仕事をしながらも子育てで得られたもの~心の自律編~

いつもブログをご覧いただきありがとうございます!(91日目)
自立と自律。。。
少し意味合いが違うようである。
自立・・・親やその他の人やモノに頼ることなく独り立ちしていくこと
自律・・・自分の意志をしっかりと持って、自分で決めたルールに従い行動を選択できる状態

今回は心の自律について。。。
私は子どもの頃から自分の意見をはっきりと言ってしまうタイプであった。
私たちが子どもの時代の風潮と田舎ということもあり、まあまあ、他人と違う意見を持つ人はあまり受け入れられなかったように記憶する。子供ながらにそれは察知し周りに合わせて生きることを選択した。実はそれは私にとって窮屈で仕方なかったことだった。いつも早く大人になりたいと思っていた。周りとの調和を重視する親からするとなんとも悩ましい子供だったと思う。だからと言って何かビックなことが出来たわけではないのだか。。。
暗黒に時代は長かったように思う。
社会人になってもずっと自分の欠点を克服するには。。。とどこに行っても違和感を感じながら考えていた。うわべを合わせるのは得意になりいつしかそれを忘れかけるほど私的には馴染んでいたのではないか?と思う。
あからさまに嫌がられることはなかったが、悪いわけではないけどなんか変わってるよねと言われ続けていた。

しかし、私の子ども時代の欠点がまさかの子育てに良い影響を与えたのかもしれない。
そういう私が育てた子なので主体性を持つことを知らず知らずに教えてきたのかもしれない。

しっかりとした意思を持って生きてきたと言ってる割には、せいぜい事務しかできないと思いつつも違和感を持ちながら、ずっと生きてきて、もしかしたら、子ども好きというわけではない私が違和感なくできたのは子育てだったかもしれない。

こちらの方向に進めよう!とつまり私の場合、我が子が将来大人になった時に生きる選択肢ができるだけ多くなるように育てようと真剣に思っていたからか?とにかく幼少期から出会った先生方が優秀過ぎて感謝しかないのである。私がその先生方とどれだけでも話し合いをし尊敬し信頼できたから子どもたちも信じて着いて来られたのかもしれない。成長するにつれ、また新たな先生との出会いが幾度もあったがどの時を思い返しても最高の先生方との出会いだったと思う。もちろん今もそれは継続中の話である。

私は子どもと同じ視点に立ったつもりだ。公文では小学校低学年の時、できない問題は何度でもやらせてわかるようになるまで解いたり、ピアノもついていて教えたりした。私は勉強もピアノも素人であったがレッスン等に同行したりして家でもできるだけ無駄のない練習をさせた。時間は有限であり、子供の頃の多感な時期にいろいろ体験させたかったので、遊びも大事、本を読むことが大事などいろいろ考え、行動してみた。子どもはおそらく感じ取ることが得意なのではないかと思う。なので大人の行動、感情は子どもに影響を与えるように思う。

周りに左右されない子育てを目指したおかげで子どもたちも他人軸でなく自分軸で生きている。

私もこれからもさらに心の自律心を持って生きていきたいと思う。

今日もありがとうございました!

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