性別を忘れられないのか?
男になりたい。
はじめてそう思ったのはいつだろうか。
確実に言えるのは、小さい頃から生まれ変わったら男の子になりたいと口にしていたこと。
それは、戦隊モノが好きだったから。
それは、ブルーが好きだったから。
それは、働く母が好きだったから。
それは、かっこいいスーツが好きだったから。
それは、緩やかなくびれが嫌いだったから。
それは、突き出た胸が邪魔だったから。
それは、ガサツな性格が許されなかったから。
それは、毎月の生理が訪れたから。
いつの間にか、男の子になりたいの理由が、
好きから嫌なものへと変わっていった。
男の子になりたい、から、女の子が嫌だからもうひとつの男になりたい、へと変化した。
今日は生理2日目。ベッドから起き上がれず昨日まで波のように押し寄せていた食欲が消え、腹痛と腰痛と吐き気に精神まで蝕まれていた。
ああ、女じゃなかったら良かった。
男の子になりたいと、女の子が嫌だ
これは全く別の話だ。
最近、私は彼氏と別れた。その彼氏は私を女の子扱いし、大切に大切にしてくれた人で、
愛されている、を毎日実感させてくれるような人であった。その時間に生きた私は髪を綺麗にとかし、メイクの動画を見て、くびれが目立つように補正下着を身に付けた。
私は彼氏が出来ると、自らを女たらしめようとする。
女であると、自分を意識させるのだ。
それを今までの経験で分かっていたから、彼氏が出来た時、「これから私は私を女の子たらしめる!」と私に宣言した。
その時間に生きた私は実に女性らしく笑った。
女性として生き生きしていた。
素敵なパートナーに恵まれ、愛の言葉を浴びて、ああ幸せであると実感した。
でもひとつ分からなかったのは、
女である私が愛されているのか
朝日美陽自身が愛されているのか
そのどちらなのかということ。
これは彼の問題ではなく私の問題で、さあ恋愛をしよう!と思うほど私は私でなくなる気がするのだ。
そう私にとって、
恋愛=ジェンダーロールを生きること
ジェンダーロールとは、日本語に訳すと性役割。
女性として役割を全うしようとする。と言っても、この私だから自由奔放であることには変わらない。でも、私の恋愛においてジェンダーロールを生きることが意味することがひとつある。
それは弱くなることであった。
ひとりでも立っていられる私が、弱くなろうと努めるのだ。誰かを頼ったり甘えたりすること、それは悪いことではないし、むしろそうできることは良いことだ。
だけど、そうならなくてもいい場面でも私は弱くなる。
本当に笑えなくても笑ってみたり、
論理的に話したり強い口調になる癖を隠したり、
(むかしお前は学があるやつだと相手が話すのを止められたことがあるから)
無意識に女の子らしい癖をしてみたり、
女の子を演じている気分になった。
今回だけじゃない。いつだってそうだった。
性役割を全うしようとすることは私にとって、恋愛を男と女になることでしか捉えられてない、もしくはそうなるしかない関係性の相手であることが原因だ。
恋愛最中は苦にも思わない。でも終わって気付くのは、違う自分でいたこと。演じていることだった。
奇妙なタイミングで出会った映画がある。
原題は「Je ne suis pas un homme facile(I Am Not an Easy Man) 」邦題は「軽い男じゃないのよ」フランス映画だ。
女性を軽視する独身男性のダミアンが、事故に合いめが覚めると、男女の立場・役割が正反対の世界になっていた、という物語。
男が除毛し短いスカートを履く。女は働きスーツを着る。乳房を出してランニングもする。
性役割が正反対な世界にフェミニズム運動は存在しない。マキュリズム運動が盛んに行われ、男性差別に苦しむ。
この映画で主人公のダミアンは恋をする。除毛もメイクもしてない、振る舞いはこちらの世界で言う男性そのものの性役割を担うアレクサンドラに。
彼のセリフで印象に残ったものがひとつある。
「性別を忘れられないのか?」
女性の性役割を全うしてない、むしろ男性の性役割を担うアレクサンドラに恋をしたこと。
それは性別を忘れたことであるのだ。
私は性別を忘れて恋をしたことがあるのだろうか。
この疑問が、文字が形になって宙に浮かぶように私の目の前に現れたのだった。
これに気づいたからって、
また恋をした時に私が女性らしくなろうとしないとは言い切れない。
でもこの恋の基準に、
そろそろ、
長く付き合っていきたい気持ちが芽生えた今は
そろそろ、
私が性別を忘れても、愛される自信のある恋愛を
してみていいんじゃないかと思う。
性役割や身体のつくり。
そんなことを忘れて。
ひたすらに好きな人をただひとりの人間として愛する。
そんな恋愛をしてみてもいいんじゃないかと、
私は最近考えているのだ。
愛し愛されることに立場なんて必要ない。
子宮や胸や顔や肌じゃなく、身体の見える場所じゃなく、
私の心臓が愛したいと叫ぶ人を愛していきたい。
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