリンのカルメン

  • チャップリンの悔悟

  • チャップリンの替玉

  • チャップリンの消防夫

  • チャップリンの放浪者

  • チャップリンの伯爵

  • チャップリンの番頭

  • チャップリンの舞台裏

  • チャップリンのスケート

  • チャップリンの勇敢

  • チャップリンの霊泉

  • チャップリンの移民

  • チャップリンの冒険

  • 三つ巴事件 ※再編集されたため正式なチャップリン作品ではない

  • 犬の生活

  • 公債

  • 担え銃

  • サニーサイド

  • 一日の行楽

  • キッド

  • のらくら

  • 給料日

  • 偽牧師

  • 巴里の女性 ※エドナ主演映画。チャップリン監督作品

  • 海の女性 ※未公開

  • 王子教育


初期のチャップリン作品に出演しているため、ほとんどが短編映画である。エドナ主演の「巴里の女性」は、チャップリンが監督・脚本を手掛けており、チャップリンはカメオ出演のみとなっている。クレジットもないため気付かない人も多いだろう。

「巴里の女性」
画像引用:巴里の女性(2枚組)[DVD]|Amazon


「巴里の女性」はチャップリンの相手役だけでなく、女優としての実力を認知させるために制作された。本作は、チャップリンの武器である喜劇からは離れ、悲恋をテーマにした映画となっている。


喜劇もシリアスな演技もできるエドナは、チャップリンによって見出された女優だ。2人の出会いから仕事仲間になるまでのエピソードが面白い。

エッサネイ社時代に若くて美しい女優を探していたチャップリンは、仕事仲間である一人の俳優の紹介によってエドナと出会う。

そんなとき、若くてハンサムなドイツ系アメリカ人のカウボーイ俳優、カール・シュトラウスがヒル・ストリートの《テイトのカフェ》にときどきやってくる娘はどうかと言った。個人的には知り合いではないが、すごい美人で、店主なら住所を知っているかもしれないと言う。

引用:チャップリン自伝 若き日々|チャールズ・チャップリン (中里京子 訳)

店主のテイトはエドナのことをよく知っており、すぐにエドナに連絡して面接することになった。

実際に会ってみると、彼女はかわいいどころか、すこぶるつきの美人だった。面接したときには、うつむきかげんで質問に答え、とても真面目な人物に見えた。

引用:チャップリン自伝 若き日々|チャールズ・チャップリン (中里京子 訳)

美しく真面目な女性で好印象だったが、チャップリンが求めるユーモアがあるように見えなかったそうだ。しかし、喜劇向けではないものの「花は添えてくれるだろう」と考え採用した。


「アルコール夜通し転宅」の撮影開始日の前日にパーティーに招かれ、そこにはエドナも参加していた。

パーティーの最中に催眠術の話題になり、チャップリンはなぜか「催眠術が得意だ」と大口を叩いてしまう。

「60秒あれば誰でも催眠術をかけることができる」と発言したチャップリンに対し、エドナは「私に催眠術をかけられる人なんていない」と笑った。

チャップリンは「60秒以内に眠らせることができる。10ドル賭けよう」とエドナに提案する。

もちろん、催眠術師ではないチャップリンがエドナを60秒以内で眠らせることはできない。だが、パーティーで大口を叩いている手前、催眠術を成功させなければならなかった。

まじないをかけるような動作を行い、エドナに「演技をしろ」と囁く。エドナはチャップリンの指示に従い、ふらふらと倒れるフリをした。

チャップリンはよろめいたエドナを抱え、「誰か手を貸してくれ。ソファに寝かせよう」と言い、エドナは目を開けて「疲れた」と言った。

チャップリンの主張に反論することもできたのに、チャップリンの顔を立て、場を盛り上げるために犠牲になったエドナに感心した。この一連の流れがあったことでチャップリンはエドナに対する印象が変わり、喜劇でも活躍できると確信した。


エドナはチャップリンの近くに引っ越しをして、毎晩のように2人で食事し、チャップリン自身も「お互いに真剣に考えており、いずれ結婚するだろう」と思っていた。

チャップリンとエドナ

しかし、エドナの気持ちがはっきりと掴めない上に、もし関係性が深まった場合、チャップリンとしても自信がなかったようだ。

エドナは謙虚で真面目な性格だが、彼女も人間である。チャップリンの周囲の女性に対して嫉妬することもあったようだ。エドナは優柔不断なチャップリンを振り向かせるために、駆け引きのようなことを試みる。また、エッサネイ社から離れたチャップリンに対し、自分も不安であることと、2人の愛情が薄れ始めていることを示唆するような手紙を送っている。

だが、心の距離は離れてしまい2人が結婚することはなかった。


1918年、チャップリンはミルドレッド・ハリスの妊娠(嘘の妊娠だったが)が発覚したため、不本意でありながらも結婚することになった。

結婚式の翌日、チャップリンは重苦しい気持ちで仕事に戻る。

チャップリンが楽屋を通りかかったとき、エドナが現れて「おめでとうございます」を言った。チャップリンは「ありがとう」と答え、戸惑いながら通り過ぎた。

エドナはチャップリンの結婚を朝刊で知っていたのだ。


チャップリンとエドナの恋愛関係は終わってしまったが、友達として関係は続いていく。

1924年1月1日、エドナの自宅で開かれたパーティーで、富豪が拳銃で撃たれる事件が発生する。発砲した人物は、メイベル・ノーマンド(かつてのチャップリンの仕事仲間であり、人気コメディエンヌ)のお抱え運転手だった。

撃たれた富豪は一命を取り留めたが、事件は全米の見出しを飾るスキャンダルとなった。

この時点でエドナのキャリアは危うくなっていた。チャップリンはエドナの才能を開花させるために「巴里の女性」や「海の女」を制作。「海の女」は納得のいく作品にならなかったため未公開ではあるが、チャップリンはエドナを見放すことはなかった。

エドナは、1927年公開の「王子教育」の出演を最後に女優業を引退した。

1938年、パイロットのジャック・スクワイア機長と結婚し、ジャックが亡くなる1945年まで結婚生活は続いた。

1947年公開の「殺人狂時代」で相手役としてエドナを起用しようと考えスタジオでテストを行ったが、テスト結果に満足できずエドナの復帰は実現しなかった。

エドナは「殺人狂時代」と「ライムライト」でエキストラとして出演していると噂があるが、それらの証拠はない。

殺人狂時代のポスター
ライムライトのポスター

エドナが女優を引退した後も、チャップリンは彼女が亡くなるまで出演料を支払っていた。晩年に「必要な医療ケアを受けることが出来たのはチャップリンのお陰です」と、感謝の言葉を残している。


1953年、チャップリン評論の第一人者である淀川長治氏は、チャップリンの秘書だった高野虎市の取り持ちでエドナと対面している。チャップリンについて聞いた際に涙を流しながら「私は、あの人の映画以外には出ない。あの人と映画に出たことは一生の思い出です」と語っている。


1958年1月13日、エドナ・パーヴァイアンスは癌により62歳で亡くなった。


2人は結婚することはなかったが、銀幕では微笑ましいカップルとして沢山共演している。

エドナは他の女優とはひと味違う魅力が詰まっていると思っている。個人的にエドナが好きな理由は、母性を感じさせる優しさとユーモアセンスを持っていることである。ただの恋するヒロイン役ではなく、チャップリンを陰から見守るお母さんのように見えるときがあり、観ている側に安心感を与えてくれる。

以下は、エドナの内面の美しさがスクリーン上でも生き生きと伝わってくる映像です。とても可愛らしいので、どうぞ。



ー続く


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