見出し画像

生死の境界線って

大好きな俳優が亡くなった。
何度報道をきいても、信じられないし、信じたくない自分がいる。
ストイックで、人一倍気配り上手で、どんな役でも素晴らしい演技を見せてくれた。
彼にとって私はたくさんのファンの中の一人でしかなかったけれど、
私にとって彼は大きな存在だった。
ファンクラブに入り、写真集を買い、イベントに行き、DVDを集め、
テレビのなかの王子様を、少しでも身近に感じたくて
ドラマを何度もみた。

私の生きる、頑張るモチベーションになっていた。

SNSでは、追悼の言葉が
「ファンだったみたいな顔して」とか「いいね稼ぎのために」って言われているけれど、彼のファンは静かなファンが多かったんじゃないかな、と思う。

前日まではいつも通りだった、というけれど
最後の日まで役者として遂げたのは
やっぱり彼のこの上ない役者魂をあらわしていると思う。

ゆっくり休めているといいな。
たくさん、素敵な作品を残してくれてありがとう
心よりご冥福をお祈りいたします。

****************

生死の境界線って、思ったよりも近くにあるのかもしれない、
と気づかされた出来事だった。

「生きる」ことはポジティブで、
「死ぬ」ことはネガティブ

普通の人はそんなイメージを抱いているけれど、
「死ぬ」ことが「生きる」ことよりもポジティブになったとき、
人はしぬことを選んでしまうのだろう

私たちは一度も死を経験したことがないがゆえに、
自分が知らない、得たいの知れないもの救いを求めてしまうほど
この世で生きることが辛いとき、向こうの世界が魅力的にうつったとき、
自分を殺してしまうのかもしれない。

生きていれば
しんだら楽になるのかな、と
一度くらいは考えたことがあると思う

真面目に生きれば生きるほど、
頑張れば頑張るほど、
成果はでて、周りにも認められる。
そして、それと同時に
更なる高みを目指さなくてはいけないプレッシャーに駆られてしまう。
周りの期待はもちろん、自分自身への期待値も上がってくる。

何事においても、限界値なんてないから
才能のある人ほど、頑張り屋さんほど、自分に厳しい人ほど、
成果をあげることが地獄に感じてしまうかもしれない

自分の理想像に近づけば近づくほど
理想像が遠ざかって
また近づいて遠ざかって

気がついた頃には自分という自分を見失ってしまう

人間生きていれば必ずしぬ

その時期を自分で早めるのも
それも含めてその人の人生

否定することはできないけれど
否定したいし、助けてあげたい、
助けてあげられなかったことを悔やむのが
普通の倫理観

一回終わらせてしまったら二度と取り返すことはできない命

この世にまだ楽しいと思えることがあるなら、
せっかく生まれたからもうちょっと生きててもいいかな

あんまり期待をしないで
仕事や恋愛や、辛いことがあっても
「まぁ生きてるついでにやってるだけだし」

何事にも依存しない、期待しない
ちょっと夢がないけれど
ほどほどに脱力したスタンスが
現代を生きのびるにはちょうどいいのかもしれない

そして、
頑張ってこの世を生き抜いた人が
来世では報われますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?