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メンヘラ嫌いという君に告ぐ

ある日の出来事。


先日、久しぶりに母と晩酌して盛り上がった勢いで熱い思いをインスタのストーリーに投稿した。
完全に酔っ払っているので支離滅裂であり、みんな幸せになれ!!みたいなとてもこっぱずかしいストーリーに仕上がった。次の日の朝、それを目にして、消すのもなんだか、本音を隠しているようなので、酔っ払ってました〜というフォローを投稿。そんなフォローをしちゃうのも何だか自意識だなぁと思いつつ、その日はOFFだったので、春用の靴を買いに出かけた。


すると、そこで働いている中学の同級生が偶々出勤していて、よっ!と声をかけられた。
(親同士も仲がいい、この歳になっても付き合いのある友達だ)

と、ここでこんなことを言われた。


インスタどうしたんだよ。


彼は口の悪いやつで、いつも通り、最近自分の写真ばかりあげやがってーっていう意味で言われたのだと思った。
が、良く聞いてみるとどうやら違うようだった。


昨日ストーリーで病んでただろ?


昨日のストーリー。それは酔っ払った例のストーリー。


病んでないよ!


私は咄嗟に彼にそう言って、いつものようにたわいも無い話をしてその場を去った。
しかし、私はどうももやもやが晴れなかった。


病んでただろ?


のその言葉。
私はそのつもりは無いのに、側から見たらそう見られているのか。
ていうか、病むって何だ?



というもやもやから今回はこの
病む
について書いていきたい。 特に、病んでいることを公にしたことのある人のことやそれを目の当たりにする人がいたら読み進めて欲しい。

今回の病む、は鬱病のちょっと前から悩むのちょっと先くらいの範囲における精神状態のことをここでは指していく。



病むという言葉によく関わってくる言葉に、メンヘラというものがある。


メンヘラとはグーグル先生によると、
メンタルヘルス-er
-erは英語で〜の人という意味らしい。心に疾患のある人、心に病がある人のこと。このメンヘラは私たちの世代ではよく耳にする言葉であり、本当の意味でのメンタルヘルスを持っているという意味だけでなく、悩んでたりくよくよしてたり自暴自棄になってる人、それをSNSなどで不特定多数に公開している人に軽く言ったりもする。

お前メンヘラだろー!メンヘラは嫌い。メンヘラめんどくさい。などなど私はメンヘラと呼ばれることも多く、私には身近にある言葉である。
なんとこの言葉。ご存知の方もいるであろうが放送禁止用語なのである。
(!?!?メンヘラちゃんテレビ出れないの!?)
放送禁止用語になる基準を満たしているのだが、私には身近な言葉であり過ぎたため衝撃が大きかった。


メンヘラ。病む。誰にでもあることなのに、なんでここまで煙たがられ、駄目、とされてしまうのか。



この世の中はマジョリティによって出来上がっている。マイノリティにいる人でもいつかはマジョリティに認められるとそっちに迎合したりする。勿論自然な流れだ。
このマジョリティもみんなメンヘラであったり、病んでいたり、そんな経験をしたことがある。その状態を知っているからこそ、その病みを公表するマイノリティに触れることで自分もそんな気持ちに引きづられてしまう。だからそのマイノリティにならないようにそれを隠そうとする。


また勝ち負け、強い弱いに置き換えている場合。
メンタルが強いことが勝ちで、周りに弱く見られないことが勝ちで、常に前向きなのが勝ち。
武士か!!いつの時代生きてんだ!と一括したくなるが、みんなの心の底でそう思っている自分がいる。
弱い自分は周りに見せたくないものでもある。



確かに。ポジティブであったり心に疾患がない方がいいに決まっている。



女性の身体のnoteでは散々、心と身体は繋がっている、ストレスをかけない生活を。と話している私だ。大賛成である。
だけど、それを隠そうとするのは違う。病まない人間なんてそうそういない。そのはけ口やストレス発散方法は人によって違うわけであり、ストーリーで病もうが、Twitterで病もうが、人に言おうがその人の自由だ。
見たくないならフォローを外すもしくはミュートする。
友達だと思っているなら、声を掛けてあげる。だから、その中学の同級生はそのストーリーをみて、病んでると思った私に直接言ってきただけ良いのではないかとも思う。彼とは友達だ。


何なら先に書いた私の出来事なんて、自分では病んでるつもりなんて無い。


そう、もしかしたら、
病むという状態は自覚よりも、他からの目線によって出来上がるのではないか。



病、やまい。その状態は客観的な目があるからこそ、確立する。
だから、自分じゃ分かりにくいし、人に言わなければ分かりづらいものだ。



悩む≠病む



悩みは自分でどうにかしないと解決しないけど、病んでる状態は誰かが見て教えてちょっと話を聞くことが大切だ。
悩みが病むという疾患になったとき、人は悩みの本質からずれていることが多い。
そんな友達がいるなら、というか友達が病んでると思うなら、声をかけてあげたらいい。

それを、またあの子病んでたね、とかメンヘラだね、とか、俺彼女がメンヘラ無理、とか言う人は、自分がもしその状態になって、むしゃくしゃして、Twitterに呟いたりストーリーに呟いたり、出来なくなる。


だから、ポジティブ全面推奨の日本社会は病んでしまう。


私はああならなくて良かった。私はああならない。私が勝ち。




マウント取るだけ、自分の首絞めてるんだよ。



病んでもいい。悩んでもいい。けど、絶対ストレスがない方がいいんだから。
そんなとき助けてくれる誰かがいる。人間関係の中に、生きていたい。

そして、そんな世界にいられたら、病むことやメンヘラがマイナスの特別なイメージを持たれなくなると思うんだ。煙たがられることを逆手に取った行動なんて私は好きじゃない。マイノリティになりたい、私病んでますアピールするかまってちゃんもいなくなるんじゃないかな。当たり前だよ?って言ってあげることでマイノリティになりたい似非メンヘラボーイズandガールズもいなくなるし、本当に病んでる人が楽になる。いいことだらけだ。




誰かとの付き合い方に、愛を持とう。





彼女メンヘラ無理って言ってるお前!
お前が病んだとき誰も助けねーから!


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