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嫌われる勇気

昨日、4年間在学した大学を卒業した。
あっという間、とも言えないし、長かったとも言えない。この4年間目まぐるしく、学生としてよりも一人の人間として変化があった。


そしてその学生生活を、16年の学生生活を卒業した。





もう卒業したし。
もう会わない人もいるし。
書いちゃえ!!!



というテンションで今回はnoteを書き進めたい。


学生にとって超重要で超面倒な人間関係についてが今回のテーマである。





私の所属した演劇学科は仲間意識が強くて、上下の繋がりが濃くて、行事などが盛んな学科だ。芸術学部だけど、とても普通と言ったらなんだが、大学生らしいこともよくする。とにかく団体が沢山。コース、劇団、委員会、日常をともにするグループなどなど。



楽しくて熱くて絆がある、っぽい学科。



っぽいというのは、完全にそうではないという意味合いでつけてみた。



このnoteは学友以外の方も読んで下さってるので、誤解の無いようにしたいが、日芸演劇学科の私の個人的見解として読み進めてほしい。



話がもどり。
っぽいというその心は。


私は面倒くさかったからだ。


うん!知ってる!と言われてしまいそうなくらい、3年生になった頃からぱたりと学科の行事などに顔を出さなくなった私。




何が面倒なのか。

行事自体は楽しいし、演劇も楽しい。みんなが作るものは才能に溢れたものも多いし、気があう人も沢山いる。
演劇とは、みんなで一つのものを作る楽しさがある。それを学ぶ学科に集まった人間はみんな個性があって大好き。

なのだが、その個性のあるみんなが団体で普通の大学生と同じことをし、そこにあるものが加わることで面倒くささが生まれる。




それは隠れたカースト。




どこにいたってカーストというものを避けるのは難しい。学生という狭い世界で生きるほど、このカーストが出来やすく、グループとして表れたりする。
このカーストは目に見えないし、分かりにくいし、何より感覚でしかない。勿論、個人によって変化するもので、空気感としかいいようがない。


これが生じることは人間に生まれたからには仕方ないことだ。だからこそ、芸術という分野に、ものづくりという分野にはこのカーストなどというものはない。
自分がいいと思うか思わないか。カーストが違うとか、グループが違うとかを抜きにして一緒にものづくりができる。それが芸術だと私は思う。だからこそ、この道を選び、それを学ぶ大学に入った。


なのだが。


この人間関係のカーストに芸術カーストを加えている感覚を私はここで持っていた。



あの劇団に呼ばれたから一目置いてみたり、事務所が決まったと聞いた知り合い程度の友達におめでとうと連絡したり、あの先輩は前に出ているから仲良くしてみたり、食事に行ったらそれを周りに言ってみたり。逆も然り。



個人の本質以外でのランク付け。

その人のやることによるランク付け。




これをする人間が多少なりとも存在し、そこに通常のカーストも混ざる実に複雑な人間関係だったと思う。


サシで話すのは楽しいのに、団体になるとツマラナイ現象。
うわべの派手さだけで判断し、やり過ごす人間関係。



だからこそ苦手意識は芽生えたし、他人に迎合するその態度に芸術をやるものとしての情熱よりも、どう見られるか、どんな立ち位置かを気にするのが本当に面倒だった。




それでいいのか。

はい。いつものパターンです。問題定義。




本当に自分がいいと思うものを見極める力。その人のキャリアを抜きにした面白さ。自分がそこにいて得られる何かや目指してる姿になりえる何かがあるか。


これが無かったらいいものも育たない。
二人で話すことは出来るけど、誰かが来たら出来ないなんてそんなのおかしい。

その考えを持つ人を共有できたら。この人こんな考え方や才能があるんだと、広めよう。
その人のステキなもの触れたら感じたら、広めたらいい。


こんな先輩と食事してこんな話をしたんだ、だからあなたも先輩と話してほしいから紹介するね。

いいツイートしてたからその話私も聞きたい。


そんな一言が言えず、いいものを独占したり、逆に見えないふりして認めないのも、自分が育たない。





だから私は嫌われる勇気を持った。

陰キャラだろうが陽キャラだろうが、いいものはいいし、そんな態度や自分のスタイルが嫌ならばどうぞ嫌ってほしい。

ノリを合わせたって何も得られない。
嫉妬したって始まらない。



だって学校だもの。仕事じゃない。ビジネスじゃない。お金じゃない。お金が絡むとしても、演劇学科で言えば、劇団で外小屋公演を打っても大半は日芸生だけで経済を回すだけ。(このことについて話すのは長いのでカットする。)




内輪のステータスなんかいらない。




だから、私はとにかく色々な人と話したし、いいと思ったら友達になった。

タイプなんて関係無かった。

そしてnoteを読んだよと話して感想をくれる人には自分の中身を読んで意見してくれることに喜びを得た。





昨日の卒業式。
そんな自分を好きになれた。私のまわりには素敵な友達しかいなかったから。真剣に話したことのある人間同士は確信がなくても、濃密な線で結ばれている。



学生時代は。

カーストなんて、キャリアなんて、自分の身の丈なんて気にしない。いいと思ったものに自分が近づけばいいだけ。
そんな人間関係を作るのが私は素敵だと思う。





最近、食事に連れて行って下さい!とか写真撮ってとかお話し聞かせてと言われて、蓋を開けてみると何を話したらいいか分からない人がいる。言われるのは本当に嬉しい。ただ、中身がなくただ関わることだけに価値を見出すのは絶対に違う。

これを読んでいる人がもし学生生活を過ごしているなら、少しでもこれを読んで変わりたいと思ってくれたら、

カーストなんて気にせず、学校も生きてる世界も気にせず、沢山の人と濃密な話をしてほしい。


追いコンに行かない日陰者なんて言わないで。
だれと食事に行ったかなんて報告しないで。


そこで話されたこと、交わされた空気や匂いに
価値があるのだから。


その話をだれかにして、また沢山の関係を築いてほしい。





私はこれから。
学生の肩書きが消えたから作れる関係を

死ぬまで育んでいきたいよ。








なーんて。
先輩面させてくれぇ!!


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